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秋原短編集

声のない世界

作者: 秋原かざや
掲載日:2012/05/06

 しゅーしゅーとヤカンの沸く音が聞こえる。

 彼女はじっと、そのヤカンを見つめていた。

 と、やっと気づいたのか、火を止める。

 静かになった部屋。

 1LDの1人部屋。

 そこで彼女は、生活していた。たった一人で。

 ふと、時計を見上げる。

 まだ昼にはなっていない。

 まだ、10時だ。

 日も高いし、窓から入ってくる陽だまりはとても暖かだった。

 彼女はそっと、ヤカンを手にとり、その湯でお茶を淹れる。

 部屋の中に心地よいハーブの香りが広がってゆく。

 彼女はそのハーブティを片手に、部屋の中心にある小さなクッションに腰を下ろした。

 テレビをつけようとして、リモコンに手を触れようとしたが、止めた。

 替わりに視線は、近くの棚に注がれる。

 そこには写真立てがあった。

 彼女と、もう1人の男性が、楽しげに笑っているスナップ写真。

 他愛のない、写真だった。

 彼女はお茶に口をつけずにカップをテーブルに乗せると、写真立ての側へと歩き出す。

 そっと写真立ての男の方を指でなぞる。

 優しげに愛しげに。

 けれど。

 それは神様の悪戯かそれとも?

 その手が滑って、写真立ての隣にあるオルゴールにぶつけてしまった。

 りんと音を立てて、僅かなフレーズだけ音を鳴らした。

 ほんの少しだけなのに。

 零れたのは音だけでなく。

 彼女の瞳から零れる。


 ――――涙。


 静かな部屋に時計の針の音だけが響く。

 彼女は顔を上げて、手元にあった携帯電話を手に取る。

 急いでボタンを押すが、途中でその手を止めた。

 もう一度、時計を見る。

 まだ、10時半。

 頭を振って、彼女は駆け出した。

 靴を履いて、鍵をする時間も惜しむかのように。


 走った走った走った。

 彼女の息が上がる。

 けれども、走る足を止めることはなかった。

 いつもの道を駆け巡り、いつもの改札をいつもの定期でやり過ごす。


 ――――ホームへと伸びる階段が、こんなにも遠く感じる。


 それでも彼女は走った。

 走って走って、階段を上りきった。


 あがる息。

 波打つ鼓動。

 落ち着く間もなく、彼女は顔を上げる。

 ベルがなった。

 電車がホームに滑り込んでいく。

 その電車に乗ろうとする人混みの中で、あの人を、あの写真の男を見つけた。


 彼女の声が響いた。

 けれど、彼にはまだ届かなくて。

 駆け出す。

 彼が電車に乗ってしまう前に。

 走る走る走る。

 そして、彼の左手の服の裾を掴んだ。


 ゆっくりと、彼は振り返る。

 そこにいる彼女の姿に驚いて。

 そんな彼の胸に彼女は飛び込んだ。

 そして、全てをぶちまけた。

 思っていたこと、全て。


 ――――彼に、伝えた。


 夕暮れの街。

 ゆっくりと歩く二人がいた。

 影は嬉しそうにその手を握って、長く伸びていた。

 遠くでチャルメラが聞こえる。

 子供たちの帰る声が聞こえてくる。

 二人は顔を見合わせ、微笑んだ。

 彼女のいた、部屋の扉が、開く。


 ――――夜ご飯、何にしようか?


 

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして 素敵な話ですね。彼女の走っていくシーンが印象的です。彼女が走るのは夜ではなく、朝の十時。 それが、爽やかな雰囲気を醸しだしていて良いと思いました。
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