クリスマス Ⅰ
「古庄先生のクリスマスのご予定は?今年は指輪を贈った婚約者と、甘~い夜を過ごすんでしょうね?」
クリスマスも間近に迫ったある日。職員室の片隅でコピーを取っていた古庄に、同じくコピーを取りに来た谷口がヒソヒソと声をかけてきた。
谷口にとっては、この話題も古庄と共有できる貴重な〝秘密〟だ。
指輪の件以来、谷口から疑いの目で見られていることには、古庄だって気付いている。きっとまた、探りを入れようとしているに違いない。
古庄は一瞬眉をしかめたが、コピーを取る手は休めず、無感情の微笑みを装って谷口に視線を向けた。
「さあ?まだ何も考えてないよ…っていうか、クリスマスなんか関係なく、いつも甘~く過ごしてるけどね」
「……は?!」
古庄が切り返した途端、谷口は赤面して言葉につまる。けれども、谷口だって、これくらいで恥ずかしがって、やり込められるような女ではない。
「ヘェ~、それはそれはアツアツなのね。ごちそうさま。それで?その愛しの婚約者に贈った指輪だけど。どんな指輪にしたの?」
そう訊かれて、古庄は手を止めて、谷口に向き直った。
歴然と詮索している。
このまま谷口のペースにハマってしまって本当のことを言おうものなら、真琴のことがバレてしまう。
「どんなって…、別に普通の婚約指輪だよ。ダイヤが真ん中についてるプラチナの…」
このくらいの説明なら、真琴がはめている指輪と整合させることは難しいだろう。しかし、敵もさる者、そのくらいでは引き下がらない。
「じゃあ、指輪に刻印はした?なんて、刻んでもらったの?」
「……なんでそんなこと、聞きたいの?」
古庄は逆に質問する。
谷口が後で真琴から指輪を見せてもらって、ここで言ったことと照らし合わせるのは、火を見るよりも明らかだ。
「いいじゃない。指輪買うのに協力してあげたんだから、そのくらい教えてくれたって」
「それは…」
何と言って答えようか、古庄は少し言葉をためた。
「実を言うと、はっきりと覚えてないんだ。今度確認してから教えてあげるよ」
そう言いながら苦しい言い訳をごまかすように、いつもの極上の微笑みを忘れなかった。
すると谷口は案の定、
「なんだ、そうなの…」
と、顔を赤らめさせて、それ以上は詮索しなかった。
けれども、谷口のこの詮索は、古庄の思考に〝クリスマス〟を意識させる。
――確かに、今年のクリスマスは、二人っきりで過ごせる最初で最後のクリスマスなんだよなぁ……。
授業の入っていないその日の午後、古庄は新聞を読みながらそんなことを思った。
去年のクリスマスは、結婚どころか恋人同士でもなかった。
想いは通じ合っているのに、真琴が女友達だけでクリスマスパーティをしているらしいのを、古庄は羨ましく思いながら傍で見ているしかなかった。
そして来年は、我が子が生まれている。
もうハイハイを始めるころだろうか。その我が子を囲んで3人で過ごすクリスマスを思い描いただけで、その幸せに古庄の顔はニンマリと緩んだ。
独り身を楽しんでいたいつもの年なら、クリスマスのことなんて頭に過りさえしなかった古庄でも、愛する伴侶を得たならば思考も変化する。
愛しい真琴を幸せという真綿でくるんで、思いっきり甘い時間を二人っきりで過ごしたい…。
そこまで思いが及ぶと、白昼の職員室にいるにもかかわらず、男ならではのスケベ心も騒ぎ始める。
キャンドルのほのかな明かりの中で真琴と抱き合い、真琴が甘い吐息をつきながらキスしてくれることを想像して、古庄の息は荒くなった。
その時、どこかへ行っていた真琴が、自分の席に戻ってくる。古庄はビクッと我に返り、居ずまいを整えて新聞を持ち直した。
そんな古庄を、真琴は椅子に腰かけながら不思議そうに覗き込んだ。
「どうかしたんですか?」
「…いいや、何も」
スケベな想像は取り払って、対照的で爽やかな笑顔を作る。すると真琴は、その不自然な爽やかさに訝しそうな顔をしたが、何も言わずに自分の机に向き直り、一つ溜息を吐くと仕事を始めた。
その深い溜息に、真琴の言葉にならない〝疲れ〟がにじみ出ている。
依然として真琴のつわりは続いており、古庄はそれをどうしてあげることもできないもどかしい日々が続いていた。
今の真琴は、クリスマスケーキを食べるどころか、その甘い匂いを感じただけで吐き気を催してしまいそうだった。
ましてや、愛し合うことなんて…もってのほかだ。
それでも、何もしなくても、一緒にいることはできる。真琴がつわりで辛い思いをしている分、真琴の手足になるように尽くして、心地いい環境を作って、愛の言葉を囁いて…。
少しでも真琴が喜んでくれるのならば、古庄は何だってするつもりだった。




