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第五話

 ドアを開け、教室に入る。かすかなチョークの粉の匂いが鼻をかすめる。

 そんな中、自分の席に誰かが座っていることに気が付いた。

 よく見ると、霧崎さんだった。

 彼女は腕を組みながら、窓の外をぼんやり眺めている。

 その目線の先には旧校舎が見える。


「あ。おはよう。」


 僕に気づいたのか、霧崎さんはゆるりと顔をこちらに向け、いたずらが見つかった子供のように、悪びれもせずに微笑んだ。


「おはようございます。ところで、霧崎さんはなぜ僕の席に座っているんですか?」


 思わず眉をひそめてしまう。

 霧崎さんが座っているせいで鞄を置くことが出来ない。


「同じ心霊現象部同士、仲を深めようと思って。」


 いたずらっぽく笑う。


「そうですか。すみませんが、鞄を置けないので、どいてもらってもいいですか。」


「あ、ごめん。」


 椅子の足が床を擦る音が、がらんとした教室に乾いた調子で響く。

 彼女はふわりと立ち上がり、制服の裾を整えると、僕のひとつ前の席に軽やかに腰を下ろした。


「一番後ろ、しかも窓側ってずるいなぁ。」


 霧崎さんは頬杖をつきながら窓の外を見つめる。


「授業中でも外の景色を見られるじゃん。」


 確かに、この席から見える旧校舎はどこか神秘的で、見ていて飽きることはない。


「どこかの研究によると、後ろの席のほうが先生によく見られているらしいですよ。」


「へぇ、そうなんだ。……でもやっぱりこの席が一番落ち着きそう。」


 彼女の声がどこか陽だまりのように柔らかく響く。

 僕は軽くため息をつき、荷物を机に置いてからロッカーへ向かった。


「あっ!どこ行くの!」


 背中に明るい声が飛んできた。


「ロッカーです。」


 教室を出て、すぐ前にある自分のロッカーを開ける。

 そこから数学の教科書を取り出す。


「うわっ。ロッカーの中も、私のとは比べ物にならないくらいキレイだね。」


「キレイ好きなので。」


 ロッカーを閉じ、席に戻る。

 そして、昨日と同じように、鞄から本を取り出し読み始める。


「ねえ、なに読んでるの?」


 ページをめくる音が小さく響く。

 彼女の声は、静かな教室の中でひときわ明るく浮いている。

 彼女はいつまで僕に話しかけてくるのだろうか。


「本です。」


 一拍置いて、僕は顔を上げる。

 目の前には霧崎さんの顔があり、僕の目を見て笑った。


「それと、本を読むことに集中したいので話しかけないでもらえますか。」


「……あっ。はい。」


 彼女の笑みが少しだけ揺らぎ、目を伏せた。

 少しの間彼女は前の席に座っていたが、飽きたのか自身の席に戻っていった。

 しばらく時間が経った後、彼女の席のほうを見てみると、霧崎さんは机に突っ伏していた。


「なんで早く来たんだ……」


 教室の中はまだ半分ほどしか埋まっていない。

 ノートを開く音、シャーペンの芯が小さく跳ねる音、そして霧崎さんの静かな寝息、それらが一つのリズムのように混ざり合っている。

 そんな教室も、授業が始まる五分前になると人でいっぱいになる。


「おーし全員揃っているなー。」


 そうして授業が始まり、昨日となんら変わらない日常が始まる。

 いつものように授業を受け、休み時間には本を読んで過ごす。


 だが、一つだけ昨日とは違うことがある。


 視界の端に、いつも霧崎さんの姿があるのだ。

 まるで影のように、けれど決して重くない距離で、僕の周囲を漂っているのだ。


 本人はバレていないとでも思っているのかは分からないが、たまに偶然を装って話しかけてくる。

 例えば今日、お昼を屋上で食べていると……。


「こんなところで会うなんて偶然だね。私もちょうどここで食べようと思っていたの。よかったら一緒に食べない?」


「遠慮しておきます。」


 と、このように話しかけてくるのだ。

 やはり心霊現象部に入るべきではなかったと後悔をしている。


 そして、のらりくらり霧崎さんを回避していると、いつの間にか放課後になっていた。

 僕は霧崎さんにバレないように教室を出ようとするが、彼女が僕を見逃すわけがなかった。


「一ノ瀬君!部活行こ!」


 霧崎さんは教室の外で待ち構えていた。僕を絶対に逃がさないためだろう。


「すみませんが、今日はちょっと病院に行く予定があるのでいけません。」


「そっかぁ。じゃあ明日は絶対に来てね!」


 霧崎さんの声は軽い。けれどその軽やかさが、少しだけ胸に刺さった。

 もちろん、今言ったことはすべて嘘だ。

 嘘は嫌いだ。だが、それ以上に人と関わる方が嫌いなんだ。


 そして、このようなやり取りが一か月続いた。

 さすがに毎朝早起きはきつかったのか、朝に見ることは少なくなった。

 だが、昼休みに屋上に行くと必ずいるし、放課後は毎日部活に誘ってくる。

 僕は毎回何かしらの理由をつけて断っているのだが、それでも彼女は諦めようとしない。


「今日は部活行く?」


「すみませんが、今日は図書館で勉強をしようと思っていたので行けません。」


