第六話 『死者の想いを掬う人』
シュヒトが外に出ると、短命な夜の時間が訪れていた。気温はかなり下がっている。
カルミアが遅れた理由、イベリスと話をしていたからだったのだ。どのような話を聞いたかは解らないが、概ね自分との出来事だろう。だからわざわざ気持ちを確認してきたのだ。
自分の気持ちを変えるなりなんなりして、イベリスと和解させよう、と思っていたのだろう。
カルミアの周到さというか、カンの良さというか。とても御する事は難しいなぁ、と思いながら、シュヒトはゆっくりと足を運ぶ。一分も掛からないはずなのに、道のりはとても長く感じられた。
急激に下がっていく気温に息が白み始めてようやく、シュヒトは建物の裏手へと辿り着いた。
そこには――
「イベリス!?」
闇に紛れているものの、昼間見た空色のストールと、白いワンピースは見まごうことなくイベリスのもの。
壁にもたれかかるようにして倒れている――首から上がない、イベリスの体が、存在していた。
首がないどころか、右腕は脇に落ち、左足は胴体より一メートルばかり先に落ちている。
「おい、嘘だろ……なんで、どうして……一体何が」
シュヒトは確かめようと足を進めようとするが、幾つもの思いが彼の中を渦巻き、その足取りを絡め取っているようだった。
何もかもが崩れ去るような感覚。ようやくたどり着くと、体の向こうに隠れて見えなかったが――左腕には、頭部が抱えられていた。闇夜でも透き通るような銀色の髪と、穏やかな顔。
恐る恐る頭部に手を伸ばす。人そっくりのその感触はしかし、完全に冷え切っていた。そこにはもう何の力も見られない。
「ああ、ああ……」
シュヒトは力なく崩れ落ちた。自然と湧き上がったものは、乾いた砂の大地を僅かに潤す。
頭を抱いたまま。
「ごめん、ごめんな……」
力ない呟き。それに応える声は――
「あの……ごめんなさい」
――あった。
おずおずとした調子の音は、紛れもなく、イベリスの胴体、チョーカーのあるあたりから響いていた。
「!?」
シュヒトはびくりと震え、頭と胴体を交互に見やってしまう。頭は全く動いていない。
「体を戻すの、手伝って」
「……は? え? お?」
「……試してたら戻せなくなっちゃったの! 早くして!」
怒り気味な声に、シュヒトは慌てて胴体の上に頭を置いた。直後、小さい部品が幾つも動く音がした後、周囲の空気がぶん、と振動し、イベリスの目が開かれる。
直後、空気の抜けるような音が鳴り、服をはためかせる。そして、落ちていた右腕と左足はぶると震えたかと思うと、元の位置に引き寄せられていった。
「接続完了」
立ち上がり、無表情のまま告げる姿はいつものイベリスだ。
「なんだよ……驚かせやがって……」
シュヒトはがっくりと肩を落とし、口からは安堵の溜息が一つ漏れた。
イベリスは建物の影に背を預けて、空を仰ぐ。
どこかを見ているようで、どこも見ていない。澄んだ空気とその先にある星雲を前に、銀の髪は寂し気に揺れている。
先ほどまでの冗談のような空気はどこへともなく流れ去り、冷気も相まってシュヒトの緊張を高めていた。
どう声を掛ければいいんだろう。粋な言葉で空気を和らげたり、気持ちを引き出す事ができたりすればいいのに。さっきの事をからかおうか。
そんな事を思ったシュヒトであったが、良い未来が想像できず、回り道はやめて会話を切り出した。
「……ありがとう、あと、ごめん」
イベリスは言葉に反応しなかった。しかしその瞳は揺れ、何かを探しているようだった。
「気持ちを教えてくれて。それに応えられなくて」
「……あんなこと、言うつもりはなかった。言いたくなかった。だから受け止める必要なんてない」
ようやく開かれたイベリスの口から出てきた言葉は拒否だった。
冷気は一層力を増しシュヒトを責めるが、シュヒトは負けずに口を開いた。応えてくれた今がチャンスだとばかりに。
「でも、言ってくれたのは嬉しかった。イベリスの感情があんなにこもった言葉を聞くのは初めてだったからさ。ずっと割り切っていると思っていたのに、そんな事は全然なかったんだー、って、実感させられた。俺はイベリスの気持ちが欠片も解っていなかったんだ」
「別に、わからなくていい。私は道具。あなたはヒト。そうやって割り切って使ってくれればいい」
頑ななまでのイベリスの反応。ここからは言い合いだった。
「別に、無理しなくていい。君は人間。俺も人間。割り切る事なんてできやしない」
「無理なんてしていない。割り切る事はできる」
「あんな事を言っておいて、無理していない訳がない」
「私は機械。だから感情なんて全て制御できる。記憶も全部コントロールできる。記憶を全部消す事だってできる。だから無理なんて生じない」
「思い切り生じていただろう? ……何でそこまで機械でいたいんだ」
