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「よし!それじゃリピートタイムだ!」
「あぁ、やっぱりもう一回見るんですね」
「当たり前だ!これをしないと一日が始まらないからな!」
そう言って、洋はDVDに録画しておいた先ほど終わったばかりの朝ドラを見るため、再びテレビにくらい付くようにソファに座りなおした。
8時から生で視聴して、すぐにDVDに録画しておいたものをもう一度視聴するのである。洋曰く、「一回目は表情を楽しんで、二回目は声を楽しむのが通」らしいが、葵には何が"通"なのか全く理解できなかった。
洋の言葉通り、今クールの帆美花主演の朝ドラが始まって以来、毎日これを繰り返している。
一度だけDVDの録画を失敗した日があるのだが、その日の洋は一日中ぬけ殻状態で、普段の仕事量の半分も終わらなかった。もともと早めに仕事を進めていることもあり、業務自体に大きな影響が出ることは無かったが、葵は大変な思いをした記憶がある。それ以来、葵は仕事を終えて帰宅する前に、次の日の録画予約をして帰るようになった。
"リピートタイム"を終えると、紅茶を飲みながら余韻に浸る。
ここまでが洋の最近の日課である。そのため、葵は"リピートタイム"が始まると、紅茶を用意するために台所へ向かうのである。
葵は目を通していた資料のファイルを引き出しに戻し、紅茶を用意するため席を立った。
台所のドアを開けると、冷たい空気が足元に流れ込んできた。台所には暖房の類のものが無く、ドアと壁で完全に隔離されているため、暖房の効いているオフィスに比べて随分と冷える。
葵はデスクに戻り、イスに掛けておいたカーディガンを羽織って再び台所へと向かった。
「うぅ……寒い……」
カーディガンを羽織ったと言っても、ほぼ外気と変わらない寒さに体が自然と震える。冷え切った水にできるだけ触れないようにしてやかんに水を入れ、ガスコンロに火をかけた。
水が沸騰するまでの間、目を離すわけにはいかず、冷え切った台所で待たなければならない。葵はこの寒さに耐え忍ぶ時間が嫌で仕方が無かった。給料に反映されるわけでも無ければ、感謝されるわけでもない。完全なボランティアなのである。葵は、クッキングヒーターだったら良かったのに、としみじみと思う。
しばらく経つと、コンロの火の熱で少しずつ暖かくなってくる。葵にとってこの瞬間はささやかな幸せを感じる時であった。クッキングヒーターではこうはいかないので、この瞬間に限って葵はガスコンロであることに感謝する。
やかんの水がぼこぼこと待ちわびた音を立て始めた頃、事務所に電子音が鳴り響く。
インターホンの音、つまり来客だ。
「うっそ、来客?」
手首に視線を落とすと、腕時計は8時30分頃を指していた。
「早いよー!」
思わず心の声が漏れてしまう。
業務時間は9時からなのだが、それよりも早く来所するクライアントもいる。
それしても少し早すぎる。ただ、来客である以上は出ないわけには行かない。
やかんの水は今にも沸騰しそうな状態である。そのため、葵はこの場を離れる
わけにはいかない。
「ひろ……伊豆見所長!」
葵は、台所から顔だけを出して呼びかけるが、全く反応が無い。
葵の言葉はおろか、インターホンの音まで耳に入っていないようで、相変わらず前のめりでテレビにかじりついている。大した集中力である。
「ああっ!もうっ!」
葵は、ガスコンロの火を消し、急いで玄関に向かう。
一体誰のために寒いの我慢してお湯沸かしてると思ってんの!?
洋の後ろを通り過ぎる際にその後頭部を睨みつけたが、インターホンの音が聞こえないほどテレビに夢中の洋には無意味であった。
葵もその行為が無駄なものだと十分に理解していたが、そうせずにはいられなかった。
「はーい!すぐ出ますー!!」
葵は声を張り上げ、小走りで玄関に向かう。
「お待たせしま」
「やっほ!」
玄関のドアを開けた葵の言葉をさえぎったのは、クライアントではなく見知った顔であった。