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十三話

 校舎の内部は、昼間に僕たちが見たそれとはまるで別の表情をしていた。

 もともと人気がなかったが、暗闇によりその建物特有の沈黙が、壁の隙間からゆっくりと滲みだしていた。


 床板の軋みさえ、誰かの吐息のように聞こえる。


 僕はスマホを掲げる。


 しかし、そのかすかな灯りはせいぜい僕の足元と数歩先を照らすだけで、廊下の奥は暗闇が折り重なって壁のように立ちはだかっている。


 光が触れることを拒む闇。


 昼と夜の境目に、こんなにも違う世界が潜んでいたとは思わなかった。


「よし、とりあえず部室に行くか!」


 霧崎先輩はすでに靴を履き替え、ためらうことなく旧校舎の闇の中へと入っていく。

 ため息をつく暇もなく、その背中は照明のない階段に溶けていった。


「ちょっと待ってくださいよー!」


 霧崎さんが慌てたように後を追う。

 ふざけたような声の調子が、かえって心細さを際立たせた。


 気づけば、僕だけが取り残されていた。


 急いで靴を履き替えるが、もちろん二人の姿はない。


 闇の中へ吸い込まれたように、跡形もなく消えてしまっている。


「あの二人……。」


 冷え切った空気に奪われたはずの熱が、再び頭の中に戻り、じわじわと不満を沸き立たせる。


 おいて行かれること自体は、別にいい。

 だが、せめて一言くらい断りを入れてほしかった。


 僕を忘れたのか、あるいは意図すらなかったのか――どちらにしても、胸の奥にざらついた感情が残る。


 僕はスマホの光を頼りに廊下を進んだ。


「先輩は部室って言っていたよな……。」


 三階の一番奥にある部室。


 昼間ならば気にも留めない距離だが、夜になると、その道のりは不自然に引き延ばされ、終わりのない道かのように思える。


 一歩進むごとに、背筋のどこかがひやりと冷え、意識しないようにしても呼吸が浅くなる。


 ……やはりおいて行かれるのは嫌だ。

 こんな真っ暗闇の中では。


 僕は子供のころ、家の中でさえ、常に背後に気配があるように感じていた。

 振り返れば誰もいないのに、髪の毛を摘まれたような錯覚や、耳元で息を吹きかけられたように感覚がまとわりついた。


 中学生になってからはようやくようやく一人にも慣れ、今では自分の部屋で静かに一晩を過ごすくらいなら平気だ。


 だが、こうした場所は、どうにも例外らしい。


「……」


 僕は慎重に足を運び、背中を壁へ沿わせて進んだ。


 壁に触れることで、自分の位置を確かめていないと、足元がどこか消えてしまいそうだった。


 やがて階段を上りきる。


 そうして廊下を少し進むと、暗闇の先にぼんやりと灯りが浮かび上がった。


 部室のドアから光が漏れている。


 ああ、やはり二人はもう中にいるのだ。


 安心よりも先に、置いて行かれた悔しさがよみがえる。


 僕は小さくため息をつき、音をたてないようにドアに近づき、勢いよく開け放った。


「「キャーーーーーーー!!」」


 甲高い悲鳴が、狭い部室を跳ね回った。


 ……どこか既視感があるような。


 二人は椅子に座り、放課後に読んでいた本を広げながら驚いた顔でこちらを見ている。


「ちょっ!一ノ瀬!びっくりさせるな!危うく心臓が止まりかけたぞ!」


「そうだよ!!びっくりしたんだからね!!」


「……まずは、僕を置いて行った謝罪なのではないのですか?」


 静かな声で問いかけると、二人は途端に口をつぐみ、視線を僕から外した。

 気まずさというより、あまり何も考えていなかった、という無邪気な空気が漂う。


 この人たちは本当に、僕を置いていくという行為そのものを、頭の片隅にも置いていなかったのだろう。


 全く……。


「で、でも、男の子だろう?一人でも怖くなんてないだろう?」


 秋月先輩は僕を見ずに、空中へ向かって言う。


「……男だって怖いものは怖いんです。全く。次からは気を付けてくださいよ。」


 僕は荷物を置き、椅子に腰を下ろす。


 深く息をつこうとした矢先、霧崎さんが勢いよくこちらへ向き直った。


「え……。一ノ瀬君って怖いもの苦手だったの……?」


 霧崎さんは意外そうに眼を丸くし、落ち着きなく視線を揺らした。


 そういえば、僕が怖いものが苦手だと知っているのは、担任くらいだったか。


「……まあ、そうだね。」


 言葉を濁すと、霧崎さんはまた窓のほうへ視線を逃がした。


 隠しておきたかったはずの弱さを、つい秋月先輩の勢いにつられて漏らしてしまった。


「まあ、さっきはすまなかったな。じゃあ、部活を始めるぞ!」


 秋月先輩はいつでも調子が一定だ。


 夜中だとか関係なく、平然と部活を始めようとする。


「今日の目標としては、霧崎と一ノ瀬が遭遇したという幽霊と出会うことだ!」


「……どうやるんですか!!!」


 霧崎さんはいつの間にかこちらへ向き直っていた。


「方法としてはこうだ。」


 先輩は机に置かれた本を手に取り、表紙を軽く叩いた。


「ここに書かれている、この学校にまつわる七不思議というのを、それぞれ探索していく!」


 七不思議。


 昨日の放課後、僕らが見た幽霊も、確かその一つだったはずだ。


「音楽室に行くほうが手っ取り早いんじゃないですか?」


 僕が尋ねると、先輩はゆっくりと首を横に振った。


「そう思うかもしれないが、ここを見てみろ。」


 先輩が本を開くと、開かれた先にはピアノの音についての記述が載っていた。


 薄暗い部室の灯りに照らされた文字が浮かび上がる。


「「夜中の一時??」」


 僕と霧崎さんが同時に声を上げた。


 ポケットからスマホを取り出して画面を見る。


 零時二十一分 ――まだ四十分も早い。


「そう!少し来るのが早かった!」


 この人は本当に……。


 まさか時刻まできっちりと記載されているとは思わなかった。


「というわけで、それまでは残りの六つの不思議についての探索をしていこうと思う。」


 悪びれる様子もない。


 まるで、夜の学校を探索するのが、当たり前のことのようだ。


 ……しょうがない。今はこの人に従うしかない。


「じゃあ、どこからいきますか!」


「うーむ。そうだな~。」


 先輩はページをぺくり続け、あるページでぴたりと手を止めた。


「これなんてどうだ?」


 開かれたページを見ると、そこには『増減する階段』と書かれていた。


「どうやら、旧校舎の階段を数えると、上りと下りで段数が違うらしい。」


 上りと下りで段数が違う。


 理屈で考えればありえない。


「最初はこれを検証しに行こうと思うが、異論はあるか?」


「異議なーし!」


 霧崎さんが元気よく手を挙げた。

 その声の明るさが、やけに心強く感じる。


 確かに、ほかの心霊現象よりは怖さも少なそうだ。


「よし!決定だな!それじゃあ早速見に行くぞ!」


「おー!」


 僕たちは各々、スマホや懐中電灯を手にし、準備を整え始めた。

 夜の学校を歩くという非日常が、僕たち三人を同じ方向へまとめていく。


 不安と気合が、胸の奥で静かに重なり合うのを感じる。

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