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「千春さん!?」
「おっすー!って葵ちゃん髪切ったの!?」
「はい、結構バッサリいきました」
「いやぁ、可愛い子はショートが似合うからいいよねー」
「そんなことないです……。
あ、ごめんなさい!どうぞ!」
葵は足元に冷気を感じ、慌てて来訪者を招き入れる。
予想外の来訪者の名前は、桐谷千春。大手出版社の編集部で、主に女性誌を担当する編集者である。ライターも兼任しているため、取材のため全国を飛び回ることも多く、バリバリ仕事をこなす"できる"女性である。
身長は150センチ程で小柄な葵よりも10センチ以上高く、肌は雪のように白く透明感がある。何かの動作の度に、ミディアムロングの明るい茶色の髪がさらさらと揺れる。容姿も整っており、中でもナチュラルメイクでも映える、涼しげでありながらそれでいて意思の強さと自信を感じさせる力強い目元が印象に残る。細部まで手入れが行き届いており、全身から清潔感が溢れている。
常に自然体。それが千春を表現するに一番ふさわしい言葉であった。
葵はそんな千春に対して憧憬と尊敬の念を抱き、いずれ千春のような女性になりたいと密かに目標にしている。
彼女は洋の大学時代からの友人で、時折こうして事務所を訪れるのである。
「朝早くにごめんねぇ。ちょっとお願いしたいことがあってさ」
「いえいえ、気にしないでください!」
千春が事務所にやってくるときは、事務所が休憩時間となる正午過ぎにやってくることが常で、彼女の言うようにこのような早朝の来訪は恐らく初めてである。少なくとも葵の記憶の中には無かった。
「所長、千春さんが来てくださいましたよ」
葵は千春を応接スペースに通しながら、相変わらずソファに陣取っている洋に言葉を投げかけたが、全く反応が無い。テレビに視線を移すと、その画面は真っ暗である。恐らく、"リピートタイム"が終わり、余韻に浸っているのだろうと葵は理解した。
「最近、いつもあんな感じなんです」
葵は力なく微笑んだ。
「いつもなの!?」
千春は、満足げに惚けている洋の顔を思わず二度見して言った。
千春が最後に事務所に来たのは4か月ほど前のことで、洋の最近の日課を目にするのはおそらく初めてであった。
ただ、葵の表情から感じるものがあったのか、千春が詳しい事情を尋ねることはしなかった。
「あ、そうそう、忘れてた!お土産持ってきたから"こいつ"は放っておいて一緒に食べよ!」
千春はそう言って、15センチ四方ほどの大きさのケーキ箱を取り出し、顔の横で軽く振って見せる。
大きないちごの絵が特徴的なその箱は見覚えのある、駅前の女性に大人気スイーツ店である創菓堂のそれである。
葵もその例に漏れず創菓堂のスイーツが大好きで、それを知っている千春は事務所を訪れる度にこうしてお土産として持ってくるのである。
「しかも、今日は葵ちゃんの大好きなコレでーす!」
千春が箱をテーブルの上に置き、ゆっくりと開封する。
そして姿を現したのは、ハート型の透明な容器一杯に入った、創菓堂でも売れ筋NO.1の焼きプリンである。
味については言うまでも無く、ハート型の可愛らしい容器が女子からの支持を集め、数量限定のプレミア感あいまって、すぐに品切れとなってしまう代物だ。
そのため、確実に手に入れるために開店前から並ぶ人も少なくない。
葵も二度ほどしか食べたことが無いが、その味は決して忘れることの出来ないものだった。
「え、え?うそ?ほんとに!?
え?千春さん並んだんですか?
嬉しい!!大好きです!!」
手のひらで口を覆い涙を浮かべて喜ぶの姿を見て、千春も嬉しくなる。
「想像以上の反応ありがと!あたしも並んだ甲斐があるってもんよ!」
「あ、千春さんも座ってください!私、紅茶淹れてきますので!」
葵は、千春を洋が陣取っているソファと反対側に座らせ、小走りで台所へと向かう。
「いいよいいよ!お構いなく!」
「あ、ちょうど用意してたところだったので!"そいつ"のために」
葵は振り返って洋を視線で刺しながら、背後からの千春の声に答える。
「あ、葵ちゃん!あたしも葵ちゃんのこと大好き!」
葵は突然の言葉に驚き、きょとんとして千春を見つめるが、すぐに嬉しそうに顔をほころばせて台所に入っていく。
吐く息が白い。
コンロの火で微かに暖まっていた台所は、再び凍てついた空気で満たされていたが、葵の心は暖かいもので満たされていた。