1-5「自分の言葉で」
しばらくして控室の扉が再び開き、試験官が名簿を片手に現れた。羽根ペンで名前をなぞりながら、淡々とした口調で次の試験を告げる。
「次は知識試験です。順番に案内しますので、呼ばれた方はついて来てください」
マリアの胸の奥が小さく鳴った。剣術、魔力適性に続く最後の試験──知識。母に何度も「鍛錬だけでなく知識も」と言われ続け、夜遅くまで本を開いてきたのはこのためだった。緊張の息をひとつ吐き、呼ばれるのを待つ。
「マリア=エリーゼ」
名前が呼ばれると同時に、マリアは席を立った。周囲からまた視線が集まる。先ほどの光のせいで注目されているのだとわかっていたが、ここで怯むわけにはいかない。背筋を伸ばし、エリーが「頑張って」と小さく手を振るのに頷いて応え、試験官の後ろを歩く。
案内されたのは石造りの広い部屋だった。壁には古い地図や英雄の肖像画が掛かり、中央には長机がいくつも並んでいる。机の上には羊皮紙とインク壺、羽根ペンが一人分ずつ置かれていた。窓から差し込む光が、机の上の文字用紙を白く照らしている。重苦しい静けさの中、すでに数人が席に着き、緊張した面持ちでペンを握っていた。
「席は自由です。時間内にすべての問題に答えてください」
試験官が簡潔に説明し、砂時計をひっくり返す。サラサラと落ちる砂の音が部屋に響き、緊張感が増した。
マリアは窓際の席に腰を下ろし、深呼吸をして羽根ペンを握る。目の前の羊皮紙には、びっしりと問題が書かれていた。
──「この国が建国された年を答えよ」
──「西方の国境に接する山脈の名称を答えよ」
──「歴代英雄のうち、王位に最も近づいたとされる者の名を答えよ」
──「魔法における三大属性を挙げ、それぞれの特徴を説明せよ」
歴史、地理、魔法理論、礼法、英雄団の規律まで。母に叩き込まれた内容が次々に目に飛び込んでくる。
(……覚えてる。大丈夫、落ち着いて)
マリアは羽根ペンを走らせた。文字を書きながら、頭の中に読んできた本のページがめくれるように浮かぶ。小さな頃から店の帳簿を手伝い、夜は母の蔵書を開いて覚えた歴史と伝承。玉座に立つには剣だけでなく言葉も必要だと、自分に言い聞かせてきた日々。
周囲では、カリカリとペンの音が連なる。誰かが小さくため息をつく。誰かが手を止め、首をひねる。緊張の匂いが空気に満ちている。マリアはそれらをすべて耳の奥に追いやり、自分の世界に入り込んでいく。
やがて、最後の問題に目を落とす。
──「『真なる英雄』の条件を、あなたの言葉で述べよ」
マリアの手が一瞬止まった。定義として教わった答えはいくつかある。国民に認められること、導くこと、犠牲を恐れないこと……。だが、問われているのは「あなたの言葉で」だ。
(私にとって英雄って……)
まぶたの裏に、玉座の間で誓ったあの日の自分が浮かぶ。母の笑顔、エリーの瞳、城の前で祈り続けた日々、夢に現れた歴代の王たち。胸の奥で小さな炎がまた揺らめいた。
マリアはペンを握り直し、迷いなく書き始めた。
──「誰よりも先に立ち、誰よりも強く、そして誰よりも深く人を想う者。それが私にとっての英雄です」
書き終えた瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。砂時計の砂はもうほとんど落ちている。マリアはペンを置き、静かに目を閉じた。
試験官の声が響く。
「そこまで」
全員が一斉に手を止める。紙を集められる音、椅子の軋む音。緊張の空気が少しずつほどけていく。
マリアは机の上に両手を置き、深く息をついた。頭の中で母の声が響く。「知識は剣のように磨きなさい」。その言葉が、今、少しだけ誇らしく感じられた。