1-8「震える指先」
試験官が一歩前に出て、名簿を広げる。羊皮紙の上に並ぶ名前に視線を落とし、ひとつひとつ確認する仕草がやけにゆっくりに見える。
「……では、発表いたします」
その声が響くと、受験者たちの間から小さなざわめきが起こり、すぐに消えた。誰もが息をひそめ、次の言葉を待っている。
「今年度、英雄団候補として選ばれた者──」
空気が揺れる。マリアは無意識に胸に手を当てていた。隣ではエリーが唇をかみしめ、まっすぐ前を見ている。
「……マリア・エリーゼ」
その名が呼ばれた瞬間、心臓が強く打ち、耳の奥で血の音が鳴った。自分の名前だと理解するのに一瞬かかったほど、世界がゆっくりになっている。
広間の視線が一斉にこちらに向き、誰かが小さく息を呑むのが聞こえた。
「マリア・エリーゼ、前へ」
試験官の声でようやく足が動く。赤い絨毯の上を一歩一歩踏みしめるたび、今までの努力が頭をよぎった。城の前での祈り、母の言葉、夢に現れた王たちの姿、そして試験の三日間……。
玉座の前に立ったとき、胸の奥にあった緊張が少しだけほどけた。試験官が頷き、証書を差し出す。紋章の刻まれた羊皮紙、その中央に「英雄団候補者」と金の文字が光っていた。
「あなたを、英雄団候補として認めます」
その一言が、ずっと胸に抱えてきた願いを現実に変えた。マリアは深く一礼し、証書を受け取る。手の中の重みが、これからの道のりを示しているように感じた。
振り返ると、エリーがこちらを見ていた。大きく見開かれた瞳、口元はまだ緊張の色を残しているが、その奥に期待と祈りが見えた。
「……次に、エリー・クラーク」
その名が呼ばれた瞬間、エリーの肩が小さく震えた。彼女は驚いたように自分の胸を押さえ、そしてゆっくりと前に歩き出した。
マリアの隣に立つと、エリーは小声で「ねえ……私、受かったの?」と囁いた。マリアは微笑み、小さく頷く。
試験官は同じように証書を差し出し、エリーに告げる。
「あなたを、英雄団候補として認めます」
エリーは両手で証書を抱きしめ、深く頭を下げた。その横顔は、いつもの明るさに加えて、涙の光がわずかに揺れていた。
広間に並ぶ受験者たちの中で、歓喜の声や悔しさの息づかいが交錯する。呼ばれた者、呼ばれなかった者、立ち尽くす者──さまざまな感情が渦巻いていた。けれどマリアには、今この瞬間、エリーと肩を並べて立っている事実だけが鮮明だった。
全員への発表が終わると、試験官が最後に告げた。
「英雄団候補となった諸君には、これから基礎訓練と選抜課程が待っています。真の英雄となる道は、ここからが本番です」
その言葉に、マリアは背筋を伸ばした。証書の重みが再び手のひらに伝わる。これはゴールではなく、始まりなのだ。
隣でエリーが小さく笑った。「ねえ、マリアさん、私たち……本当に一緒に入れたね」
「うん」マリアも笑った。緊張が解け、胸の奥に温かいものが広がっていく。
「約束、ちゃんと守れたね」
「これからが本当の勝負だけど……一緒なら大丈夫」
二人はそっと目を合わせ、うなずき合った。広間の天井のステンドグラスから差し込む光が、彼女たちの頭上に降り注ぐ。赤い絨毯の上で、二人の影が重なり、新たな物語の始まりを告げているようだった。
マリアは心の中で、もう一度誓った。
(誰よりも先に立ち、誰よりも強く、そして誰よりも深く人を想う者に──必ずなる)
その誓いとともに、彼女の胸の奥の炎は、これまで以上に強く、鮮やかに燃え始めていた。