第七話
目の前には古びた部室の扉。
取っ手に手をかける前から、内側に漂う重たい空気が、下の隙間からジワリと漏れ出している気がする。
ゆっくりとドアを開けると、少し温かみを帯びた空気が途端に頬に触れた。
部室内は厚手のカーテンが閉め切られており、外の光は完全に遮断されていた。
証明はついておらず、唯一、いくつかのロウソクが机の上で頼りなく揺らめいており、火が作り出す影が壁に映し出されている。
――雰囲気を出すためだろうか。
ロウソクの明滅に照らされた部屋の中は、不気味さを演出している。
それにしても、僕がいなかった一か月の間に、部屋はほとんど前の状態になっていた。
部屋の中央では、机を挟んで、霧崎さんと秋月先輩が向かい合って椅子に座っていた。
ロウソクの火がゆらりと二人の顔を照らし、その橙色の光が陰影を強調している。
この部屋の雰囲気に僕は気圧されていたのか、部屋の入口で立ち止まっていた。
完璧に喋りかけるタイミングを失った。
どうしようか。
そう考えていると、ロウソクの火が一瞬強く揺れた。
そして――
二人は不意にこちらを向いた。
瞳は僕を完璧に捉えており、二人は同時に硬直した。
次の瞬間、
「「きゃああああああああああああ!!」」
部屋中、いや旧校舎中に響き渡る悲鳴。
僕は思わず肩を震わせた。
デジャブだろうか、前にもこんなことがあった気がする。
二人の悲鳴が止むと、二人は恐る恐る顔をあげた。
それにしても、心霊現象部を名乗っているのに、なぜこうもホラー体制が無いのだろうか。
僕はあきれるばかりだった。
「…あれ?一ノ瀬君じゃん!」
ようやく僕だとわかったのか、霧崎さんが安堵の表情を浮かべた。
「さっきは勉強するって言ったけど、大丈夫なの?」
そういえば先ほどそんなことを言っていた気がする。
「中間テストもまだ先ですし、まだ本格的に勉強をしなくても大丈夫かなと思いまして。」
そういいながら、僕は部屋の中に入り、椅子に座った。
机の周りには三つの椅子が置かれており、僕が来ることも予定していたのだろうか。
「それで、お二人はこんな暗い部屋の中で何をしていたんですか?」
ふと机の上を見ると、ロウソク以外に一枚の紙が広げられていることに気が付いた。
ロウソクに照らされているその紙には、五十音の列が書かれている。
そして、その上部には赤インクで描かれた鳥居のような図形。
どこか子供の落書きめいているのに、不思議と背筋がぞっとした。
やはり、雰囲気作りというのはとても大切だということに気が付いた。
「ふっふっふ……一ノ瀬も気づいたようだな……」
低く、湿った声が部屋の空気をふるわせた。
秋月先輩がゆっくりと顔を上げる。
「そう…、これはこっくりさんだ!!」
頭の片隅に、昔読んだ小説の一節がぼんやりと浮かぶ。
確か、紙と硬貨を使って、例を呼び出す…そんな内容だったか。
「聞いたことはありますけど、詳しくは知らないですね。」
秋月先輩は一瞬だけ口角を上げた。
「そうか…。まあ、簡単に言うとあの世から幽霊を呼び出すための儀式みたいなものだ。」
先輩は机に置かれたロウソクをひょいと手に取り、顔の下へと掲げた。
火が顎の下を照らし、影が鼻を伝って額へと伸びていく。
「ふふ……、こうするとそれっぽいだろう?」
演出のつもりなのだろうが、その冗談めかした仕草に恐怖が入り込む隙間などはなかった。
「そうなんですね。で、お二人はこっくりさんをしていたと。」
秋月先輩は息をゆっくりと吐き、ロウソクを机に戻した。
僕があまり驚かなかったことにがっかりしたのだろうか。
火が再びゆらりと揺れ、先輩の溜息を飲み込むように静まる。
「まあ、そうだな。まだ準備段階ではあったが、ちょうどいい。一ノ瀬も手伝ってくれ。」
秋月先輩が鞄を開く。
中から出てきたのは、しわくちゃのビニール袋。中には、『業務用ロウソク』と書かれていたパッケージ。
袋を渡され、僕は戸惑いながら中を覗き込む。
小さなロウソクがぎっしりと詰まっている。
「これで何をしろと…?」
そのとき、霧崎さんが不意に机に置かれたロウソクに息を吹きかけ、手に持っていたライターで火を点けた。
パチンという乾いた音が闇に弾け、明かりがふっと生まれる。
オレンジ色の光が、彼女の瞳に宿る。
「一ノ瀬君はね、こんな感じで火を点けてくだけでいいよ!」
霧崎さんは楽しそうに言い、火を灯したロウソクを手に取り、部屋の隅にそっと置く。
「私がお皿を置いて、先輩がロウソクを乗っけていくから、一ノ瀬君はそれに火を点けてね!」
そして、今度は霧崎さんがお皿を鞄から取り出した。
見るからにプラスチックでできたお皿だ。
それらを机の上に並べていく。
「わかりました。」
僕は秋月先輩にロウソクを返し、霧崎さんからライターを受け取る。
「それじゃあ始めるぞ!」
霧崎さんは立ち上がり、部屋のあちこちにお皿を置いていく。
秋月先輩も霧崎さんについていく。そして僕もそのあとを追う。
まるで親子のアヒルのようだ。
無言のうちに進む作業。ロウソクの火が一つ増えるごとに、部屋が少しずつ明るくなる。
