第一話「初仕事」
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キアラが訪れたのは、とある港町の商人の屋敷だった。
依頼が来るまでは気長に各地を放浪する気でいた彼女は、予想以上に早い依頼に少々驚いていた。人形師ならば、一人前になってから仕事が一気に入るのも分かるが。
この港町は、外国との貿易が盛んで有名な場所である。最近では連続殺人事件で騒がれているが、たとえそんな騒動が起きていても、この町が活気に溢れているのには変わりがなかった。
今回の依頼人であるマーツェルン氏は、この町だけでなく、国内でも名の知れた貿易商である。無論、屋敷の大きさからも、どれだけの人形がここで働いているかは察せた。
依頼の内容は、とある家政婦型人形の処理。
「キアラ殿! 初仕事ですね、初仕事!」
身の丈ほどある大剣を当たり前のように背負いながら意気揚々と話すのは、彼女の付き人であるジンだった。国王陛下が直々に指名した者であるが、キアラは少々彼の事を苦手としている。
元々話すのはあまり多くない彼女と真反対に、ジンは口を開いたら止める事は出来ないほどにお喋りなのだ。それだけではなく、ジンはキアラとは真逆な点が多かった。
「いちいち言わなくても分かってるっての」
「初仕事は大事ですからね! 今後の仕事にも響きますし! ちゃんと働いて下さいよ!」
「……お前は俺の母親か」
彼女の皮肉の言葉にすらも、ジンは真面目に答えようとする。面倒くさくなったキアラは、即座に彼の口を塞いだのだった。
家政婦型人形に案内され、着いたのは書斎だった。
見ると、恐らく今回の依頼人である、アーサー=マーツェルンが本の山の間から顔を出した。他国との交渉、駆け引きが必須である貿易商としては、やや不似合いな、人が好さそうな丸眼鏡の男である。
キアラの存在に気付いたアーサーは、本をかき分けながら、二人の元へとやって来た。
「やあ、やあ。此度は遠方からはるばる本当にありがとう。キアラ=ヴェルロンドさん」
「キアラで結構ですよ、マーツェルン殿。それで、今回の依頼の人形は――」
「まあまあ、長旅で疲れた事だろうし、お茶でもどうかな? 隣国から仕入れた茶葉なんだけど、これが美味しくてね」
早くも仕事の話から脱線している。悪い人物ではなさそうだが、それでもなるべく早めに仕事を済ませたいキアラにとっては、こういった人物は少々相手をするのに困った。
鼻歌交じりでお茶の用意を始めたアーサーに対して申し出ようとした彼女を、ジンが止める。
「キアラ殿! 折角のマーツェルン氏の厚意を無下になさるつもりですか!」
「いや、だって、依頼書には急ぎっぽく書かれてたし。早めの方が良いかと……何より、長引くと面倒くさそうだし」
本音は何であれ、キアラは至って真面目であった。それはさすがのジンも分かった。しかし、ここで初仕事に何らかの問題が起きてしまえば、信頼を失って依頼人が減ってしまうかもしれない。
初めこそが肝心なのだ、とジンは思っているのである。だからこそ、最初から依頼人の機嫌を損なうような事があれば、それこそ終わりだった。
「さあ、どうぞ」
そんな彼らのやり取りなど知る由もないアーサーは、二人に自ら茶を出す。隣に家政婦型人形を置いておきながら、人形にはここへキアラ達を連れてこさせた以外に仕事を与えていなかった。人形がここに置かれている意味が全く読めない。
と、彼ははっとして、家政婦型人形に何かを言うのかと思えば「君も飲むかい?」などと言い、キアラにはますますこの男が分からなくなっていた。
「いえ、私は大丈夫です。ありがとうございます、ご主人様」
家政婦型人形は微笑んで軽く会釈すると、部屋を後にしたのだった。
「いやあ、リゼは良く働いてくれて本当に助かっているよ。彼女のおかげで、この屋敷の家女中も以前より仕事の量の振り分けがしやすくなったそうだしね」
リゼ、というのは恐らく先程の家政婦型人形の事だろう。あれほど人間のように感情を見せられる人形を見たのは久々だったせいか、キアラはあの人形に少々興味を持っていた。
しかし、今問題にするべきはあの人形ではないのは明らかである。この家で、依頼された人形に何が起きているのか。それを調査し、行動に移らなければならないのだから。
一呼吸置いてから、キアラは口を開いた。
「それで、マーツェルン殿、依頼書に書かれていた人形とは?」
アーサーの眉がぴくりと僅かに動く。先程ののんびりとした雰囲気からは一変し、右手に持っていた紅茶のカップを机に置くと、彼は頭をかかえるような動作をしながら、話し始めた。
「……リゼのような家政婦型人形は、他にも何体かいるんだ。その中でも、リゼと同じくらい働き者だった子がいた。名は――ルーナ」
「その家政婦型人形が、今回の依頼の人形なのですね?」
ジンが尋ねると、アーサーは小さく頷いた。
「ルーナは、とても良い子だったんだ。私の娘のノエルとも仲良くしてくれてね。でも、ある日、ルーナは街で……」
そこで、彼の言葉は途切れる。俯いたままに動かないその様子を見て、キアラはその人形が何をしてしまったのか、大体の見当がついた。珍しくもない、良くある話である。
人形が人間を殺す、というのは、耳にした人は初めこそ滑稽にしか思わないだろう。だが、これはどこにでも起こりうる事なのだ。リゼのような人形が産まれているからこそ、ルーナのように殺人を犯してしまう人形がいる。
「――そのルーナという人形は今どこにいるか分かりますか?」
キアラは、ただ真っ直ぐにアーサーを見据えた。依頼をしてきたのだから有り得ないとは思うが、それでも人形を庇おうとする者は多くいる。これは、いわば最後の確認だった。
これから彼女は、その人形を“壊さなければ”ならないのだから。
「……分からない。街で一度目撃されてから、姿を消したんだ。ただ、何日かに一度は事件が起きているから、付近に潜んでいるとは思うんだけど……」
言葉を詰まらせたアーサーは、嘘をついているわけでもなければ、完全にその人形に対する情がなくなったわけでもない事がキアラには分かった。
それだけでも、十分な情報である。人形が愛された事が分かれば、十分だった。
差し出された紅茶を一気に飲み干し、キアラは席を立つ。
「承知しました。では、早速仕事に取りかかりたいと思います」
軽く会釈し、書斎を後にする。ジンも慌てて紅茶を飲み干すと、大袈裟にお辞儀をしてキアラの後を追い掛けたのであった。