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「本当に?葵ちゃん来てくれたら助かるよ。
あ、もしかして葵ちゃんも北大路帆美花に"夢中"だったりするの?」
「あ、違います……。
でも……同じようなものかな……」
葵の言葉を聞いて、千春は頭に上にクエスチョンマークを浮かべた。
「やばっ!もうこんな時間?」
千春は、向かい側の壁に掛けられた柱時計を見やると慌てて立ち上がった。
葵が時計に視線を移すと、時計は9時前を指していた。
「もう事務所開ける時間だよね?長居しちゃってごめんね」
「あ、いつもギリギリに開けてるので大丈夫です」葵は苦笑しながら言う。
「また、詳しいことは明日までに電話かメールするね」
「はい、分かりました」
「もし、やっぱり気が変わったとか予定が入っちゃって行けなくなったりしたら、遠慮なく言ってね」
千春はそう言って、無駄がない動作でを履き玄関のドアに手を掛けると、突然何かを思い出したように振り返る。
「葵ちゃんってここに来てもう一年くらい経つんだっけ?」
「え?えっと、そうですね。もうすぐ一年になります」
「初めて会ったときはちょっと頼りなさそうで大丈夫かなって思ってたんだけど、今日久しぶりに会ってみたら全然心配する必要なさそうで安心した」
「あ、ありがとうございます」
葵は、千春の突然の言葉にきょとんとするが、目標としている人に評価され、抑えきれずに笑顔がこぼれた。
「あいつに葵ちゃん大切にしろ!って怒っといたから、もし、何か不当な扱い受けたりしたら呼んでね。すぐに駆けつけるから!」
「はい、ぜひお願いします」葵はにっこりと微笑んだ。
「あ、所長に一言かけていかなくて大丈夫でしたか?」
「いいのいいの。あいつと話してたらストレス溜まるからさ」葵は千春の言葉に苦笑した。
千春が玄関のドアを開けると、突き刺さるような冷気が一瞬で入り込んできた。
「うっわ、寒っ」
千春は、自分の体を両手で抱いて体を震わせた。
「プリンありがとうございました。すごく美味しかったです」
「喜んでもらえたようで良かったよ。今日は急に朝早く来ちゃってごめんね。それじゃ、また週末に!」
「はい、楽しみにしてます」
千春は小走りで階段を駆け下りていった。
千春の姿が見えなくなると、葵は素早くドアを閉めた。
葵が応接スペースに戻ると、よほど楽しみなのかパーテーション越しに洋の鼻歌が聞こえてくる。
葵は、テーブルの空になったティーカップを片付けながら、帆美花のことを考えていた。
帆美花は自分のことを覚えていてくれているだろうか。
仮に覚えてくれていたとして、どんなことを話せばいいのだろうか。
有名になって、昔の帆美花とは全く別人になってしまってはいないだろうか。
そもそもパーティ中に帆美花に話しかけられる機会はあるのだろうか。
帆美花と再会できるというのに、葵の中に浮かんでくるのはそんなネガティブな思考ばかりだった。
洗い終えたティーカップを戸棚に片付けていると、事務所にインターホンの音が鳴り響く。
葵は、浮かんでは消える不安な気持ちを振り払って駆け足で玄関に向かった。