第四話
午後の授業が終わり、教室の空気が一気に緩んだ。
窓から差し込むオレンジ色の光が、机の上を照らしている。
その光に、チョークの粉が静かに舞っている。
すると、ドアが開き担任が入ってきた。
「帰りのHR始めるぞー。あ、そうだそうだ。忘れるところだった。始める前に入部申請書を集める。各自、教壇に置いてけー」
気だるげな声が教室の隅まで響く。
それぞれが入部申請書を教壇に置いていき、僕も『心霊現象部』と書かれた申請書をそっと重ねた。
そして、霧崎さんが再度勧誘に来ることはなかった。
「おーし。それじゃあ全員分集まったなー。じゃあ、今日から部活に行くことができる訳だが――。」
担任は書類を束ねながら何かを思い出したかのように手を止めた。
「すまん。一つ言い忘れてた。今日の部活動、新入生は強制参加ということになっている。何か特別な用事がない限りこっちを優先してくれ。」
「えー!」「マジかよ!」
あちこちでため息と叫びが上がる。
もちろん、僕もそのうちの一人だった。
「……まじか。」
部活に一度も顔を出すことなく、静かな高校生活を謳歌したかったというのに、これではどうしても霧崎さんと顔を合わせないといけないことになる。
「すまんなー。それじゃあ最後に、何か連絡がある奴はいるかー?」
誰も手を挙げない。
「いないならこれでHRを終わる。それじゃあ各自部活に行けー。体操服は着ても着なくてもいいぞー。」
ガタガタと椅子の音が響き、クラスメイトたちは一斉に教室を出ていく。
クラスの大多数がいなくなったところで僕は席をゆっくりと立ち、担任の前に行った。
「すみません。入部届け、書き間違えたので書類を返してもらえませんか?」
先生は僕のことを見るなり、面倒そうに片眉を上げた。
「書き間違えた?書類にはなんて書いたんだ?」
「心霊現象部です。」
「あー。……霧崎が言ってたやつか。」
すると、担任は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「んー…それで一ノ瀬はどこの部活に変えたいんだ?」
「それは…まだ考えていません。」
「考えていないのに変えるやつがいるか?」
「それは…」
言葉が詰まる。ごもっともだ。
だが、部活の人数が多いほど僕が目立つことは無くなる。
人数が多ければ、目立つに済むからだ。
「一回行ってみてから考えたらどうだ?それに、今日の朝に見たと思うが、霧崎もあの部活に熱心なんだ。しかも、お前が入らないとあの部活はおそらく無くなってしまう。そうなったら霧崎がかわいそうだろ?」
「まあ…」
屋上での霧崎さんが、ふと頭に浮かんだ。
何故、霧崎さんがそこまで心霊現象部に熱心なのかは分からない。
だが、それは僕には関係のないことだ。
「一ノ瀬も同情して書いたんだろう?それじゃあそのまま霧崎を助けてやれよ。な?」
「……」
確かに霧崎さんに同情はした。だが、それとこれとでは話が違う。
だが、これ以上この人に何を言っても書類を返してくれることはないだろう。
しかたなく、僕は諦めることにした。
「…はあ。わかりました。それじゃあ、心霊現象部の部室ってどこかわかりますか?」
すると担任は、にやりと笑って言った。
「よし!それじゃあ、場所は……どこだっけ?」
その間抜けな声に、思わずため息がこぼれる。
「すまん。この高校はただでさえ部活が多いんだ。確認するからちょっと待ってくれ。」
結局、場所がわかるまでに数分かかった。
旧校舎の三階の奥から二番目の部屋。
そこが心霊現象部の部室だという。
旧校舎は新校舎と離れており、行くためには外を経由していかなければならない。
僕は下駄箱で靴に履き替え、旧校舎へと向かった。
外に出ると、風が強く吹いている。
旧校舎の前には草が生い茂り、壁のペンキはひび割れ、窓ガラスは曇って中が見えなくなっている。
まるで、時間だけが取り残されたような建物だ。
中に入ると、空気がひんやりしており、埃の匂いが鼻を刺す。
持ってきた上履きに履き替え、静まり返った廊下を歩いていく。
担任に聞いた部屋の前で立ち止まり、深呼吸をする。
ここに来るまで、誰ともすれ違わなかった。
部活動がすでに始まっているからかもしれないが、旧校舎のどの部屋からも人がいるような気配は感じられない。
「ここが心霊現象部の部室か…。」
ドア越しに見える部屋の中は暗く、中に人がいるようには見えない。
「本当にここなのか…?まあ、一応入ってみるか。」
そう呟きながら重いドアノブを回す。
少し古いのか、ドアノブがとても重い。
そして、ギギギという音とともにドアが開かれる。
「おじゃましまーす…。」
声がやけに響く。
