やきもち Ⅰ
古庄が佳音に対して、ある意味甘やかしているとも言える態度を取る理由は、真琴だって十分理解している。きっと自分が同じ立場でも、同じように対処するだろう。
でも、古庄が佳音と連れ立って職員室を出て行くのを目にするたびに、真琴の中には説明のつかないモヤモヤとしたものが蓄積されていく。
そのモヤモヤとしたものを、真琴は“つわり”で気分が悪いせいだと解釈した。
授業の時など生徒と接している時は忘れていられるこの胸の悪さも、気を張っていないときは一気に真琴に押し寄せてくる。
実際に今だって、そんな感じだ。
真琴はすぐれない気分と体を持て余して、思わず立ち上がった。少し歩けば気分でも変わるだろうと、重い体を動かして、放課後日課にしている教室の見回りへと向かう。
依然として、隣の古庄の席は空いたままだ。
ここのところ、放課後古庄がこの席で新聞を読んでいることは、ほとんどなくなった。
中庭の木々もすっかり落葉して、学校はもう冬の装いを始めている。
日はすでに落ち、薄暗い校舎を歩いて、ひんやりとした空気を吸うと、幾分気分も落ち着いてくる。
教室に残っている生徒達と言葉を交わせば、その時だけは体の重さも少しは和らぐ。真琴のクラスの教室には、有紀と数人の女の子たちが、残って勉強をしていた。
「先生。この頃、体調は大丈夫?」
教卓のプリント類の整理をしていた真琴に、有紀が尋ねてくる。
生徒の目の前で二度も倒れたとあっては、有紀でなくとも心配をして当然だ。情けないやら、恥ずかしいやら。真琴は、肩をすくめて小さくなって頷いた。
「うん。ちゃんとお医者さんに行って、貧血の治療をしてるから大丈夫よ」
産科の医師からは、妊娠中でも飲める貧血の薬を処方されているので、嘘は言っていない。
「やっぱり貧血だったんだ。大変な病気じゃなくて良かったね。でも、まだちょっと顔色悪いね」
貧血はずいぶん改善されたけれど、つわりだけは妊娠していることへの体の自然な反応なので、どうにもならなかった。
真琴は思わずお腹に手を当てて息を吐き、生徒たちに心配させないように笑顔を作った。
それから、他愛もないおしゃべりに付き合わされて職員室に戻ってきた時には、外はすっかり暗くなってしまっていた。
それに、今日は金曜日だ。早く帰って、古庄と一緒に食べる夕食を作らなければならない。
そのことに気が付いた真琴は、そそくさと帰り支度を始めた。
隣の机にやはり古庄の姿はなかったが、先ほどとは違い簡単に片づけられ、いつも置いてある新聞がなくなっている…。
――…部活にでも行ったのかな…?
だったら、古庄はきっとお腹を空かせて帰って来る。
真琴は重い体を奮い立たせて、家路を急いだ。愛しい人に、喜んでもらうために。
いつも真琴の作った料理をおいしそうにぺろりと食べあげて、満足そうに笑ってくれる…そんな古庄の笑顔を思い浮かべると、真琴の体は芯から温かくなって、自然と力が湧き出てきた。
それから真琴は、いつもの金曜日のように、スーパーに寄って買い物をした。
アジを買ったので南蛮漬けにして、あとの副菜を考えながら、車を走らせる。少し遅くなってしまったので、あまり手のかかったものは作れないと思いながら。
そんな風に急いでいる時に限って、信号に引っかかり、真琴は車を停車させ溜息を吐いた。
ふと、道路沿いにあるファミレスに目をやると、暖かな光が漏れている。
その中で食事をする人たちの姿に、真琴の意識が止まった。
そして、その中の一人に、真琴の目はごく自然に吸い寄せられて……そこから視線を動かせなくなった。
それは紛れもなく、古庄だった。
古庄が誰かと向かい合って、食事をしている。
今日はどんなことがあっても一緒に過ごすと約束した金曜日だと、忘れてしまっているのだろうか…。
信号が変わり車を発進させながら、古庄の向かいに座る人物を確かめる。
するとそこには、笑顔で楽しそうに何かを話しかけている佳音の姿があった。
真琴の息が止まる。
それに引き替え、胸の鼓動はどんどん大きくなっていく。
古庄が佳音と一緒にいる理由は解っている。
家に帰っても寂しく、もしかして食事もままならない佳音のために、食事を共にしてあげているのだろう。
それとも、佳音の身に、すごくダメージを伴うような出来事があったのかもしれない…。
そんな風に目の前の出来事を、自分に説明をしたけれども、真琴は無意識のうちに動揺していた。




