保健室 Ⅱ
「…私はちょっと職員室へ行ってくるけど、症状が落ち着くまでゆっくり休んで行ってね」
養護教諭はそう言うと、ベッドを取り巻くカーテンを閉め、保健室を出て行った。
放課後の保健室は、生徒が来ることもあまりなく、静けさが漂ってくる。
遠くから聞こえる野球部員の掛け声を耳にしながら、真琴が目を閉じた時、ドアが開く気配がした。
「…眠っているのか…?」
心に染み入るこの声――。
それを聞いただけで、真琴は体が震えて泣きたくなってくる。
まぶたを開くとベッドの横に、真琴が誰よりも会いたいと思っている人が立っていた。
真琴が気が付いたので、古庄は枕もとに丸椅子を寄せて座り、その顔を覗き込んだ。
「…また、君が倒れたって聞いて。大丈夫……じゃないな。顔色が悪い」
そっと頬を撫でてくれる古庄を、真琴は枕に頭を預けたまま見上げた。
「あれからも本調子じゃなかっただろ?ずっとしんどそうだった」
古庄が気付いてくれていたことは嬉しかったが、真琴は心配をかけていたことが情けなくて、言葉を返せずただ唇を噛んだ。
「一度きちんと医者に診てもらった方がいい。何か悪い病気だったらいけないし…。貧血がひどいのか?何科に行けばいいのかな?…何だったら、今からでも一緒に病院に行こう」
そう言ってくれる古庄の言葉が沁みて、真琴の胸がいっぱいになる。
けれども、それを遮るように、真琴は体を起こした。
「病院には行かなきゃいけません。だけど、こうなる原因は判ってます…」
「………え…?」
真琴の言ったことを確かめるように、古庄は改めて真琴の顔を覗き込んだ。
古庄の疑問が漂う端正な顔を見つめ返して、真琴は大事なことを告げる勇気をためた。
「……私のお腹に、赤ちゃんがいます」
真琴の顔を見つめたまま、古庄は言葉をなくす。
唇が震え、澄んで涼しげな瞳には涙がにじんだ。
掛布団の上に置かれた真琴の左手を取り、その震える唇に押し当て…
「ああ…!真琴……!!」
やっとのことでその一言を絞り出した。
そして、自分の中に充満する感覚を処理する間、目を閉じ真琴の手を握りしめた。
「…俺が今、どれだけ嬉しいか、君に解るかい…?」
まぶたを開き、再び真琴を見つめ直した古庄の目から、涙がこぼれた。
真琴も初めて目にする古庄の涙だった。
「解ります…私も同じくらい嬉しいから……」
そう答えると、同じ喜びに真琴の心も震えて、堪えきれず涙を落とした。
古庄は、その腕に真琴をきつく抱きしめたい衝動を、グッと我慢した。
ここは学校の保健室だ。
抱きしめ合う代わりに、二人はお互いの手を握りしめた。
古庄が、真琴の指に光る指輪にキスをする。真琴は自分の手を覆う古庄の大きな手に、自分の額を当てた。
依然として野球部の掛け声とバットで球を打つ音が響いている。
晩秋の柔らかい夕日が射し込む保健室で、二人は言葉もなく、小さな命が宿った喜びを分かち合った。




