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 次にリーゼロッテが目を覚ましたのは、西の空が茜色に染まる夕刻だった。

 喉が渇いた、と台所へ向かうと、サシャが忙しく料理をしている。

「あ、起きたんだ。調子はどう? 食事はできそうかな。今日は聖トルステン祭だから、御馳走を作ったよ」

 食卓の上に並んでいるのは、リンゴのパイの他に、子牛肉のカツレツと茹でたジャガイモ、ひよこ豆のスープ、パンと豪勢だ。両親は食事を済ませて帰ってくるとわかっているので、サシャは二人分しか用意していない。

「せっかくだから、正装して食べようか。ロッテはあのドレスを着てよ。今日のために作ったんだから、お祭りに行かないからって着ない理由にはならないよ」

「えぇ、そうね」

 ドレスはまた着て出掛ける機会もあるだろうが、聖トルステン祭のために用意したのだから、とサシャの勧めに従うことにした。

 リーゼロッテの力作であるドレスは、淡い若草色の繻子織り生地を使い、腰から裾まではたくさんの襞飾りをつけているものだ。襟や袖口にはレースをふんだんに使い、胸元には大きなバラの造花を飾っている。

 仮縫いの際には、体型が似ているからということでサシャに着せ、マルヴィンにも手伝ってもらって試行錯誤の末に完成させた。

 髪は鏝を使って丁寧に巻き、整える。簡単に結い上げて髪飾りを刺すだけで、華やかな雰囲気になる。

「うわぁ。綺麗だよ。すごくよく似合ってる」

 リーゼロッテが着飾って食堂に向かうと、正装したサシャが歓声を上げた。

「ありがとう」

 身内贔屓だとわかってはいても、気恥ずかしくなるくらいサシャは手放しで誉めてくれるので、リーゼロッテも嬉しくなる。

「今日は聖トルステン祭に行けなくて残念なロッテのために、君が好きな献立にしたよ。さぁ、遠慮無く召し上がれ」

 紳士のようにサシャはリーゼロッテの椅子を引いてくれたので、まるで貴婦人のようだと気分が盛り上がる。

 祭を欠席したことは一生心に残るだろうが、サシャが腕を振るった料理を食べられたのだからそう悪い日でもないと思い直していた。料理上手なのに普段は手抜きをすることが多いサシャは、特別なときだけしか本気を出さないのだ。

