事件 Ⅰ
それから一週間ほど古庄は、昼は学校で真琴と一緒に働き、夜も真琴と一緒に暮して主夫業に勤しんだ。週末こそ、花園の予選があって出かけて行ったが、その時以外は真琴に一切家事をさせなかった。
真琴も、日中は普段通り出勤し普通に働いたが、家に帰るとずいぶん楽が出来た。
「もう大丈夫みたいです。クラクラしなくなりました」
風呂に入りパジャマに着替え、寝支度をしていた時に、真琴がそう切り出した。
そうは言っても、立ちくらみがかなり軽減されただけで、まだ体の芯に残る疲労感はなかなか取れそうもなかった。
それでも、真琴がそう言ったのは、このままずっと一緒に暮らしていくわけにはいかないし、古庄だけにずっと家事をさせるわけにもいかなかったからだ。
それに――…。
「本当に?大丈夫か?」
「はい。和彦さんのおかげです。ありがとうございます」
古庄に確かめられて真琴が微笑むと、古庄はその可憐な笑顔を見て、ずっと抑え込んでいた欲求の緒を切らした。
真琴の腕を引いて抱きすくめ、そのままベッドへと倒れ込んでキスをする。
「…やっぱり、一緒にいるのに君に触れられないなんて、拷問みたいだったよ」
古庄の熱い息を感じながら見つめられて、真琴も心の中で同意した。
かつては側にいるだけで息もできないほどだったのに、一度深く愛されてしまうと、再びそれを追い求めてしまう。
少し無理をして「大丈夫」だと言ってしまったのは、近くにいるのに触れてもらえない切なさに、真琴自身が耐えられなくなったからだった。
愛撫をする古庄の口ひげのざらつきを胸元に感じながら、真琴は目を閉じ、安堵のため息を吐く。
その息が徐々に熱を帯び、体の芯も痺れるように熱くなってきたとき、真琴のスマートフォンの着信音が鳴った。
同時に二人の体が、ピクリと強張った。
真琴は頭をもたげてスマホの在り処を確認したが、古庄の我慢を強いられていた欲求は、そんなことくらいでは収まらなかった。
鳴り響く着信音が気にはなるけれども、古庄がやめてくれないので、真琴は甘い呪縛から逃れられない。
発信者は諦めてくれたのか、着信音が一旦途切れた。
真琴はホッとすると古庄の頬を両手で包み、キスに応え、古庄が与えてくれている感覚の渦の中へと再び溶けていこうとする。
しかし、その途端、また着信音が鳴り始めた。
真琴はもう集中できなくなり、二人の甘い時間どころではなくなった。
「…和彦さん。これはきっと緊急事態です。何か起こったに違いありません」
覆いかぶさっている古庄を押しのけるように、真琴が身を起こす。
古庄も真琴を無理に拘束しようとはせずに、忌々しそうに時計に目をやった。
時刻は夜の11時になろうかという頃。こんな時間にかかってくる電話なんて、きっと生徒がらみの事件の可能性が高い。
「…やっぱり。学年主任からです」
スマホの発信者を確認してそう言いながら、神妙な顔つきで真琴は応答ボタンを押した。
「はい。……い、いえ。知りません…。どうしたんですか?………えっ!?本当ですか?」
学年主任と会話をしながら、真琴が古庄の顔を凝視する。
「いつ頃から?……それじゃ、私もこれから…。はい。ええ、分かりました」
電話を切った真琴の顔がこわばっているのを、古庄は見逃さなかった。真琴のクラスの生徒に何かあったのかと、嫌な予感が意識の中を占拠する。
「どうした?何があったって?」
真琴が困っているのならば、助けてあげなければ。
古庄はそう思って、真琴が口を開くよりも先に、事の次第を訊き出そうとした。
しかし、真琴が古庄に向き直って説明した内容は、古庄が想像したようなものではなかった。
「和彦さんのクラスの森園佳音さん…。昼間に出かけたきり、まだ家に帰ってなくて、携帯もつながらないそうなんです。和彦さんにも連絡してるけど電話に出ないって…学年主任から所在を尋ねられました」
「あっ!えっ?!俺の携帯…?」
古庄は視線を宙に漂わせて、記憶の中の携帯電話を検索する。
「着信音が聞こえなかったから、家か車か職員室に置き忘れてるんじゃないですか?」
「うん、きっとそうだろう…」
「とにかく今は、早く森園さんを探さないと。彼女のお母さんが心配してます」
真琴はそう言うや否や、古庄により半分脱がされていたパジャマを脱ぎ捨てた。そして、きちんと下着を着け直すと、クローゼットから洋服を引っ張り出して身に着け始めた。




