婚約指輪 Ⅰ
先ほどとは打って変わって、ゆっくり丹念に愛されたとはいえ、終わった後の心地よい疲労感は、真琴を眠りに誘う特効薬だった。胸を上下させる息が整うのも待たずに、何も身に着けないまま、真琴は目を閉じ眠りに落ちていく。
この時を待っていたかのように、古庄は腕の中の真琴の頭をそっと枕に預け、起き上った。古庄自身も裸のまま、自分のリュックサックを物色して、中からタコ糸とネームペンを取り出す。
今はちょうどいい具合に、真琴の左手が見えている。本人に知られずに指輪のサイズを測る絶好の機会だ。
ベッドサイドのランプを点けて、ほのかな明かりで真琴を照らし、その薬指にタコ糸を巻きつける。
「…おっと、第2関節あたり…だったな」
タコ糸が重なって2本になった所にペンで印を付けようとした瞬間、微かな刺激を感じたのか、真琴が寝返りを打った。左手は体の下になり、見えなくなってしまった。タコ糸も薬指に巻かれたままだ。
困ってしまった古庄は、再び真琴に寝返りを打ってもらおうと試みた。
「真琴……」
と声をかけ、上になっている右肩をそっと押してみる。
すると、古庄の意志に反して、真琴は目を覚まし、うっすらと目を開けてしまった。
「…なあに?和彦さん?……もう一回ですか…?」
「えっ?…も、もういっ…?!」
起こしてしまった焦りと、そんな気などさらさらなかったので、さすがの古庄も口ごもってしまう。
けれども、虚ろに自分を見上げ、意志を確認している真琴の色っぽい目を見てしまうと、古庄の中にも甘い衝動が湧き起ってくる。
「…う、うん。…そ、そう、もう一回」
古庄が誘惑に屈し、ネームペンを放り投げてそう言うと、真琴は眠いながらも優しく微笑み、古庄に向かって両腕を差し伸べる。
古庄がもう一度真琴の上に覆いかぶさると、真琴は伸ばした腕を古庄の首に絡ませた。
週が明けて月曜日の勤務後、古庄は早速谷口から教えてもらったジュエリーショップに赴いた。
もちろん、真琴には気取られないように。
「何なら一緒に行ってあげてもいいのよ」
という谷口の好意を、「冗談じゃない…」と心の中でつぶやきながら、丁重に断った。
しかし、谷口はデキる女らしい。どこにいても目についてしまう古庄が、指輪を買っているところを知人に見とがめられないよう、古庄を知る者がいない街の店をちゃんと選んでくれていた。
古庄が一歩足を踏み入れた途端、きらびやかな店内の空気が変わる。
ジュエリーたちが輝きを放つ中で、古庄の存在はひときわ光り、誰もが息を呑むほどまぶしいものだった。
凝視はされていないが、店員一同からの意識を一身に浴びているのを感じる。
初めての場所に行くといつものことなので、普段の古庄ならば気にしないのだが、この日は〝指輪を買う〟という初めての経験にドキドキしていた。
古庄は店内を見回して、指輪が並ぶガラスケースを覗いて見る。その場にいた若い店員が緊張した面持ちで口を開きかけた時、
「どういったものをお探しですか?」
と、横から年配の店員が古庄に声をかけた。すると、若い店員の笑顔がいささか苦くなる。
「ええ、婚約指輪を贈りたいんです」
しかし、目を上げた古庄の微笑みを見て、どちらの店員も同様に一瞬動かなくなった。
「…婚約指輪でございますね?どうぞこちらへおかけください」
呪縛を振り払うように、気を取り直した年配の方が、別の場所にあるテーブルと椅子を指し示す。そして、適当なものを見繕って、いくつかの指輪をベルベットのトレーに載せて出してくれた。
一つ一つを手に取って、真琴の指にはめてみたところを想像する。
「お相手の方のお誕生月は、何月ですか?」
「ええと…4月です」
「4月でしたら、誕生石はダイヤモンドですね。…それでしたら…」
と、更にいくつかの指輪を持ってきて、トレーの上に置いた。
――…うっ!!……た、高ぇ…!!
大きな石の付いた一つを手に取ってみて、その値段に古庄は内心跳び上がった。
「ご予算にもよりますが、婚約指輪でしたら宝石があしらわれた物が一般的です」
そんなアドバイスを受けながら、懐具合を考慮して、真琴が仕事中も着けていられるように、小さなダイヤモンドの付いたシンプルな指輪を選んだ。