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「うわっ……さっむ……っ」
玄関のドアを開けた瞬間、葵の目に飛び込んできたのは春には街路を鮮やかに彩る桜の木が、クリスマスツリーに飾る白綿を被ったように真っ白に染まっている姿だった。
どうやら昨晩は雪が降ったようで、今朝は一段とよく冷える。
体の芯までキリキリするような寒さに、葵は部屋から一歩出た瞬間、思わず声を出してしまった。
「明日の都内は、恐らく今年一番の寒さになるでしょう」
昨晩、お風呂上りにもはや日課となりつつあるリンゴヨーグルトを食べながら、ぼうっと見ていた天気予報の内容を思い出す。
"今年一番の寒さ"というフレーズは冬場の天気予報ではお決まりの文句になっており、葵にとってその言葉は"いけたら行く"という親交の深くない"知り合い"からの誘いに対する自身の返答程に信用できない言葉であった。
そのため、そこでチャンネルを変えて録画しておいたドラマを2個目のヨーグルト片手に鑑賞していた葵は、その後の深夜から朝方にまで降るという雪の予報を聞き逃してしまっていたのである。
「雪とか聞いてないよ……」
いつも通りの防寒対策しかしていなかった葵は、天気予報を最後まで見なかった、そして信じなかった昨夜の自分を恨んだ。
歩道に雪の影響がほとんど無かったのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。
葵の勤め先である"伊豆見司法書士事務所"は、葵の住むマンションから徒歩約10分のオフィス街のビル内にある。
都心にも関わらず、電車に乗らずに通勤できる環境に葵は満足していた。
歩きながらその日の仕事の予定を立て、帰宅後に何の映画やドラマを見ようかと考えているうちに、大抵事務所に着いてしまう程の距離だからだ。
しかし、この日ばかりはいつもの10分が異様に長く感じられた。
それは、映画館まで行ったのに外れ映画を引いてしまったときの感覚に似ていた。
外に一歩出てから、葵の頭の中は"寒い"という言葉で埋め尽くされており、他の思考が割って入る余地が全く無い。
葵は、とにかく早く事務所に着く、その一心で歩を進めた。