部屋に入ってみるが、人がいる気配は微塵も感じられない。
中は埃っぽく、様々な荷物が置かれていた。
まるで物置のようだ。
「すみませーん。誰かいますかー?」
返事はない。
荷物をかき分けて奥までたどり着くが、誰もいない。
「本当にここなのか…?」
まるで、長年使われてなかったようなこの部屋に人がいたような痕跡は全くない。
「…」
とりあえず、僕は一旦外に出ることにした。
ドアの前まで戻り、もう一度ドアノブに手をかける。
ドアノブをひねり、ドアが開かれる。
すると目の前に霧崎さんともう一人見知らぬ人物が立っていた。
「「キャアアアアアアアアア!!!」」
突然、二人の悲鳴が学校中に響き渡り、思わず体が固まった。
突然の大声に驚いて固まっていると、霧崎さんは僕だと分かったのか、安堵の表情を浮かべた。
「あ、なんだ一ノ瀬君か。びっくりした~。というか倉庫で何してるの?」
「先生に部室の場所を聞いたらここだと言われて来たんですけど…」
どうやら、ここは倉庫だったらしい。通りで人がいないわけだ。
霧崎さんは立ち上がり、スカートについた埃を掃う。
だが、もう一人は座ったままだった。
「秋月先輩、大丈夫ですかー?」
どうやら彼女は先輩のようだ。確かに、僕たちよりも大人びているように見える。
「…すまない、少し腰を抜かしてしまってな。…手を貸してくれるか。」
霧崎さんが先輩の手を引く。
先輩の体のいたるところに埃がついており、霧崎さんがそれを手で掃う。
「ふう。ありがとう霧崎。」
「どういたしまして!」
そうして先輩は姿勢を正すと、僕の方に向いた。
「で、君はなんで倉庫にいたんだ?」
「いや、だから……担任に部室の場所を聞いたらここだと言われたんです。」
驚きすぎて話を聞いていなかったのだろうか。
先輩の顔をよく見てみると、彼女は昨日の部活紹介の時に本を読んでいた人だった。
あの時は、どこか理知的で、落ち着いた雰囲気を持っているように見えたが、先程の姿からはまるで想像できない。
「おかしいな。この部屋で部活動などは行われていないはずだが。ところで、君はどこの部活に入ったんだい?」
「心霊現象部です。」
「ああ。そうか心霊現象部か……心霊現象部!?」
先輩があからさまに目を見開く。
霧崎さんも目を丸くし、僕の方に近づいてくる。
「え!?一ノ瀬君心霊現象部に入ったの!?」
「まあ、はい…。」
僕は彼女から距離を取ろうと後ろ歩きをするが、彼女はお構いなしに近づいてくる。
……さっそく辞めたくなってきた。
「それで、結局心霊現象部の部室はどこなんですか?」
「ああ、それならこの部屋の横だよ。惜しかったね。」
「ここにいるのもなんだから部屋移動しようか!」
倉庫を出て、僕たちは隣の部屋に移った。
中は、正直先ほどの倉庫とそこまで変わらなかった。
本やファイルなどが散乱しており、空気が少し重い
けれど、中央には椅子が円形に並べられており、かろうじて『部室』の体裁を保っている。
そして、部屋の中央に置かれた椅子に各自座っていく。
一番奥の席に座った先輩が口を開く。
「それでは――心霊現象部の新入生歓迎会を始めよう!」
先輩が立ち上がり、僕と霧崎さんを一瞥してから言った。
霧崎さんは一生懸命に拍手をしている。
「ということでまずは自己紹介からだ。私の名前は秋月万季。この部活の部長を務めている。よろしく頼む。」
秋月先輩が軽くお辞儀をする。
そして先輩が席に着くと、次は霧崎さんが勢いよく席を立った。
「次は私ね!私の名前は霧崎零。趣味はキャンプです!よろしくお願いします!」
いつものように、元気いっぱいの声が部屋に響く。
そして、二人の視線がこちらに集まる。
僕は深呼吸をし、口を開く。
「一ノ瀬です。趣味は読書です。よろしくお願いします。」
自己紹介をし、すぐに席に座る。
「それじゃあ全員の自己紹介が終わったところで、この部活の活動というのを説明したいと思う。」
秋月先輩が席を立ち、部屋の脇に置かれたホワイトボードの前に立つ。
そして、ペンを握ると大きな字でなにかを書き始めた。
「これが私たちの主な活動目的だ!!」
ホワイトボードには、『幽霊の正体を暴く!!』と書かれている。
「幽霊の正体を、暴く…?」
「そうだ!これまで私たち心霊現象部長年、この謎を追ってきた!だが、これまでちゃんとした成果というものが出てこなかった。だが、今年は彼女がいる!」
秋月先輩が霧崎さんに指を指す。
「……霧崎さんが?」
「そう、彼女は一度過去に一度幽霊を見たことがあるというらしい。」
霧崎さんが元気にピースをしている。
「幽霊は存在する!そのため、今年は本格的に調査をしようと思う!
