俺のものだ! Ⅰ
――いっそのこと、真琴がすでに“売約済み”だという印を付けられたらなぁ……
そんな風に思ったのは、木曜日の昼下がり、授業の空いてる5時間目だった。
そこで、今更ながらに古庄は気が付いた。“指輪”というものの存在を。
結婚指輪は着けられないにしても、婚約指輪だったらどうだろう?何も語らずともそれを着けているだけで、十分に結婚する相手の存在を示すことはできる。
――でも、指輪って、どうやって買うものなんだ?
かつて、真琴の親友の静香と結婚寸前まで行った時には、確かに“結婚指輪”が用意されていた。けれどもそれは、代金を支払っただけで、古庄自身が選んで買ったものではなく、式や全てにおいて周到だった静香が用意したものだった。
静香のことを思い出すと、彼女に対する後ろめたさと真琴の悲しみを彷彿として、心の奥がチクリと痛む。
しかし、一度は結婚を決めていた静香に対しても、古庄はそんな感じだ。プレゼントで女性の気を引かずとも、常に女性の方から寄って来られたこともあって、当然今までの人生で、女性に指輪はおろか宝飾品の類を贈った経験はなかった。
それでも、戸惑ったり躊躇している猶予はない。自分の心の安定のためにも、一刻も早く真琴に指輪を贈って着けてもらわなくては。
古庄はキョロキョロと職員室の中に目を走らせ、ある人物に視線を定めると、早速行動に移した。
「谷口先生…。ちょっと今、いいかな?」
古庄と同年代の谷口は、真琴の親友で女子会仲間だ。
遅めの昼食をとり、お茶を飲んでいたところの谷口に声をかけて、印刷室に連れ出す。古庄の意味深な行動に谷口も、眉を寄せながらも異を唱えることなく付いて来た。
「単刀直入に言うと、指輪を贈りたいんだ」
印刷室に誰もいないことを確かめて、開口一番古庄がそう言った。
それを聞いて、谷口は目を見開いた。そしてにわかに頬をバラ色に上気させて、生唾を呑み込んだ。
「……私に?指輪をくれるの?それって、つまり古庄先生は私を……」
歓喜を漂わせ胸の前で手の指を組み、現実を確かめる。
「………え?…誰が、君に指輪をあげるって…?」
古庄は怪訝そうな顔をして、逆に谷口へと質問した。
谷口の眉間に、再びシワがよる。
「……ちょっと、そんな嫌な顔しなくてもいいじゃないの。大体、そっちが誤解するような言い方するのがいけないのよ」
谷口は誤解の中にある願望を押し隠すように、乙女のポーズを解き、腰に手を当てて古庄を睨みあげた。
「いや、それは、…すまない。だけど、教えてくれないかな?指輪の買い方…」
古庄が小さくなりながら訊き直すと、谷口はその言葉の意味を考えて、目を瞬かせた。
「…何?古庄先生、また結婚するの?」
「『また』って…!俺は今まで一度も結婚なんかしたことないぜ」
真琴と結婚していることは知られていないはずだから、谷口の認識では古庄はまだ独身者のはずだ。
「そうか、式の直前でやめたんだっけ…。でも、その時に指輪を買った経験があるでしょ?」
「…それが、俺は買いに行かなかったんだ。前の時は全部任せてたし…」
「ふーん、じゃ、相手の人はサイズとかどうしたんだろうね?」
「サイズ?」
「指輪はサイズが合ってないと。大きすぎてもすぐ抜けちゃうし、小さすぎても入らないし」
「…なるほど。そのサイズって、どうやって測ればいい?…できれば、本人に知られないように…」
真琴の思考を想像するに、古庄が「指輪を贈りたい」と言っても、結婚を秘密にしなければならない以上、真琴が「いらない」と判断するのは歴然としている。
指輪を贈るのならば、真琴に知られないように準備する必要がある。
「…さあ?眠ってるところを、こっそり測るとか?お店とかに行くとリングサイズのゲージがあるんだけど、当然手元にはないから、糸とかで測ってお店に言えば判るんじゃない?」
「糸で、どうやって測るんだ?それに、そんな指輪を買うお店って…?」
「ンもう…!お店は適当なところを後で教えてあげるから、サイズの測り方はネットででも調べてご覧なさいよ」
いろいろと質問責めにされて、谷口も些か面倒くさくなり、そう言って突き放した。
自分がモーションをかけた時には全く無視状態なのに、こんな時には頼ってくるなんて都合よすぎる…と、谷口は古庄を少しいじめてやりたくなる。
「…それよりも、古庄先生。本当に結婚するの?イケメンだと、次々にお相手が見つかっていいわねぇ。それで?今度の相手は誰?」
谷口の好奇心に火がついて、目がらんらんと輝いている。谷口にこんな風な言われ方をすると、自分は顔がいいだけの中身のない男のような気がしてくる。
――…訊く相手、間違えたかも……
でも、こういうことに疎い古庄は、誰がこういうことに詳しいかも知らない。見るからに派手な様相で、指輪なども常に身に付けている谷口だったらきっと知っているだろうと、短絡的に考えて行動しただけだ。
「そのうち、皆にもきちんとお披露目する時が来るから…」
この詮索好きの谷口に真実が知られてしまったら、真琴だけでなく学校中を巻き込んで大変なことになる……。
古庄は苦く笑って、そうお茶を濁すしかなかった。