「そっかぁ……気が向いたら来てね。」


 そうして、彼女はいつも通り部室に向かった。

 最初の頃と比べて少し元気は無くなったように見える。

 彼女には部活に誘うというはっきりとした意識のもと話しかけてくるので、少し断りづらい。


「おーい。一ノ瀬。今ちょっと暇か?」


 不意に背後から声が聞こえた。

 振り返ると、担任が立っていた。


「まあ。はい。」


 思わず曖昧な返事が口をつく。


「じゃあちょっとこっち来い。」


 手招きされ、仕方なく歩み寄る。

 教卓の前に行くと、先生は腕を組みながら僕の顔をまじまじと見つめた。

 その目は、叱るでも、からかうでもない。


「お前さあ……部活、ちゃんと行ってるか?」


「いいえ、全く。」


 担任は苦笑しながら頭をかいた。


「だよなー。毎日霧崎が誘ってるの、俺、見てるもん。で、一ノ瀬はなんで部活に行かないんだ?」


 声の調子は軽いのに、不思議と真剣みがあった。


「そもそも、僕は幽霊が嫌いなんですよ。」


 こんなことを真顔で言えるのは、この人くらいだ。

 先生は目を細めて、「なるほどな」とうなずく。


「なのに心霊現象部に入ったのか?」


「はい。」


 怖いのも本当だ。けれど、それ以上に人間の方が怖い。


「優しいな。一ノ瀬。」


 あまりにも自然に言われて、反応が遅れた。


「……は?」


 その言葉が、僕の胸の奥でゆっくり反響する。

 優しい?僕が?

 そんなはずはない。

 優しかったら、霧崎さんを嘘をついてまで突き放したりしない。

 毎日、笑顔を曇らせるような返事なんて、するはずがない。


「僕は、僕が優しいとは微塵も思いませんよ。」


 言葉を吐き出すように、ゆっくりと。

 その瞬間、自分の声が少しだけ震えているのに気付いた。


「そうか?怖いものが嫌いなのに、わざわざ心霊現象部に入る奴なんてふつういないぞ。それに、一か月前も話したと思うけど、霧崎に同情して入部したんだろ?それに、部活も変えていない。それが優しさ以外のなんだというんだ。」


「それは……」


 僕はなぜ入ったのか。

 人数が少なければ、それだけ関わる人も減る。

 だから心霊現象部を選んだ、それだけのはずだった。

 困っていた霧崎さんを助けたわけでもない。

 ただ、『都合が良かった』だけ。

 お互いの利害が一致した、それだけの関係。

 ……それを優しさなんて呼べるはずがない。


「もしかして…霧崎のこと好きだったりする…?」


 先生がにやりと笑う。


「それは絶対にあり得ません。」


 僕は今まで一度も人を好きになったことはない。

 それに、僕はうるさい人は嫌いなんだ。


「それじゃあ結局優しさってわけだ。」


「どうなんでしょうか。」


 努力をしている人が成功しないのは不公平だとは思う。

 霧崎さんが毎朝、まだ校舎が冷たい時間にチラシを配っていたことも、クラスメイト全員に勧誘をしていたことも、知っている。

 その努力は報われるべきだとは思った。

 だが、結局僕の根底には人と関わりたくないという気持ちがうごめいているんだ。


「僕は優しくなんか、ないですよ。」


 人と関わらずに生きてきた僕が、優しいはずがない。


「自分をそんなに卑下するな。」


 先生が静かに口を開いた。


「少なくとも、あれだけ霧崎に勧誘された中で入ったのは一ノ瀬だけだ。ほかの人には、最初から入りたい部活があったからかもしれない。でも、お前は違う。あの時一歩踏み出した。それだけで、霧崎は救われたんだよ。」


「救われた?」


「なんでそんな不思議そうなんだ。でもまあ、霧崎も感謝を伝えるのが下手だな。」


 そうか。彼女が僕に話しかけてきたのは部活に来てほしかったからではなく、感謝していたからなのか……。あの行動が、彼女なりの感謝の伝え方だったのかもしれない。


「で、今日は勉強するのか?」


 僕は、他人のことが分からないと同時に、僕という人間のことも分からない。

 優しさ、感謝、僕はそれらを意図して行動をしたわけではない。

 結局それはすべて一人になるためなのだ。

 

 それを僕は優しさだとは思ったことは無い。

 だが、この人の言葉を聞いたとき、初めて胸が暖かくなった気がするのだ。

 

 この暖かさが何なのか、知りたいと、少し、思ってしまったのだ。


「……今日は、行ってみようと思います。」


「そっか。よしじゃあ行ってこい!」


 背中を思いっきり叩かれる。

 この人は思ったより体育会系なのかもしれない。


「そういえば、先生が教えてくれた場所間違っていましたよ。」


「マジ!?」


「マジです。」


「俺旧校舎のこと全く知らないんだよなぁー……。」


 自然と口に笑みが浮かぶ。

 初めて笑ったような気がする。

 やはり、この人には人を惹きつける何かがある。


「それじゃあ……行ってきます。」


「おう。行ってこい。」


 そうして、僕は教室を出た。

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