第七話 『会議の前に』
少し更新が空いてしまいましたが、連投します。
早朝、アロウから北北西に遠く離れた地でそれは、ぐいぐいと手を伸ばし足を伸ばし、準備運動をしていた。
周囲に瓦礫が散乱する、修繕痕だらけの古びた滑走路の端、軽い運動でもするかのような軽快さで声を上げる。
「さーて、それじゃあ行きますかー!」
少女の声が走った直後、人型の足元ががたがたと音を立てて動き出し、離陸した。
翌日、陽が最も高い時間。猛烈な熱波が都市を襲う中、最も北端かつ、最も小さい砦、アロウ。
最も小さいとはいえ、その全長は二キロにもなる要塞だ。
そして更に従える防衛壁は全長三十キロに及ぶ。
ピラミッド状に切り立った砦の各所には何種類ものミサイル発射口とレールガン、実弾・光学兵器を織り交ぜた幾つもの砲台や、各種センサー類が設置されている。壁側面にはブリッツと呼ばれる小型のレーザー砲台が顔を覗かせ、防衛ラインを抜けて来た敵やミサイル、榴弾などを迎撃している。
灰色の砦と灰色の壁。対空、対地装備を保有した、北の一門である。
その中枢で、軍のミーティングが始まろうとしていた。
黒の壁に囲まれた薄暗い部屋の中、机とホワイトボードのみの簡素な部屋に、五十余名。全員が何かしらの責任者クラスであり、勲章、階級章、腕章などを備えている。
そのような場の中に、シュヒトも同席をしていた。見る側でなく発言をする側として。最早遺物と呼んでも過言ではない。視線をきょろきょろさせて落ち着かない様子だ。
とはいえ、落ち着かないのは緊張だけではなかった。
「そろそろか……イベリス遅いな……」
開始時刻が迫るが、イベリスがまだ入室してきていない。一緒に会議室までは来たものの、行く場所があると言い、出て行ってしまったのだ。
落ち着け。緊張する事はない。自分の役割はただ彼等がどんな人物か話をするだけだ。技術面ではアメロニアが完璧にカバーしてくれている。その常軌を逸したとまで言える才能で。だから平静。平静を保て。
皆の事を簡単に紹介するだけでいい。そうだ、それだけ。何も緊張する事はない。
自分にそう言い聞かせながらも、緊張で手が震える。自分だけの命の問題ではないのだ。
などと思っていると
「いだだだだだだだだ!」
シュヒトは肩を抓られてようやく、その存在に気付いた。
「……! 来てたのか」
驚きが漏れそうになるのを堪えて、イベリスに言葉を向けた。
抓っていたのはイベリスだったのだ。
「少し前から。シュヒト、緊張しすぎ」
「不安じゃなくて緊張。イベリスがいないから」
「……緊張してるね」
言い間違いに気付かないシュヒトに、イベリスは肩を落とした。
「そ、それはいいけど、何をしてた?」
「それはね……」
イベリスが口を開いた所で、入り口の扉が開かれた。入室するその数三。
先導する初老の男の階級章は中将に位置するものだ。白い髪をきっちりと刈り上げ、寸分の乱れもない。
左の頬に走る大きな切り傷とその眼光は鋭く周囲を威圧し、覇気さえ帯びているようだ。
残る二人は補佐官と護衛官のようなものだろうか。一人は黒髪の若い女性。土色の迷彩服で、もう一人は紺色の軍服で、頭髪が心許ない男性だ。
三人はシュヒト達の前を横切り入り口とは反対に設けられた席に着くが、シュヒト達の前を通った際に、老人はイベリスを鋭い目で一瞥していった。
シュヒトは再び緊張に襲われた。この街の中枢と言って差し支えない人物、それが目の前に来ている。
大丈夫か、と心配になるシュヒトは、肩を叩かれている事に気付いた。振り向くと、
「あのおじーちゃん、どっかで見た事あるんだけどさ、誰だっけ」
アメロニアが緊張の欠片もない様子で話し掛けてきたのだった。
「ラグリス・ロウエンクルズ中将、ミルゴス防衛の立役者じゃないですか!」
