隣の彼女
ランダムお題で出た「手作りのチョコ」「付き纏ってうろついて」というキーワードを元に短編小説を書いてみました。
お読みいただけますと幸いです。
隣の席の彼女は、なぜだかいつも僕に付き纏っていた。
いつからそれが始まったのかは、もう思い出せない。教室では隣の席。昼休みの屋上。放課後の図書室。家路を辿る通学路。
思い返してみれば、不思議なくらい同じ時間を分け合っていた。どんな場所にいてもちょっかいばかり出してくる彼女を、僕は少し鬱陶しく思いながらも、いつの間にかそれが当たり前になっていた。
少しうざったくて、けれど、とても暖かい。
彼女のいたずらな笑顔が、そんな僕たちの境界線を曖昧に溶かしていたのだと思う。
バレンタインも間近に迫った、ある日の放課後だった。西日の差し込む教室で、彼女がふいに問いかけてきた。
「ねえ、チョコ、欲しい?」
予想外の直球に、動揺を隠すように尖った言葉が口をついた。
「……いらねえよ」
言った瞬間に、喉の奥を苦い後悔が通り過ぎる。
本当は欲しいに決まっている。女子からチョコを贈られて、嬉しくない男子なんてこの世にいないだろう。
けれど、どうせいつものからかいだ。そう自分に言い聞かせて、高鳴る鼓動を無理やり鎮めた。
すると彼女は、一瞬だけ、ひどく遠くを見つめるような寂しげな顔をした。けれど、すぐにいつもの悪戯っぽい笑顔に戻ってこう言った。
「じゃあ、欲しくなったら探してね」
「……ああ」
「今日は、先に帰るね」
探してーーその言葉の意味を深く考えないまま、僕は彼女の背中を見送った。それが「日常」の最後になるとは思いもしないで。
翌朝、いつも通りの景色が始まるはずだった。
「〇〇さんは、本日付で転校することになりました。急な報告になってしまい申し訳ない。本人もみんなに別れの挨拶ができなくて、すごく悲しがっていた。」
担任の淡々とした声が、教室の空気を凍らせる。
一気に視界が暗くなった。
なぜ。意味がわからない。胃が雑巾のように絞られ、嫌な汗が全身を伝う。昨日まで、そんな素振りなんて一度も見せていなかったじゃないか。
それ以降の授業の内容は、何も覚えていない。黒板の文字も、先生の声も、すべてがすりガラスの向こう側の出来事のようだった。
ただ、ぽっかりと空いた隣の席だけを、僕は呪縛されたように見つめ続けていた。
ああ、そうか。僕は、彼女のことを――。
放課後、整理のつかない感情を引きずって靴箱へ向かうと、中には一枚の手紙が残されていた。
『欲しかったら探してね』
『ヒント:私がいつもいた場所』
僕はしばらくその紙を凝視していたが、何かに突き動かされるように走り出した。
最初に向かったのは、図書室だった。
彼女はよく漫画の棚の前で立ち読みをしていた。僕が本を探していると、いつの間にか隣に現れて、どうでもいい話を振ってきたものだ。
けれど、そこには静寂があるだけだった。
次は屋上。
昼休みに弁当を食べていると、彼女は当たり前のように僕の卵焼きを奪っていった。
空を見上げても、冷たい冬の風が吹き抜けるだけ。当然だ。屋上なんかにチョコを置けば、いくら冬でも日差しで溶けてしまうし、カラスに持っていかれるのが関の山だろう。
あちこちを駆け回りながら、彼女との記憶が溢れ出してくる。
いつもいた場所。
思い出が多すぎて、一つに絞ることなんてできない。闇雲に探しても、彼女に辿り着くことはできない。
彼女が、一番長くいた場所。わざわざ、手紙で伝えた本当の意味。
立ち止まり、肩で息をしながら、ようやく気づいた。僕は「場所」という言葉の意味を、履き違えていたのだ。
確信めいた衝動を抱き、僕は再び校舎へと引き返した。夕闇に沈みかけた廊下は驚くほど静かで、グラウンドから響く運動部の掛け声が遠く聞こえる。
いつも彼女が隣にいたから、こんな静寂にさえ気づかなかった。
教室の扉を開け、迷わず目的の場所へ足を進める。
そこは、いつもの僕の席の隣。彼女が座っていた、あの場所だ。机の中に手を入れる。指先に触れたのは、赤いリボンで結ばれた小さな箱だった。ゆっくりと蓋を開けると、中には不揃いな形をした手作りのチョコ。
そして、もう一枚のメモ。
『ヒント一つで十分だったみたいだね』
『答えを教えるよ』
『君の隣』
当たっていた。
特定の部屋や施設なんかじゃない。教室でも、屋上でも、図書室でもない。どこにいても、彼女はいつも、僕の隣にいた。場所なんて関係なかったんだ。
一緒にいること、そのものが彼女のいた場所だった。
彼女が僕に伝えたかった本当のことは――。
そのとき、背後で静かに扉が閉まる音がした。振り返ると、そこに彼女が立っていた。幻影かと思って、息が止まる。
「……転校したんじゃなかったのかよ」
「うん。でも、最後に忘れ物を取りに来ただけ」
彼女は僕の手の中にある箱を見て、満足そうに、いつも通りに笑った。
「やっぱり、欲しかったんでしょ?」
夕方の淡い光の中で、彼女の笑顔は残酷なほど綺麗だった。
彼女は空っぽだったはずの隣の席に腰掛け、机に肘をついて僕を覗き込んでくる。
僕は堪らなくなって、照れ隠しに声を絞り出した。
「忘れ物取りに来たんだろ?」
「うん。いま、見つかった」
彼女は、別れなんていう重い事実をどこかへ置いてきたかのように、軽やかに答えた。
僕は小さく息をついた。
たとえ、明日から物理的な距離が離れようとも、きっと彼女はこれからも僕の心の「隣」を歩き、付き纏ってうろついて、僕の日常を騒がしくかき乱し続けてくれるのだろう。
そうして、彼女の隣で丁寧に包装を解いていくと、チョコの甘い香りが、静かな教室に溶けていったのだった。
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