クリスマス Ⅲ
「……わかってます。でも、賀川先生のことが、好きなんです。自分でもどうしようもできないんです」
「…それに、高原先生だって知ってるでしょう?私が婚約してるって…」
畳みかけるような真琴の言葉に、高原は諦めてくれるどころか、いっそう腕の力を強めた。
「でも…!結婚はしてないから、まだ間に合います!もう一度僕とのことを考えてください」
同じような言葉を、同じような状況で、かつて真琴は聞いたことがある。
想い人が結婚することは分かっているのに、それでも想いが募ってしまう恋心は、真琴も経験済みだ。
心が切り刻まれるような切なさは、言葉では表現できないほど辛かった。
初めて「好きだ」と言ってくれたあの時の古庄と同じように、高原は想い、抱きしめてくれているのかもしれない。
でも、真琴の心はあの時と同じではなかった。あの時、真琴は抱きしめてくれていた古庄のことが、どんなに辛く痛みを抱えようとも、心の底から好きだった。
そして今は、あの時よりももっと強く深く古庄のことを愛している。
「今まで出会った他の人に、こんな気持ちを感じたことはありません。僕には賀川先生しかいません」
高原の言葉を聞きながら、真琴は大きな胸の鼓動を伴う動揺の中で考えた。
どう言えば、彼の想いには応えられないと解ってもらえるのかを…。
「……私にプロポーズしてくれた人も、高原先生と同じように言ってくれたわ…」
「違います!その人より、僕の方が絶対に…!僕よりも賀川先生を深く想ってる人間なんていません」
それまでずっと気持ちを押し殺して我慢をしていた高原は、腕を解いてくれるどころか、感情の緒を切らしてその想いを爆発させた。
「うん…。そうかもしれない。私をそんな風に想ってくれることは、感謝してる。……でも…」
その後に続く言葉がとっさに出てこなくて、真琴は言いよどんだ。
そして、その〝事実〟を告げることしか思い浮かばず、覚悟を決めて大きく息を呑みこむ。
「……私のお腹の中には赤ちゃんがいるの…」
自分の腕の中から発せられたこの告白を聞いて、高原は声にならない驚きを表すように、動かなくなった。
「私はこの子の父親のことを誰よりも愛してるし、この子のためにも幸せな家庭を築きたいと思ってる…」
高原は真琴を捕らえる腕に力が入らなくなり、顔色を変え、真琴の顔をただじっと見下ろした。
「近いうちに籍も入れるし、妊娠していることも年明けには公表するつもりよ」
そう言いながら真琴は、高原の腕からそっと抜け出し、2,3歩後ろに下がって向き合った。
「高原先生には、そんな風に人を想える心があるんだから…。これから、高原先生を一番に想ってくれる人に必ず出会えるはずだから…。その人に出会えた時には、そんな風にその人のことを想ってあげてね」
高原の真剣な想いに、同じ想いは返せないけれども、誠意だけは解ってもらいたい…。そう思って、真琴は真っ直ぐに高原を捉えた。
「……人の心は、そんなに簡単じゃありません……」
真琴への想いどころか、人生の全てを諦めてしまったような目で、ポツリと高原がつぶやく。
「…そうね。私も経験があるから、そう思うのは解るけど…。あなたを幸せにできるのは私じゃない。高原先生には、自分が幸せになれる道を探していってほしいと思ってる…」
どんなに言葉を尽くしても、どんな風に抱きしめても、真琴には自分の想いが届かないと高原は悟った。
その悲痛な面持ちは、テニスや授業をするときの明るさからは想像もできないほどだった。
高原は唇を震わせ、それを引き結んだ。そして、微かに頷くように目を伏せると、真琴に背を向け、教室を出て行った。
真琴は一人残された教室のまん中で、大きな溜息を吐いた。同時に、高原を傷つけてしまったことに対する罪悪感が募ってくる。
古庄への想いと秘密の結婚のことばかりに気を取られて、高原のことを適当にあしらおうとしたことは否めない。
最初に告白された時に、もっときちんと高原と向き合って、もっと深く話をして理解してもらっていれば、高原もずるずると想いを引きずって辛い思いをしなくて済んだはずだ。
古庄が前に言っていたこと――。
『なまじ気を持たせると、後が厄介だ』
というのは、こういうことを言うのだろうか。
いつも古庄が女子生徒から告白されてそれに答える時のように、非情のようでも自分の気持ちをはっきりと表現しておくべきだったのだ。
あの時は高原を傷つけたくないと、優しい言葉を選んで遠回しに答えてしまったが、それがいっそう高原を傷つけることになってしまった。
真琴はいたたまれなくなって、両手で顔を覆った。滲みだしてきた涙で、手のひらが濡れる。
妊娠している決定的な事実を告げたことは、どれほど高原に衝撃を与え、その心を踏みにじったのだろう…。
けれども、〝婚約者〟がいるのに諦めきれなかった高原には、ああでも言わなければ、またずるずると想いを引きずらせることになる。今度こそ、高原は想いを断ち切れたに違いない。
「…助けてくれて、ありがとう……」
真琴は顔を覆っていた両手を自分のお腹にあて、そこに向かって囁きかけた。
真琴の中で息づく古庄の一部は、古庄が傍にいないときでも、こうやって真琴を助けてくれた…。
そして、もうこのことは隠しておけなくなる。
結婚しているということは明るみになるが、赤ちゃんの父親が古庄だとは明かせず、今よりもいっそう息苦しい〝秘密〟に縛られることになる。
真琴は両手でお腹を包み込んだまま目を閉じ、深い呼吸を繰り返す。
それから、覚悟を決めたようにまぶたを開くと、職員室へと戻った。