先輩がホワイトボードを叩き、大きな音が鼓膜を揺らす。
「そしてこの部屋こそが私たち心霊現象部の部室というわけだ!」
秋月先輩が両手を大きく広げる。
そして、その動きに合わせて埃が宙に舞った。
「……ところで、本当にここが部室なんですか?」
「何が不満なのだ?ここまで心霊現象部とマッチしている部室など他にないだろう!」
ところで、僕は週末を掃除に費やすほどのキレイ好きだ。
先ほどの倉庫に入った時も思ったが、この汚さは僕の掃除欲を引き立たせる。
「心霊現象部のイメージというのがわかりませんが、それにしてこの部屋は汚いと思います。」
「ま、まあ少しは汚いが、それも雰囲気が出ているじゃないか。」
どういう雰囲気なのだろうか。
この部室をこのまま放置できた秋月先輩の考えが全く分からない。
「はっきり言いますね。この部屋は汚すぎます。というわけで、とりあえず今日は掃除しません?」
「「!!」」
二人は驚いた表情で僕の顔を見つめる。
「歴代の先輩や私が手に塩かけて育ててきたこの部屋を掃除…?そんなこと…あってはならない!」
「そーだ!そーだ!この部屋の魅力を一ノ瀬君は何もわかっていない!」
このままだとこの二人は絶対に掃除をしないだろう。
だが、なんとしてでもこの部屋を掃除したい。
というか、今日は部活動をしないで掃除だけで終わりたい。
しょうがない…
「わかりました。じゃあ部活辞めます。」
「「どこから掃除しましょうか!」」
…まるでコントのようだ。
そうして、その後は各自黙々と掃除をした。
箒の乾いた音、雑巾の湿った擦れ音、時折聞こえる小さな咳。
埃が舞い、外に空気がゆっくりと澄んでいく。
「はあ…私のサンクチュアリがこんなにもキレイになってしまって…」
「でも、キレイな部室もいいですね!」
道具が少なかったので、部屋の隅々までとは言わないが見える範囲はすべて掃除した。
そして、先ほどまで汚部屋だったと言われても信じられないほど、部屋はキレイになっていた。
窓から見える空は赤みがかかっており、時間の経過をしみじみと感じさせられる。
すると、部活動終了のチャイムが鳴った。
「それでは。お疲れさまでした。」
そういって僕は颯爽と部屋を出た。
もう、この部活に僕が関わることはないだろう。
それに、残ってまで活動をしたくない。
「あ、ちょっと待って一ノ瀬君!」
背後から霧崎さんの声が聞こえる。
振り向くと、廊下の奥に夕陽を背にした彼女の姿があった。
「まだ何か用が?」
「別に用というわけじゃないんだけど……一緒に帰らない?」
「すみませんが、お断りさせていただきます。僕は一人でいるほうが好きなので。」
「そっか。それじゃあ明日も部活来てね。バイバイ。」
そして、僕は旧校舎を後にした。
時計を確認すると、時刻は五時を上回っており、新校舎の窓からこぼれる光が夕陽に溶けていく。
新校舎に戻り、教室に置いてあった荷物を取って外に出る。
昼のうちに一冊本を読み終わったので、帰りに本屋に寄って本を一冊買うことにした。
幽霊が題材となっている本で、家に帰ってから少し読んだ。
短かったので寝るまでに読み終えることができたのだが、一つだけ思ったことがある。
幽霊よりも、あの二人の方がよっぽど怖いかもしれないと。
やはり、人と関わるべきではなかった。




