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「もう熱は下がったし発疹も消えたわ!」
リーゼロッテは毛布の山から這い出ようとして、ことさら大声で主張した。
「まだ早いって。ほら、興奮したらまた熱が上がるよ」
二つ年下の弟であるサシャは、力ずくで姉をベッドに押し戻そうとする。
「はしかを甘くみちゃ駄目だよ。ロッテはまだ完全に直っていないんだ。おとなしく寝てなって」
「冗談じゃないわ! 今日は聖トルステン祭なのよ!?」
頭から毛布をかぶせられて窒息しそうになったが、手足をばたつかせて喚いた。
「四年に一度しかないお祭りよ!? 聖トルステン祭は一生に一度なんだから!」
聖トルステン祭は閏年の閏日に開催される、十五歳から十八歳までの未婚の男女が参加できるメルカ地方独自の祭だ。現在十六歳であるリーゼロッテは、次の閏日には二十歳になっており、祭に参加できる資格はない。参加不参加は自由だが、まさしく一生に一度しか参加できない祭であり、成人前の通過儀礼のようなものだ。
「はしかだって一生に一度だよ。おめでとう。でも、まだはしかにかかっていない人だっているからね。人が大勢集まる場所に行ってはしかを蔓延させたら大変じゃないか」
わざとらしく拍手をした後で、サシャはもっともらしく姉を諫めた。
毛布の隙間からリーゼロッテは弟を睨み付けたが、効果はない。腹立たしいことだが、最近になって急に手足が伸び始め身長も姉を超えた彼に、腕力では敵わなくなりつつある。亜麻色の髪に榛色の瞳、目鼻立ちまでそっくりなだけに、姉としては弟の成長が気に入らない。しかも、サシャは五歳のときにはしかを済ませていた。
「聖トルステン祭に参加しなかったからって人生にそれほど影響ないって」
「大ありよ!」
慌てて身体を起こし、リーゼロッテは反論する。
「あれぇ? もしかして、ロッテは聖トルステン祭の告白をするつもり?」
サシャがにやりと意地の悪い笑みを浮かべて顔を覗き込んできたので、リーゼロッテは怯んだ。視線を弟から反らし、窓の外へと向ける。
太陽が中天近くまで昇り、さんさんと庭の木々や芝生を照らしている。祭は夕方から始まるが、この天気なら夜もよく晴れて祭日和となることだろう。
「それで誰に告白するの?」
「べ、別にそんなんじゃないわよ!」
不自然過ぎるくらい狼狽えてリーゼロッテは否定した。
聖トルステン祭では女性から男性をダンスに誘う決まりになっている。男性は基本的に申し込んできた相手を断ってはいけない。複数の女性から同時に申し込まれた場合は、その中から踊りたい相手をひとり選んで良いが、女性の誘いを断った場合は罰金を払わなければならないのだ。
通常は女性から男性にダンスを申し込むなどはしたないとされているが、閏日だけは許される。メルカ地方では、古くからの慣習でこの聖トルステン祭が女性から男性に告白することができる唯一の場とされている。
祭に参加する少女たちは、半年前から祭に着ていく衣装を吟味し、誰にダンスを申し込むかについて友人たちと相談し、意中の相手を他の少女に奪われないよう牽制し、と準備に忙しいのだ。
リーゼロッテも去年の秋からドレスを縫い始め、新しい靴を購入し、母から首飾りや髪飾りを借りて、と準備に余念がなかった。聖トルステン祭は少女たちにとって晴れの舞台であり、酷烈な戦場でもあった。
一方、男性も女性からダンスに誘われようと根回しに必死だ。最初から諦めている者の中には祭に参加しない男もいるが、参加するからにはせめて一曲だけでも女性から誘われたいと少女たちに声を掛けて約束を取り付けようとする者もいる。
「もしかしてニコラス? それともクレメンス? まさかカールとか」
適当にサシャは雑貨屋の店員、洗濯屋の徒弟、町長の次男坊の順にリーゼロッテと親しい男性の名前を挙げた。
「違うわよ! わたしは、折角一生懸命縫ったドレスを着て出掛けられないのが残念なだけだってば!」
「でも、祭に行くとなると、誰かをダンスに誘わなきゃいけないよね?」
聖トルステン祭に行って踊らずに帰ってくるなど言語道断だ。
誰とも踊っていない男性がいたから声を掛けて一緒に踊ってみた、という展開も許されない。あくまでも、意中の男性に女性から誘って踊るというのがこの祭の趣旨なのだ。
「ロッテは誰と踊るつもりだったのかなぁ?」
にやけ顔で追及するサシャに抵抗し、リーゼロッテはふて腐れて頭から毛布をかぶる。
「あれ、ロッテ。僕に教えてくれないの? 祭に行くからには、ダンスを申し込む相手は決めていたんだよね?」
相手などいないとわかっていながらわざわざ訊いてくる辺りが厭味だ。
「……マルヴィン」
唸るようにリーゼロッテは渋々答える。
「あぁ、なるほど」
納得がいった様子で、サシャは声を上げた。
マルヴィンは隣の家に住んでいるリーゼロッテとサシャの幼馴染みだ。仕立屋の息子で、リーゼロッテの聖トルステン祭用ドレスの製作を手伝った人物でもある。慣れない針仕事に四苦八苦する彼女に根気よく付き合い、完成を一緒に喜んでくれたマルヴィンは十八歳で、やはり祭に参加できる年齢だ。
騒々しいリーゼロッテとサシャとは対照的に、子供の頃から物静かな性格だったマルヴィンは、二人にとって兄のような存在だ。
「広場まで、馬車に同乗させてもらう約束をしていたのよ」
祭の会場である広場まではそう遠くはないが、歩いて行くには距離がある。どうやって行こうかと悩んでいたリーゼロッテに、マルヴィンから馬車で一緒に行こうと声を掛けてきたのだ。
「ふうん。でも、マルヴィンって結構人気高いらしいよ? いまや大繁盛している仕立屋の跡取り息子で、将来有望だしね」
「知ってるわよ」
ふんとリーゼロッテは鼻を鳴らした。
「じゃあ、マルヴィンには僕からロッテは祭に行かないって伝えておくよ。出掛ける間際になって言うのも悪いからね」
「……どうしても行かせないつもり?」
「父さんから、明日まではロッテを外に出したら駄目だって釘を刺されているんだ。医者の忠告なんだから、従わないと駄目だよ」
「――――――最悪だわ」
なんでサシャがはしかに罹ったときに自分は伝染しなかったのだろう、とリーゼロッテは枕に顔を埋めながらぼやいた。