「……ヒトの心は弱い。簡単に壊れてしまう。だから私はヒトを捨てて、強くなる。みんなの無念を晴らすまで、奴らが全滅するまで、戦い続けられるように」
そこまでを聞いてシュヒトは、イベリスが人間だと強く感じた。少し押せば反発する、受け流す事ができない口下手な女の子。なぜならその言葉は――
「ヒトを捨てるって割には、誰にも見せない死者の記録を、未練たらたらで残しているんだろう。人間を捨てると言うなら、そんな無駄な記録、全て消してしまえ」
――矛盾に満ちているからだ。
その言葉に返ったのは、
「無駄なんかじゃない!!!」
冷気よりも遥かに熱い怒気と殺意だった。
周囲の温度が上昇するほど、瞬時に空気が変わる。
「みんな何かを背負って戦っている! 家族だったり、恋人だったり、死んだ仲間たちだったり、そこにはその人の意志がある! 命を懸けて戦った人達の想いが無駄だったなんて、絶対にない!!」
目を吊り上げて怒鳴り散らす様に圧倒され、シュヒトはたじろぎそうになる。それを堪えて、足をしっかりと地に着けて、イベリスと向き合う。
「嘘をついた事に謝るよ。死んでいった人達の想いは決して無駄なんかじゃない。彼等にとっては、自分を覚えていて欲しいと思う人達も多くいただろう」
その言葉に、イベリスははっと目を見開いた。シュヒトの言葉の真意に気付いたのだろう。気まずそうに下を向いてしまった。
――ちょっとずるかったかな。
内心で詫びながら、シュヒトは次の言葉を口にする。
「ほら、死んでいった人達の想いを、イベリスは絶対に無駄にしないだろ?」
「……それは死を切り取った一部分を映像として残しておくだけのこと。私の感情とは切り離せる」
イベリスはまだ反論をする気力があるようで、俯いたまま言葉を口にする。しかし感情がもう溢れてしまっているようで、その言葉には拗ねたような風の音が混じっている。
「いいや、そうやって残しておきたいと思うのが、人としての心なんだ」
強い口調で断言する。例え違っていようとも、思いを全て言い切る。ここに来ての迷いは不要。強い決意でシュヒトは喋り続ける。
「この世界に、墓はもう無くなってしまった。共同墓地を作る余裕も場所もない。死者はただ打ち捨てられるだけ。墓ってのは、心の拠り所だ。例えそこに遺体が無くとも、その場所があるという事だけで、その人を忘れない。イベリスは墓の代わりに、その失われたものを守ろうとしているんだ」
「私が命の終着点だと?」
「いいや、人の想いを背負い、先に進もうとしているんだ。失われた命を弔う機会を与え、人々に区切りをつけて、次の世界へと連れていく。そんな存在になろうとしている」
「別に、思ってやっているわけじゃない。それに、まだそんな事、してない」
「じゃあ、イベリスはどうしたい? 誰にも想いを伝えずそのままいたいのか?」
問うと、イベリスは少しの間沈黙したが、やがてうぅ、と言い肩を落とすと、
「……遺された人達に伝えたい」
涙の混じる声で答えた。色々な想いがこみあげてきてしまったようだ。イベリスは小さく、「アメロニアのばか……」と漏らしたが、シュヒトの耳には届かなかった。
ようやく聞けたイベリスの台詞に、シュヒトは胸を撫で下ろす。
「だから俺達の事、世間へ公表して貰おう。例えどんな事を言われても、俺が全部背負う。そして、遺された人へ想いを伝えよう」
そう、公表ができないのは単純に、軍関係者にしか情報を開示していないからだった。一般人の遺族には、イベリス達の事は知らされない。
だがそんな事があろうとなかろうと、記憶に留めておきたいと思うイベリスの気持ちがなければ成立しない話だ。
「そしてそれを伝える時は、人としてであって欲しい」
「……なぜ?」
シュヒトの言葉にイベリスは顔を上げた。
「イベリスは遺された人に『こんな人に看取って貰えて幸せだった』と思って貰える人だからさ」
暗闇の中でもはっきり解る程、シュヒトの笑顔は輝いていた。
「ばか」
イベリスはぷい、とシュヒトから顔を背けたが、振り向く直前、その顔が少しばかり赤くなっていたのは気のせいではないだろう。
「そうやって死んでいった人達の気持ちを思い遣る事ができるイベリスだからこそ、人として戦場で活躍して欲しい。一つでも多くの想いを掬い取る……いや、これからは救い守るために」
ああ、今ならようやく言える。シュヒトはイベリスに手を伸ばし願った。
「俺と一緒に、明日の会議に出てくれ」
「……わかった」
イベリスの手は暖かく、凍てつくような寒さも何処かへ消える。
空では無数の星が流れていた。
ご覧頂きありがとうございます。
拙い文章で申し訳ない限りです。読んで頂いた方々には土下座で感謝を。
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まずは貰えるようにしっかりしなければ……。