二人の時間 Ⅰ
修学旅行も、それからは事件が起こることもなく、真琴の体調も特に変わったこともなく、無事に全ての日程を終えた。
古庄は改めて校長からこっぴどく叱られて、携帯電話をきちんと携帯することを義務付けられたが、習性はそう簡単には変えられず、相変わらずだった。
通常授業が再開され、穏やかな普通の生活を送る中で、二人が結婚しているという〝秘密〟を知ってしまった同僚たちから、微妙な変化が醸し出される。
今までと同じように二人がいたわり合って、協力し合っている場面があると、同僚たちは今までとは違って、その様子を窺いつつ、そっと見守るようになった。
そして、少しずつ大きくになっていく真琴のお腹を見ては、その中にいる赤ちゃんの成長を、いっそう楽しみにしてくれるようになった。
しかし、真琴も古庄もおっとりしているのか、自分たちの秘密が知られていることに、いっこうに気が付く様子もない。
ただ、態度が変化したのは、平沢だ。
以前は、職員室だろうが所構わず古庄にベタベタして、古庄は真琴の顔色を窺うのに大変だったのだが、それがピタッとなくなった。
古庄はそれを不審に思うこともなく、平沢がそうしなくなったことに気付きもしなかった。
それほど、今の古庄には真琴しか見えておらず、真琴とそのお腹にいる我が子の存在だけが全てだった。
表面的には何も変化がなく、その内面が著しく変動していたのは…、佳音だ。
修学旅行で事件を起こしてからも、佳音は古庄に謝罪をすることはなかった。
古庄も佳音に謝罪を強要することも、事の詳細を詮索することもなく、
「…無事に見つかったんだから、それでいい」
と、一言そう言っただけだった。
しかし、佳音は放っておいたら、もっと大変なことになる…。
自殺とまではいかなくとも、自傷行為を繰り返すか。夜の街をさまよい、ドラッグにはまって身を落としてしまうか…。
そう感じていた古庄は、佳音とは修学旅行が終わってから、じっくりと向き合うつもりだったが……。
やはり佳音はその後も、依然として登校して来なかった。
佳音は、自分のせいで古庄を大変な目に遭わせたという負い目があって、古庄を直視できなくなった。
いっそのこと怒鳴られて叱ってくれでもしたら、素直にその場で謝ることもできたかもしれない。でも、古庄はそうしてくれなかった。まるで腫物を触るかのように、そっとされ続けた。
佳音の心は古庄を恋い慕って求めているのに、反面、古庄の顔を見ることさえ辛くなり、いっそう足は学校から遠のいた。
それでも、佳音の中に灯り続けている、一つのほのかな灯りがある…。
『森園さんがいなくなったって聞いて、古庄先生は血相変えて真っ先に探しに行ったから――』
あの雪の日に、石井から教えてもらったこの事実――。あの日から佳音は、この言葉を頼りに生きているようなものだった。
真っ先に動いてくれたということは、その時だけは古庄の中で自分は一番になれた。血相を変えてくれたということは、それだけ自分のことを大事に思ってくれているということだ。
何よりも、自分を探してくれていた時間だけは、古庄は自分のことだけを考えてくれていた。
そうやって、自分を励ますように考えていると、ますます古庄への想いが募ってゆく。行き場のないその想いは、佳音の心の中で暴れ始めて、佳音はもうそれに耐えられなくなる。
修学旅行から帰って、10日も経とうかと言うその日、ずっと学校にやってこない佳音を心配して、古庄が家庭訪問に来た。
いつものように、母親が玄関先で対応する。
元気にしているか、変わった様子はないか、など古庄は母親に質問しているが、問題を抱える佳音に初めから関わろうとしない母親に、それが分かるはずもない。
「森園!先生、お前の顔が見たいんだけどなぁ!」
古庄は、家の奥、リビングの方に向かって叫んでみた。
リビングから息を殺して古庄の気配を窺っていた佳音は、それを聞いてビクッと体をすくめる。
だけど、誰でもない、自分にかけてくれている古庄の言葉は、その心に沁み通っていく。
ずっと聞きたかった好きな人の声だ…。少し勇気を出して足を動かしたら、古庄の麗しい姿を見ることができる…。
佳音が逡巡している間にも時が流れ、古庄は落胆の息をもらす。
「あの、それじゃ…これ。僕の携帯電話の番号です。佳音さんにこれを知らせておいてください。そして、何かあったり、助けがほしい時には必ず連絡するように伝えてください」
古庄は母親に一片のメモ用紙を渡して、玄関のドアを開けて出て行った。
これまで、他の生徒には絶対に教えてこなかった携帯電話の番号だ。
それを母親から受け取った佳音の表情は何も変わることはなかったが、心はとても嬉しくて震えていた。
…古庄の中の特別な存在になれた気がして。




