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秘密 Ⅳ

 

 しかし、その事実をどうしても受け入れたくなかったのは、平沢だった。



「それじゃあ…、賀川先生は、ずっと私たちに嘘をついていたってことですか?」



 嘘をついていたのは古庄も共犯なのに、真琴の名前だけ上げたのは、平沢の中に古庄を恋い慕う心があればこそ。


 それに対して、校長が渋い顔をして答える。


「嘘をつく…と言うより、結婚のことを内密にしたのは、私の指示だ。彼女の意志でそうしてたんじゃない。それに、強引に結婚してしまったのは、古庄の方だよ。彼女はもう少しゆっくり…と思ってたらしいね」



「確かに、あの真面目な賀川さんがそんな秘密を抱えるなんて…。周りの人たちに嘘をつかなければならなくなって、きっと苦しんでいたに違いない…」



 石井が真琴の気持ちを推し量って、そんな風に代弁してくれる。



「古庄くんが、それだけ賀川先生に惚れてるってことなんだろうな…。古庄先生はあれだけのイケメンだから、君が彼にお熱なのは解るけど、いい加減現実に気づいた方がいいかもね。賀川先生を逆恨みするのもお門違いだよ」



 人目をはばからず古庄に色目を使っていた平沢に、いいかげん辟易していた戸部は、そう言ってピシャリと彼女を牽制した。

 平沢はもうそれ以上何も言えず、複雑な感情をグッと呑み込むしかない。



 そして、校長が真剣な形相で、一同に向き直る。



「…とにかく、今はまだ、二人の結婚のことが露見すると学校は混乱するだろうから、このことはこの場にいる先生方の胸に留めて、一切他言しないようにすること。飲み会や内輪での話でも、このことは話題にしてはいけません。本人たちに確認してもいけません。これは、校長命令です。いいですね!」



 一人一人と目を合わせて校長が確認すると、平沢を含めた教員たちは、無言で頷いて了承した。


 でも、ここでこうやって約束を取り付けても、どこからどうやって秘密がほころぶか分からない。


 真琴と古庄が一緒に働ける残りの1か月半、何事もなく過ぎて行ってくれることを、校長も願わずにはいられなかった。




 校長が他の職員たちを足止めしてくれて、古庄は、真琴と二人きりになれるように校長が計らってくれたと思った。


 ロビーから廊下を伝いエレベーターホールへ、角を曲がって人目がなくなると、古庄は自分の体が疲れ切っていることも忘れて、前を歩く真琴に駆け寄った。


 駆け寄ると…、もう自分が制御できなくなって、真琴を背中から抱きしめた。



 真琴は一瞬ビクッと身をすくめたが、すぐに自分を抱きすくめている腕の持ち主を察して、立ち止まった。



「……会いたかった!…ただ、君に会いたかった…!」



 真琴の耳元で古庄が声を絞り出すと、真琴の目にはまた涙が浮かんでくる。


 もう古庄も戻って来て、何も心配することなどないのに、どうしてこんなに涙が溢れだすのか、真琴自身にも分からなかった。

 涙で揺れる目で、自分を抱きしめる古庄の手に視線を落とし、そっと自分の手を重ねて囁いた。


  「…この手も…、足も…。どんなに冷たかったか…。あの吹雪の中で…、どんなに寒かったか…。なのに、私は何もできなくて…、あなたを助けてあげられなくて……ごめんなさい」



 自分がどんなに心配して辛い思いをしたのかは言葉に出さず、そんな風に言ってくれる真琴の言葉を聞いて、古庄の喉元には言いようのない感情がせり上がってくる。


 申し訳なさと、愛しさと切なさと…。


 古庄の目には涙が滲み、いっそう強い力で真琴を抱きしめる。



 どんなに冷たい風雪にさらされるよりも、古庄にとって真琴に会えなくなることの方が怖かった。

 真琴を失ったら、その時こそ自分のこの命は尽きてしまうと思った。



「君が謝ることなんて、一つもない」



 古庄は真琴の正面に回り込んで、真琴の涙で濡れた顔を覗き込んだ。



「むしろ、君がいてくれたから、俺は戻って来れたんだよ。あの雪の中でも、君はずっと俺の名前を呼んでくれてたし、君にもう一度会うことだけを思って、雪が止むまで俺はじっと眠らずに待てたんだ」



 古庄の言葉を聞いて、真琴は古庄の顔をじっと見上げた。



「…私が呼んでいるのが、聞こえましたか?」


「うん、聞こえたよ」



 真琴が安堵したように目を閉じると、その目から再び涙が零れ落ちた。



 古庄が側にあったエレベーターのボタンを押すと、すぐに近くのドアが開いた。真琴の肩を抱いてその中へと滑り込むと、ドアが閉まるのを待って真琴を抱きしめる。



「こんなになるまで泣いて…。こんなに心配させて、すまなかった…」



 古庄は真っ赤になった真琴の目元を見下ろして、まだ流れ出してくる涙をそっと拭った。

 真琴はそっと首を横に振り、古庄を見つめてやっと微笑んだ。



「無事に帰って来てくれると信じてました…。本当に良かった…」



 ドアが再び開くまでの短い時間、二人はそっと唇を重ねた。

 ずっと求めていた温かさを確かめるように、でも、それ以上情熱が高まらないように。



 今はただ、こうやってすぐ傍にお互いの存在がいるだけで、満ち足りていた。




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