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十七話

「私は幽霊だからね。壁をすり抜けられるんだよ。」


 そう言い放った直後、幽霊は部室の中を縦横無尽に飛び回り始めた。


 天井近くまで舞い上がったかと思えば、床すれすれまで急降下し、まるで自分の存在を誇示するかのようだった。


 何を言っているのか、自分でもよくわからない。ただ、その言葉どおりの光景が、目の前に広がっている。


 僕は浅くなっていた呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がった。膝がわずかに震えている。


 霧崎さんは、驚きのあまり声も出ないのか、唇を結んだまま幽霊を見上げている。


 だが、僕が立ち上がった瞬間、彼女は反射的に僕の服の裾をつかんだ。


 その力は思ったよりも強かった。


「大丈夫。」


 そう口にしたものの、彼女の手は離れない。指先がかすかに震えている。


 僕は意を決し、部室を飛び回る幽霊へ向かって声をかけた。


「……仕事。手伝いますよ。」


 この幽霊が何者なのか、何を目的にしているのかはわからない。


 だが、今は下手に刺激しないほうがいい。そう判断するしかなかった。


「本当!? やったー!!」


 幽霊は弾けるような声を上げ、さらに速度を増して飛び回る。


 その動きは、喜びを抑えきれない子どものようだった。


「……仕事って何?」


 霧崎さんが、裾をつかんだまま僕に聞く。


「……幽霊を、成仏させるらしい。」


 自分でも、口にしている内容が現実味を帯びていないことはわかっている。


「そう! 幽霊を成仏させるの。それが私の仕事。」


 幽霊はそう言うと、ふっと霧崎さんの正面に現れた。


「わっ!」


 霧崎さんは驚き、腰を抜かしたようにその場にへたり込む。


 僕は彼女を庇うように前に立つ。


「だが……まず最初に、あなたが安全だという証明をしてほしい。」


 今この幽霊が、善意で動いている存在なのか、それとも気まぐれな危険物なのかは判断できない。


「証明するって言ったって……どうやって?」


 幽霊は霧崎さんの前を離れ、先輩がいつも座っている部室の奥の席へと移動した。


「それは……」


 正直、何も考えていなかった。


「……魂って、存在しますか?」


 唐突に霧崎さんが声を上げた。


「……存在するよ。」


 幽霊は、先ほどの軽薄さが嘘のように、落ち着いた声で答えた。


「じゃあ、善の部分と悪の部分を見せてくれませんか……?」


 確か霧崎さんは、以前、魂にはその人のすべてが詰まっていると言っていた。


 記憶も、感情も、過去も――おそらく善と悪も例外ではないのだろう。


「よく知っているね。……わかった、いいよ。」


 幽霊はそう言って、自分の胸のあたりへ手を差し入れた。


 肉体の抵抗を無視するような動きだった。


 そうして胸から取り出されたのは、二つの球体だった。


 一つは柔らかな光を放つ明るい色をしており、もう一つは光を吸い込むようなどす黒い色をしている。


 そして、色だけではない違いがあった。


 それは大きさだ。


 明るい球体は手のひらいっぱいほどの大きさだったが、暗い球体はビー玉ほどしかない。


「大きさによって、その人の性格がわかる。例えば、過去に罪を犯した人は、暗い球体のほうが大きくなる。」


 幽霊はそう言うと、二つの球体を再び胸の中へ戻した。


「私の悪は……君たちへの悪戯かな?」


 幽霊は無邪気に笑う。その笑顔には、悪意よりも寂しさが混じっているように見えた。


「でも、これでわかったでしょ? あなたたちに害を与えるつもりはないって。」


 魂というものを見たことは、今まで一度もなかった。それが本当に善と悪なのか、


 それとも霧崎さんの言っていた“勇気”のような別の何かなのかは、判断できない。


 それでも、僕はあの二つの球体から、確かな感覚を受け取っていた。


 明るい球体を見ていると、胸の奥がふっと軽くなった気がする。


 一方で、暗い球体を見たときは、底の知れない沈み込みを覚えた。


 少なくとも、彼女が嘘をついているようには見えない。


「……わかりました。信用しましょう。」


 霧崎さんがそう言うと、幽霊は目を細め、心から嬉しそうな表情を浮かべた。


「それはよかった。」


 そう言った瞬間、背後からドアの開く音がした。


「いやぁー。一ノ瀬どこにもいなかった……よ。」


 入ってきたのは秋月先輩だった。


 幽霊の存在に気づいたのか、言葉は途中で途切れる。


 次の瞬間、先輩は走り出した。そして幽霊の目の前まで来ると、生き生きとした表情で声を張り上げる。


「もしかして、君は幽霊かい!?」


 その勢いに、幽霊もさすがに圧倒されたのか、苦笑いを浮かべている。


「ま、まあ。そうですけど。」


「君の目的は!?」


 先輩は、なぜここまで幽霊に対して好奇心をむき出しにできるのだろうか。


 幽霊はちらちらとこちらを見て、助けを求めるような視線を送ってくる。


「ぷっ。あはははは!」


 霧崎さんも、先輩のいつもの調子に触れて、張り詰めていた緊張がほどけたのか、声を上げて笑った。


 何はともあれ――。


 僕たち心霊現象部は、こうして幽霊との接触に成功したのだった。

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