やきもち Ⅱ
どこをどんな風に運転して、帰宅したのかさえも思い出せない。
真琴はアパートの部屋に入ると、買い物してきた食材を放り投げ、通勤用のバッグも放り投げ、ベッドへと倒れ込んだ。
いきなり、地面の中に引き込まれていくような疲労感が襲ってくる。
本当は、帰ったらすぐに食事を作ろうと思っていたけれど、何もする気が出なかった。
どちらにしろ、古庄は夕食を食べて帰ってくる。
――生徒は、森園さんだけじゃないのに…。あそこまでしてあげることないのに……。
そんな風に自分の中に渦巻く思いがはっきりしてくると、真琴の目から涙がこぼれた。
こんな思いが自分の中にあるなんて、自分でも肯定したくない。これではまるで、生徒の佳音にやきもちを焼いているみたいだ。
どうしてこんなに、自分の中に負の感情が充満しているのかさえも分からない。自分の卑屈な心も嫌になってきて、感情がめちゃくちゃになってくる。
情緒不安定になっているのは佳音だけではなく、真琴も同じだった。
真琴は、古庄が帰ってくるまでに、何とかして自分を制御しようとしたけれども、なかなか上手くいかなかった。
暗い部屋の中ベッドの上で、滲みだしてくる涙を繰り返し、ただ拭うことしかできなかった。
すると、一時間もしないうちに玄関のチャイムが鳴った。きっと、古庄が帰ってきたのだろう。
でも、こんな泣き顔を見られたくないし、今古庄の顔を見てしまうと、自分でも理解不能のこの感情が爆発してしまいそうだった。
古庄が合鍵を使って入ってくる音が響いて、真琴はとっさに壁の方へと寝返りを打った。居間の方の照明が点けられ、ベッドのある隣の部屋も漏れてきた明かりで照らされる。
「……真琴?帰って来てるのか?」
優しく語りかけてくれるこの声に、真琴の涙はもっと溢れてくる。真琴は泣き声が立たないように我慢するのが精いっぱいで、何も答えられなかった。
古庄は、ベッドに横たわっている真琴を見つけ、側にひざまずいて覗き込む。
「真琴?どうした?具合が悪いのか?」
真琴は泣き顔を見られまいと枕に顔を押し付け、微かに頷く仕草を見せた。
「そうか……可哀想に……」
と言いながら、古庄は優しく髪を撫でてくれる。
このまま古庄の方へと向き直れば、古庄は抱きしめてくれるだろう。求めれば、キスも愛撫もしてくれるかもしれない…。
しかし、真琴はそうしなかった。
佳音と会っていたばかりの古庄には、抱きしめられたくない。枕に顔を押し付けたまま、唇を噛みしめた。
「…飯は食えそうか?」
食事のことを訊かれて、佳音と楽しそうに食事をする古庄の姿が真琴の頭に過り、それがまた癇に障る。
「和彦さんは食べて帰ってきたんでしょう?」
「俺が?飯を?…どうして?」
古庄の悪びれない素直な疑問を聞いて、真琴は古庄がそのことをごまかそうとしていると思い込んだ。
「……森園さんとファミレスにいるところを見かけました」
真琴がそういうのを聞いて、古庄は真琴が珍しくヘソを曲げていることに勘付いた。焦って弁解しては逆効果と、つとめて優しくなだめるように、真琴の言葉に答える。
「あれは…、森園がいつも一人で飯を食っているって聞いたから…。でも、俺は君と食べるつもりだったから、食べてないよ」
事の真相を聞いても、真琴の胸の中のモヤモヤは晴れなかった。
あそこで古庄が食事をしたかどうかは、大した問題ではない。問題なのは、佳音と一緒にいる時の古庄の楽しそうな笑顔だ。
「……でも今日は、夕食を作れそうにありません」
言葉にトゲがあることは真琴自身も気が付いていたが、言葉の方が勝手に一人歩きを始めていた。
「うん、それは解ってる。だから、俺がどうにかするよ?何が食べたい?」
「何も食べたくありません」
にべもない受け答えに、古庄は面食らうが、気を取り直して、真琴の背中に語りかけた。
「…でも、何か食べなきゃ、君も体が持たないだろう?食べられそうなものは?果物とかだったらいいのかな?」
優しくされればされるほど、素直になれない自分が嫌になってくる。涙がどんどん滲みだしてくるが、この涙だけは絶対に、古庄には気づかれたくなかった。
「気分が悪いんです。今は何も食べられないって言ってるでしょう?もう私のことは、放っておいてください!」
真琴は古庄に背を向けたまま、枕に顔を押し付け、強い口調で言い放ってしまった。
さすがに、これには古庄も口を閉ざし、髪を撫でていた手も引っ込めた。
真琴の様子を窺うように、枕元にいる気配がする。その間、真琴は息を殺して、ずっと顔を上げられなかった。
しばらくして、古庄がため息をついて立ち上がる。遠く台所の方から、ガサガサと物音が響いてきたので、真琴が買って来て放り出していた物を、冷蔵庫に納めているらしい。
真琴はようやく顔を上げ涙を拭うと、もう何も考えられなくなり、ただぼんやりと薄明かりに浮かぶ壁紙の模様を眺めていた。
そして、あまりの疲労に耐えきれず真琴の意識は途絶え、そのまま眠りへと落ちていった。