シュヒトも同じくこっそりと返す。ただしなんでだよ! という意志を込めて。
ラグリスはミルゴスの防衛ラインを守るのに一役買った人物だ。状況整理と予測能力が高く、ひとえにラグリスがいたからこそ、街があるのだと言っている者も多いほど。
あらゆる判断に間違いはない、と言われており、ミルゴスの中では有数の権力を保持している。生粋の軍人で、現在代理で街を収めている軍事政権とは別に、発足しつつある新政府に誘われたが断ったのだとか。
この街でラグリスを知らない者はいない。
「なんだ、シュヒトのおじいちゃんかと思った」
「全然違うでしょう!」
思わず叫んでしまったシュヒトに、アメロニアは笑って応えた。確かにシュヒトの祖父も軍に所属し中枢で働いているのだが、ラグリスほどプレッシャーはきつくないと定評がある。
「ま、気楽に気楽に。主な仕事は私に任せなさいな。シュヒトのそれは、オマケみたいなものだから。安心してりゃいいさ」
言って、アメロニアは軽くウインクした。まったく、と肩を落とすシュヒトだったが、気付けば震えは止まっていた。ツッコミ役が肌に合っているのだろうか、などと思いつつ周囲を見渡す。
ホワイトボードには『アティカの武装解除について』と記載。時計を見やれば、午後二時。開始時刻だ。
「では会議を始めます。本日進行を務めるロウズと申します」
時間になるのを確認し、マイクの男、ロウズが口を開く。アロウ砦の司令官補佐、つまりはナンバー2。重鎮を目の前にしても、緊張は微塵も感じられない。
短い時間の中で打ち合わせに漕ぎ付けられたのはロウズのお蔭もあってのこと。機械について理解が深いのと、情報伝達が的確なのだ。
「主な議題はアティカの武装解除について。資料の中にスペックデータがありますので、そちらをご覧下さい。説明はアメロニア博士から――」
「待て」
アメロニアに話を振ろうとした所、ラグリスが制した。
「なぜ人形がここにいる。私は聞いていないぞ」
人形、と言いラグリスが指した先にはイベリス。
シュヒトの中にふつりと湧き上がるものがあったが、それを抑えてシュヒトはマイクを使わず答えた。敬礼をするのも忘れない。
「失礼ながら私がご回答申し上げます。シュヒト・バルティニアと申します」
「述べよ」
シュヒトが敬礼しながら言うと、ラグリスも首肯で返す。
「私が彼女を同席させたいと考えたためです。アティカの事を皆さまによく知って頂くためにも、彼女の同席は不可欠です。許可はロウズ中佐に頂きました」
「こういった場に人間以外のものが混じってはならん」
シュヒトの願いを、ラグリスはあっさりと却下した。拒絶と言っていいほどである。
「中将――」
「貴官は黙っておれ」
ロウズが割って入るが、ラグリスはそれを一睨みで抑え込んだ。
「ならん、と言った。そこの人形が突然人に手を出さぬとは限らぬ。拘束もしていないではないか」
シュヒトの心にささくれが増えていく。しかしここで怒るわけにはいかない。大事な舞台を壊してはいけない。ぐっと堪えて冷静にならなければ。
ロウズもこれ以上仲裁に入るつもりはないようで、沈黙するばかりだった。アメロニアははなから喋るつもりはないらしい。
ならば、とシュヒトはラグリスを正面から見据え、眼力で負けじと勝負を挑む。
「人形、と仰いますが、彼女達は人間そのものです。有機物の体から無機物の体に乗り換えただけ、と考えて頂きたい」
「その無機物の塊が、人間を滅ぼそうとしているのだが? そこの人形はそうならないと申すか」
見下したように発言するラグリスに、苛立ちが募る。
「彼女達においては決してそのような事はありません。私は一年以上彼女達と接してきましたが、その心は正に人のものです。ですから拘束も不要。彼女は私の部下です。不始末があれば私が責任を取ります」
