保健室 Ⅰ
古庄がそうやって気遣って、心配してくれているにも関わらず、真琴の疲労はなかなかしつこく、その体の中に留まっていた。
気を張っている授業中は、普段なら疲れなど感じないのに、時折教卓に手をついて、めまいをやり過ごすようなこともあった。
さすがに、真琴本人も、これは普通じゃないと思い始める。
――私、何か悪い病気にでも罹ってるんじゃ……?!
古庄と結婚し、この上ない伴侶を得た幸福の見返りに、そのくらいの不幸が自分の身に降りかかってもおかしくない。
そんな風に思いながらも、病院に行く暇を見つけられない真琴は、自分を騙し騙しの毎日を送るのがやっとだった。
佳音とその家族の問題は、古庄とそれぞれに面談し、少しずつ事の真相が見えてきた。
「森園が夜の街に出歩いていたのは、あの夜が初めてじゃなかったって言ってたよ。森園の弟が亡くなったことで、以前からギクシャクしていた両親の夫婦仲が、いっそう険悪になったらしい。森園の存在はそっちのけで、離婚の話も出ているみたいだ」
古庄からそう話を聞き、佳音のことを思いやると、真琴の胸も痛くなる。
高校生は、親の手がかかるほんの小さな子どもとは違い、もう一人前の口も利き、心もずいぶん成長している。
とはいえ、やはりまだまだ〝子ども〟だ。〝大人の事情〟など到底理解できず、それに振り回され、心に傷を負う。
そして、その傷を癒してくれる場所や相手を求めて、さまよい始める。
でも、佳音はあれから夜の街をさまよわなくなった。
心を癒す拠り所として、何があっても自分を受け止めてくれる古庄という存在を見つけたから。それを表すように、あの一件以来、佳音は頻繁に古庄の側に姿を現すようになった。
そんな佳音の古庄を見る眼差しが変化したことを、真琴は敏感に察知する。
佳音は、古庄に恋をしている――。
それはまさしく、前に古庄が言っていたように、男の古庄には気付けなくても、女の真琴だから気付けることだった。
古庄に対して同じ想いを抱いている真琴だから、なおさら佳音の気持ちは響き合うようによく解った。
ただ単に、自分を守ってくれる人の側にいたいだけではなくて、古庄を恋い慕う気持ちと自分を否定されない安心感――。
あの古庄に抱きしめられて、「俺がお前を守ってやる」と断言されたら、佳音でなくとも誰だって、古庄に恋をしてしまうだろう。
佳音を抱きしめる古庄の姿――。古庄の中には生徒を思いやる心があるだけで、それ以上のものはない。
真琴にもそれは解っているけれども、あの光景を思い出す度に、真琴の心がざわめいてチクリと切なく痛んだ。
そして、それから程なくして、真琴の体が再び悲鳴を上げた。
――ああ、今日も終わってくれた……。
終礼の後、疲れた体を奮い立たせながら、一日のなすべきことを終えて、真琴がホッと息を吐いた時だった。
廊下を歩いていたところで、いきなり目の前が真っ暗になった。
それから自分がどうなったのか……。
真琴の意識はそこで途絶え、気がついたらこの前と同じように、保健室のベッドの上で横たわっていた。
「あら、気が付いた?…どう?気分は?」
脈を取ってくれていた養護教諭から、そう尋ねられる。
いつものように「大丈夫です」と言いたかったが、今日ばかりは難しかった。めまいがひどく頭は鈍痛に締め付けられ、吐き気までする。
けれども辛抱強い真琴は、学校で決して「しんどい」とは言わなかった。
そんな真琴の様子を見て取って、養護教諭は一つため息を吐く。
「賀川先生、やっぱり貧血がひどいみたいね。一度、病院できちんと診てもらった方がいいと思うわよ」
「…はい」
真琴は素直に頷いた。病院に行かねばならない必要性は、本人が一番分かっている。
「あの…、私、どうやってここに…?」
ここに運ばれた記憶が全くないので、また古庄が運んでくれたのかと、確認してみる。
「ああ、ラグビー部で2年生の堀江くんが運んでくれたのよ。力持ちだから、軽々とね」
「そうですか…。お礼を言っておかないと…」
堀江というのは、古庄の担任するクラスの子だ。
ラグビー部員だから、このことが今頃、部活指導に行った古庄の耳にも入っているかもしれない。
佳音のことで問題を抱えている古庄の心に、これ以上負担をかけたくないと思ったが、この体のことばかりは真琴の意志と根性ではもうどうにもならなかった。