…雰囲気作りというのも大変なものだ。
それにしても、火事にならないかが心配だ。
部屋中に本が置かれている。
……これはまた掃除をしなきゃだな。
「…ところで、なんでこっくりさんなんですか?」
初めて自分から声をかけた気がする。
心臓の鼓動がわずかに速くなる。
「いい質問だな!」
前にいる秋月先輩は得意げに胸を張った。
「部活初日にも言ったが、私たち心霊現象部の目標は”幽霊の正体を暴くこと”だ。で、幽霊が実在するか、直接幽霊に聞いてみようと思ってな!」
「…そうなんですね。」
幽霊の正体を暴くために、幽霊本人に尋ねる。
理屈としては間違っている気がするが、いまさら突っ込んでもロウソクが無駄になるだけだ。
「それで、このロウソクってどういう意味があるんですか?」
僕は秋月先輩が置いたロウソクに火を点ける。
「特に意味はないよ。でもほら。”形から入れ”ってよく言うだろ?雰囲気だけでも作ろうと思ってな。」
「そうですか…」
やはり何も関係なかった。
やがて、すべてのロウソクに火が灯された。
僕たちが動くたびに小さな火がゆらゆらと揺れる。
そして、僕たちは中央の机を囲むようにして椅子に腰を下ろした。
「よし、それでは――こっくりさんを始めよう。各自、人差し指を十円玉の上に置け。」
秋月先輩はポケットから十円玉を取り出し、紙の上、鳥居の部分にそっと置いた。
僕たちはそれぞれの指を十円玉の上に重ねる。
金属の冷たさが指先から伝わる。
すると、秋月先輩は深呼吸をし、喋り始めた。
「こっくりさん、こっくりさん――おいでください。おいでになられましたら、”はい”にお進みください。」
静寂。
ロウソクの火が、ぱち、と小さく音を立てた。
次の瞬間――十円玉が、ゆっくりと動き始めた。
「わっ!動いた!」
霧崎さんが声を上げる。
まさか、本当に動くとは思わなかった。
もちろん僕は力を抜いていたし、霧崎さんの表情からも、彼女が動かしているようには見えない。
もし誰かが動かしているとしたら、秋月先輩だろう。
「霧崎、静かに。」
秋月先輩の低い声が響く。
冷静を装っているように見えるが、その額にはわずかに汗が浮かんでいる。
十円玉は”はい”のところに止まった。
「それではこっくりさん。質問を始めます。まず――幽霊は存在しますか?」
秋月さんの質問に合わせ、僕は息を潜めた。
だが、十円玉は”はい”の上で止まったまま、微動だにしない。
「…存在する、ということか。」
こっくりさんが来ている時点で幽霊は存在すると言っているようなものだが、そこには触れないでおこう。
「次は私ね!」
霧崎さんが身を乗り出す。
「こっくりさん、この学校に幽霊はいますか?」
またもや静寂。
指は動かない。
秋月先輩が小さくうなずく。
「これでいい。これがこっくりさんの答えなんだ。最後は一ノ瀬の番だ。なんでもいいから質問するんだ。」
流れ的に僕が来ることは予想できていたが、質問を考えていなかった。
「じゃ…好きな食べ物は、何ですか?」
”はい”か”いいえ”で答えられない質問をすることにした。
すると、十円玉はゆっくりと動き始めた。
「と…く…に…な…な…に…も…」
一文字ずつ、紙を擦りながら動き始めた。
まるで、本当に誰かが答えているかのように。
「こっくりさん、こっくりさん、お戻りください。」
秋月先輩がそういうと、十円玉は鳥居の上へと戻っていった。
「こっくりさん、こっくりさん、ありがとうございました。おかえりください……よし。指を離していいぞ。」
僕と霧崎さんは同時に指を離した。
どっと疲労が押し寄せ、肩が重くなる。
額には冷たい汗が滲み、呼吸が浅くなる。
霧崎さんも、秋月先輩も、同じようにぐったりとしていた。
確かに、十円玉は”動いた”のだ。
「……ぷっ。アハハハハハハハハ!!」
突然、霧崎さんが笑い出した。
「ど、どうした霧崎!?ま、まさか乗っ取られたのか!?」
秋月先輩が慌てて身を乗り出す。
「ちがっ……アハハ、違う違う!一ノ瀬君がこっくりさんに好きな食べ物を聞くと思わなくて!!」
霧崎さんは涙を浮かべて笑っていた。
そんなに面白かっただろうか。
秋月先輩も安心したのか、席に着いた。
「まあ、特に聞きたいこともなかったので……」
僕は肩を下ろす。
緊張が解けた成果、心臓の鼓動がやけにうるさい。
「はぁ……久しぶりにこんなに笑ったよ……ふふふ……」
霧崎さんは口元を抑えながらも、肩を震わせている。
「まあ、それは置いておこう。それよりも!」
秋月先輩は勢いよく立ち上がり、ノートをどこからか取り出した。
「こっくりさんによると、幽霊は存在する!それに、この学校にもいる!これは大発見だぞ!」
ペンを走らせる音が、部室に響く。
霧崎さんの笑い声と、秋月先輩の筆記音が交互に重なる。
僕はため息をついた。
「……やっぱり、入る部活間違えたかな。」
ロウソクの火が、まるでその言葉に答えたかのように、ふっと消えた。
だが同時に、少し楽しいと思っている自分もそこにはいた。