「人形を部下呼ばわりとは、ずいぶん人形に――」
瞬間、シュヒトは全身の血液が沸騰するような錯覚に襲われた。
「人形人形うるせえんだよこのジジイ!」
気付いた時には叫んでいた。会場が凍り付く。
「アンタ達がこいつらの何を知ってる! 作るのは許可しておいて今更そんな事を言うのかよ! どれだけこいつらが苦しんで悩んでどうしようもなく機械に身をやつしたか知ってて言うのか! 人の業を背負いながら、人の弱さを背負いながら、人の希望を背負いながら前に進もうとしたこいつらを、人形と呼ぶのは誰であろうと許さん!」
言った後で、背中から額から、どっと汗が噴き出した。
(ああ、やってしまった……)
シュヒトは後悔に襲われた。確かに許せない事ではあったが、これでは台無しだ。命を預かっているという重みを、自分は理解していたのか。
場の沈黙が痛いほど刺さる。五十人以上いるというのに、誰も何も語らない。
いっそ処刑してくれて構わない。だから俺の発言、取り消しにしてくれないかな。
ラグリスの視線が突き刺さる。とてつもない重圧だ。
シュヒトには永遠とも取れる沈黙が続いたが、それを打ち破ったのはラグリスだった。ラグリスは黙ったまま鋭い視線でシュヒトを刺し続けていたが、ちらりとイベリスのほうを見ると、
「これで良いか? イベリスとやら」
重圧を放ったまま述べた。
「ありがとうございます、中将」
イベリスは敬礼し返した。そのやり取りに、シュヒトの瞳孔が点になる。
「……何が?」
イベリスに説明を求めたが、ラグリスが先に口を開いた。
「そこのイベリスとやらが、先ほど我等の所に陳情に来てな。『私がこの会に同席するのを許可して欲しい』と申した。吾輩は聞いておらぬ。が、老骨が知らぬだけかもしれぬし、議題には欠かせぬものかもしれぬ。それだけでも許可には十分であるが、何より上官に失態を取らせまいという心意気が気に入った。それで許可を出したのだがな」
そこまで言うと、ラグリスはにやりと笑い、
「わざわざそれだけのために、一人で赴く事もあるまい。理由は明快。故に試してみたまでのこと」
少し説明が不足している気がするが、イベリスが満足気に頷いているのを見るとお互いの意志は図れているようだ。
イベリスが遅刻してきたのはそれだったのだ。ラグリスに陳情して、自分を試すこと。恐らくは人間性を見せるために。信頼関係があるのだと主張するために。
シュヒトはがっくりと肩を落とした。それなのにとんだ暴言を吐いてしまった。これではとてもだめだろう。と思っていたが、
「試した価値はあったようだ。イベリスとやら。貴官の上官はまだ若いが、貴君らを統率するのには適任のようだ」
言って、ラグリスはくつくつと笑う。
どうやら、首の皮は繋がったらしい。処刑台は避けられそうだ。
「はい。私達の部隊はまだ若い。ですから、共に成長していけば良いと考えます」
イベリスの言葉からも、不満は感じられない事に、シュヒトは安堵した。
「期待させて貰うとしよう。さて、シュヒト、と言ったな。最後に一つ問おう」
再び鋭い眼光に射抜かれるが、シュヒトはそれを真っ向から見返す。
「はっ」
「貴君は彼等をどう思っている?」
「部下は熟達した兵士です。少しばかり体も心も頑丈かもしれませんが」
心はそんなことないけど。しかしここはそう答えてもいい場面だろう。シュヒトは胸を張って答えた。
「……形ばかりの回答ではあるが、先ずは良しとしておこう」
見透かされているのか、ラグリスはふっ、と表情を和らげた。シュヒトの緊張が少しばかり解ける。
「……お疲れ様、シュヒト」
イベリスの呟きを耳にした、シュヒトは、
(本当、疲れたよ)
内心で苦笑したが、怒りなどは湧き上がってこなかった。
まったく、うちの部下は優秀すぎる。プレゼンをしなくても済んでしまったのだから。