夫婦げんか Ⅰ
そして、この日の学年会議中に、古庄の頭の中にはもう一つ新たな問題がもたげてきた。
議題は、2月の上旬に行われる修学旅行のことだ。
修学旅行の担当になっている戸部が、旅程を提示しながら説明をしている。
旅行中の様々な係分担などを確認して、細かいことを詰めていく途中で、古庄はその係の中に真琴も配置されていることに気が付いた。
真琴のつわりはかなり落ち着いてきたようだが、やはり修学旅行に同行するというのは、真琴の体に大きな負担がかかるだろう。
古庄は、“妊娠”が体に与える影響の大きさを目の当たりにして、真琴が無理をすることが怖くなった。
この係分担も昨年中に組まれていたものらしく、当然真琴が“妊娠中”であることなど考慮されていない。
けれども当の真琴は、「係の負担を減らしてくれ」などと言い出すはずもなく、修学旅行に向けて意欲満々だ。
そんな真琴を見て、この日の古庄はそのまま何も言い出せず、真琴に対する不安を、その場では自分の中に収めた。
逆に、会議の終わった後、戸部から佳音のことを確認される。
「先生のクラスの森園、まだ参加届が出てないけど、行く気あるの?ないならないで、意志表明してほしいんだけどね」
旅行業者とも打ち合わせをしなければならない戸部は、参加人数が確定しないことに困っているようだった。
不登校でなくとも、家庭の事情などで修学旅行に参加できない生徒は、少ないけれど他にもいる。だから戸部にとっては、仮に佳音が参加しないとしても、大した問題ではないようだ。
でも、古庄の中ではそういう風に処理できない。佳音が修学旅行に参加しないのは、〝自分〟とのことが原因だなんて、もってのほかだった。
修学旅行の積立金はしているはずだから、何としても佳音を説得して、参加はさせなければならない。
「早急に確認してみます。多分参加すると思うので、そのように進めておいてください」
そう言って戸部には返答したが、もうあまり時間はなく、これ以上待たせると戸部にも迷惑をかけてしまう。
古庄は後ろ頭を掻きながら、思案に暮れた。
とりあえず、佳音のことは早急に解決しなければならない。古庄は何度か佳音の家に足を運び、再三にわたって電話をしてみたが、どれも空振りに終わった。
もしかしてまた、夜の街をさまよっているのかもしれない…。
一向に学校に出て来る気配のない佳音が修学旅行に参加するつもりなのかどうか。それも悩ましいところだったが、そのことよりも古庄の気がかりの大半を占めているのは真琴のことだった。
そして、古庄はこの怖れを、とうとう自分の中だけで収めきれなくなってしまう。
週初めのこの日、修学旅行の打ち合わせをするため、小会議室には2年部の担任と旅行に同行する職員たちが集まった。
まず参加人数の確認がなされるときに、古庄は戸部から念を押される。
「森園佳音の参加の確認はいつ取れますか?とりあえず申し込んでおくことはできるけど、一旦申し込んでしまうと、参加しない場合でも、参加費の全額返還が出来なくなりますよ?」
これに対し、何とか佳音が参加できる可能性を残しておきたい古庄は、汲々としながら取って付けたような言い繕いをするしかない。
「実はまだ森園と連絡が取れてなくて…。でも、必ず参加させます。1日か2日中には必ず確認を取ってお答えします」
「…お願いします」
その会話の後、最終的な係の動きなどを確認していく作業になった。
引率していく教員の中で、男性教員は大勢いるのに、女性は真琴ともう一人の女性の担任である石井しかいない。
女子生徒の生活全般に関することは、真琴と石井の二人で全てをこなさねばならず、入浴の監督や各部屋の見回りなど、男性教員よりもずいぶん負担が重くなる。
そのことを懸念して、我慢できず古庄が口を開いた。
「…賀川先生の負担が大きすぎませんか?普通の体じゃないんだから、もう少し係の仕事も減らした方がいいんじゃないかと思うんですが…」
打ち合わせの中での古庄のこの発言に、その場に居合わせた10数人の視線は、一斉に古庄へと集まった。
はす向かいに座る真琴も、当然目が飛び出さんばかりに驚いた顔をして、古庄を見つめ返している。
「…そう言われれば、そうかなぁ?…と言っても、賀川先生の担当は、女の先生じゃないとできないことばかりだし…。減らしてしまうと、今度は石井先生が一人でそれを請け負うことになるし…」
係分担を決めた戸部は、その一覧表を見ながら頬を掻いた。