 子牛肉は柔らかく、スープは根菜類がたくさん入っているので食べ応えがある。

「美味しい!」

 肉を頬張ってリーゼロッテが感嘆の声を上げると、サシャは満面の笑みを浮かべた。

「この肉は、特別なんだよ。いつもの精肉店ではなくて、ビーレル牧場から直接仕入れてきたんだ」

 得意満面な口調でサシャは料理の説明を始めた。いつもは小賢しい理屈屋だが、料理を語り出すと途端に目の輝きが変わる。

 リーゼロッテは相槌を打ちつつ、料理をすべて食べきった。慣れないドレス姿での食事は不自由な部分もあったが、晩餐会のような雰囲気を味わうことができた。

「満腹だわ。幸せ」

 食べ終える頃には、ドレスの腰回りがきつくなっていたが、気づかなかったことにする。

「今頃マルヴィンは誰と踊っているのかなぁ」

 コーヒーと一緒に切り分けたリンゴのパイを食べ始めた頃になって、ぼそりとサシャが呟いた。

「さあね。パミーナはとっても張り切っていたから、ほぼ間違いなくマルヴィンと踊ったんじゃないかしら」

 まったく意識していない態度を装い、リーゼロッテは素っ気なく答える。

「全曲ずっと誘われ通しなのかな。うらやましい。僕は四年後の聖トルステン祭に備えて、今から体調を万全に整えておこうっと」

「サシャ、わたしに喧嘩を売っているわね?」

 パイを新たに一切れ皿に取り分けると、リーゼロッテは険しいまなざしで弟を睨む。

「違うよ。ロッテがお祭りに行けなくて可哀想とか、誰とも踊れなくて気の毒とかそんな意味じゃないよ」

「あら、誰とも踊れないなんて、どうして決めつけるのよ」

 祭に行けなかったことは確かだが、聖トルステン祭は町の広場でのみ行われるわけではない。

「サシャ、わたしと踊って」

「――――――えぇ? 僕?」

 申し込まれた方は迷惑そうに顔を顰めた。

「今はお腹いっぱいで、踊る気分じゃないんだけど」

「断るなら罰金よ。今日は聖トルステン祭の日なんだから、男に拒否権はないのよ」

「僕、まだ十四なんだけど」

「年齢なんて関係ないわよ」

 ほら、と椅子から立ち上がったリーゼロッテがサシャを促すと、渋々彼も立ち上がる。

「朝から掃除とか料理とか家事をいっぱいやったから、疲れているんだ」

「日付が変わってからゆっくり休めばいいじゃないの」

「真夜中まで踊る気!?」

「四年後には全曲ずっと踊るつもりなんでしょう? 踊り続けられるように体力つけておかなくちゃ」

「ごめんなさい。僕が悪かったです」

 サシャは泣きそうな顔をして謝るが、リーゼロッテはそのまま弟を居間へと連れ出す。

「音楽がないから、サシャが歌ってね」

「……それも断ったら罰金なの?」

「もちろん」

 今日ってそういう日じゃないと思うんだけど、とサシャは小声で呟いたが、リーゼロッテは耳を貸さない。

 狭い居間にある円卓や長椅子などの家具を二人で動かし、踊れるだけの広さを確保する。

 手を繋いでみるものの、二人ともどのように踊れば良いのかわからず、無言で顔を見合わせる。

「僕は正式なダンスを知らないんだけど、ロッテはどこかで習った?」

「少なくとも、学校では習っていないわね。こういうのって見よう見まねで踊るものらしいわよ」

 平然とリーゼロッテがうそぶくと、サシャは溜息を吐いて肩を落とす。

 二人とも聖トルステン祭以外の町の祭での踊りは見たことがあったが、どれも手を繋いで輪になり飛び跳ね回るだけだ。

「前もって練習したりしなかったの?」

「パミーナたちと相談したけれど、こういうのは男性に恥をかかせないためにも、女性はあまり上手くない方がいいの。サシャだって、自分と踊る相手が自分よりもダンスが上手だったら気後れするでしょう? もし踊っている最中に足を踏んでしまってもご愛敬よ」

「そういう間違った思いやりは不要だから」

 突っ立っていても仕方ないので、サシャは適当に足を動かし、リーゼロッテと繋いだ手を振って踊ることにした。

 リーゼロッテが足を動かすたびにドレスの裾が風をはらんで揺れる。

「サシャ、歌ってくれないの?」

「はいはい」

 求めに応じて、サシャはわざと調子の外れた音程で流行りの歌を口ずさんだ。

 歌詞は悲恋を嘆く内容なのだが、サシャが替え歌にしたので、リーゼロッテは踊りながら我慢できずに目尻に涙を溜めて笑い出す。

「ロッテ、笑いすぎだって」

 足を止めると、サシャは爆笑して床にしゃがみ込んだ姉を見下ろしたときだった。

「いま、なんか物音しなかった?」

 玄関に近い廊下から靴音が聞こえたような気がしたて、リーゼロッテは耳を澄ませる。

「まさか、空き巣?」

「こんなに居間や食堂に灯りを点けている家が無人だなんて考える奴は、盗人に向いていないと思うな」

 軽口を叩きつつも、サシャは暖炉脇に置いてある鉄の火掻棒を手に取り握りしめる。

 二人で息を殺しつつ、リーゼロッテがそっと居間から廊下へと通じる扉を開けた。

 サシャが火掻棒を振り上げる。

 うわっと暗い廊下で男の悲鳴が上がった。

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