新しい命 Ⅱ
佳音はあれからいっそう休みがちになった。
たまに学校へやってきた時には、授業の時以外は必ず古庄の所に姿を見せた。その表情は、やはり繊細なガラス細工のように、今にも壊れそうで…。
古庄の側を離れない佳音を、苦々しく思う女子生徒が大勢いるのと同様に、職員室に入り浸る佳音をうっとうしく思う教職員もいたが、そのことについて何も言い出せなかった。
そんな教職員の視線を気にして、古庄は職員室から佳音を連れ出し、廊下だったり、時には教育相談室で佳音の相手をした。
そして古庄に恋をする佳音は、古庄がそうしてくれることが却って嬉しいようだった。
「森園の両親が、とうとう離婚したらしいよ…」
12月になったある日の職員室で、真琴は古庄の口からその事実を聞いた。ますます佳音の精神状態が不安定になるのは、容易に予想が出来た。
「親同士は、別れてしまった方がすっきりするのかもしれないけどな……」
この世に一人ずつの父親と母親が一緒にいないなんて、子どもにとっては不自然な状況に直面して、普通でいられる子どもなんていない。
「それで、森園さんは?お母さんに引き取られたんですか?」
真琴も深刻そうな表情で、合いの手を打った。
「うん、今は母親と一緒に暮らしてるらしいけど。森園が高校に通ってる間は、名前は変えないらしい。…というより、母親も今は自分のことでいっぱいいっぱいみたいだな…」
佳音の家の中のことを思い描いただけで、真琴の心は暗く陰ってくる。
他のことは何も考えられなくなるほど、〝離婚〟というものはエネルギーを費やすものなのだろう。
…いや、きっと佳音の母親だって、佳音のことをきちんと考えているに違いない。ただそれが、佳音に伝わっていないだけで…。
自分の中で育んで産み出した命を、愛しいと思わないはずがない――。
真琴は自分の中で息づいているかけがえのない存在を確かめながら、その真理を疑わなかった。
「年が明けての修学旅行…。森園さんも一緒に行けるといいですね…」
来年の2月の上旬にある修学旅行についての準備を、そろそろ始める頃だ。
しかし、集団生活になじまない生徒や不登校の生徒は、修学旅行への参加を渋ることが多い。これまでの経験から、そんな傾向が真琴の頭に過った。
「そうだ、修学旅行…。森園のことはともかく、君も行くのか?」
いきなり、そう尋ねてきた古庄に、真琴は目を見開いて視線を合わせた。
「…クラス担任なんですから、行くに決まってます。なんでそんなこと訊くんですか?」
そう問い返されて、古庄の方も目を丸くする。
「いや…、だって。君はそんな体で…無理なんじゃないか?」
そのことを指摘されて、真琴は顔色を変えて古庄を凝視し、黙り込んでしまった。
その変化した色が、不穏なものだということに古庄も気が付いて、黙って真琴の言動を待った。
しかし、真琴は何も発することなく自分の机に向き直って、何か書き物を始める。
真琴の行動の意味が分からず、古庄も極まりが悪いように自分の机へと向かわざるを得なかった。
しばらくして、真琴の手が伸びてきて、そっと古庄の机の上にメモ用紙を置いた。
『もちろん産科の医師と話し合わねばなりませんが、修学旅行の頃は安定期に入っているので、よほど状態が悪くない限り行けるんじゃないかと思います。
そのことよりも、来年の3月までにお腹も大きくなってしまうから、妊娠していることは隠しておけなくなります。「未婚」で妊娠したなんて公表できないし…』
ただ喜びばかりだった古庄に引き替え、真琴は日々変わっていく自分の体と向き合い続けていた……。
メモを走り読みして、真琴が抱えているものに、古庄はやっと気が付く。
新しい命が芽吹いたことは、喜びばかりでなく、考えなければならない問題も一緒に運んできた。真琴が言っていることは、もっともだった。
チラリと視線を向けてきた真琴の目を捉えて、古庄は頷く。
「うん。そのことについては、今度の週末にちゃんと話し合おう」
古庄のその言葉を噛みしめるように、真琴もかすかに頷いた。
その時、古庄は誰かが近づいてくる足音を聞いて、机の上にある真琴から受け取ったメモ用紙を、とっさに丸めてズボンのポケットに突っ込んだ。
真琴も、何事もなかったかのように、机に向き直って仕事を再開する。
「古庄先生……」
聞き慣れてしまったこの声。目を上げなくても、真琴には佳音のものだとすぐに分かる。
古庄が席を立つ気配を、真琴の左半身が敏感に窺った。
古庄の所へ女子生徒が来ることは日常的なことだと、自分に言い聞かせる。
それでも、真琴が思わず顔を上げてしまった時、古庄の背中は佳音と一緒に職員室を出て行くところだった。




