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若き王女のために  作者: 音成 九夢
第1章『英雄団試験』
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1-4「雑談」

 控室の窓から見える中庭は、さっきまでの眩しい陽光が少しずつ傾き始め、石畳の一枚一枚に長い影を落としていた。白い壁に反射する光が、夕暮れのオレンジと薄青のあいだを揺らめかせ、どこか夢の世界のようにぼんやりとしている。窓枠の外に視線を投げるだけで、マリアの心は少しずつ落ち着きを取り戻していくような気がした。


 剣術試験を終え、魔力適性試験を終えたばかりの彼女の両手は、まだほんのりと熱を帯びていた。控室に入った時、最初は気づかなかったが、しばらく座っているうちにじんわりと温もりが指先から肘、胸の奥まで染み渡ってくる。あの水晶の中に現れた光──炎のようであり、花のようでもあるあの紋様──が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。


「……あれ、なんだったんだろう」


 マリアは自分でも気づかないほど小さな声で呟いた。声に出すことで、胸の奥に渦巻く何かを確かめようとしているようだった。


 隣に座っていたエリーがすぐに反応する。彼女はいつもよりも興奮気味に身を乗り出し、両手を膝に置いて目を輝かせた。栗色の髪が肩先でさらりと揺れる。


「すごかったです、ほんとに。あんな光、初めて見ました。試験官の人たち、みんな目がまん丸になってましたよ!」


「……恥ずかしい」


 マリアは俯いて笑う。唇の端だけがかすかに上がっていた。笑いながらも、胸の奥には小さな不安が消えない。夢の中で見た玉座、歴代の王たちの視線、導けという声……すべてが現実の出来事に少しずつ滲んでくるような感覚がある。今まではただの夢の断片だと思っていたのに、さっきの光の中で確かにあの気配を感じた。


 控室の奥では、他の受験者たちがこそこそと話している。マリアの方をちらちらと見ては、小声で何かを言い合い、また視線を戻す。羨望と警戒、好奇心と疑念が入り混じった視線だった。中にはあからさまに眉をひそめている者もいる。彼らの制服や装備はさまざまだが、皆「英雄団」という名に憧れ、何かを背負ってここに来ているのだ。その中で、まだ十にも満たぬ少女が試験場で見せた異様な光は、彼らにとって脅威に映ってもおかしくない。


 エリーはそんな視線には気づかないふりをして、にこにこと笑っている。だがその笑顔の奥にほんの少しの緊張が走っているのを、マリアは感じ取った。彼女の指先が膝の上でわずかに動いている。


「ねえ、さっきの光……怖くはなかったんですか?」


 エリーの声は、今度は小さかった。無邪気に見えて、彼女なりに恐れや疑問を抱いていることが伝わってくる。


「ううん、怖いというより……あたたかかった。誰かに手を引かれているみたいな感覚だったの」


 マリアはゆっくりと答えた。言葉を口にしながら、自分の胸の奥にある感覚を確かめる。そう、それはまるで誰かが自分を見つけ、導いているような温もりだった。孤独に耐えながら目指してきた玉座への道に、初めて差し伸べられた見えない手のような──。


 部屋の隅では、試験官の一人が記録用紙に何かを書き込んでいる。羽根ペンの先が紙の上で細かく動き、インクの匂いがかすかに漂ってくる。彼の視線が一瞬だけこちらをかすめ、すぐに伏せられる。その目の奥に潜んだ警戒の色を、マリアは見逃さなかった。ほんの一瞬だったが、あの視線は単なる驚きではなく、もっと別の感情を含んでいた。


(あの人たち、きっと何か知ってる……でも今は考えないでおこう)


 マリアは心の中でそう呟く。深呼吸をして、背筋を伸ばした。ここで怯えれば、きっと足元をすくわれる。母がいつも言っていた「知識と鍛錬だけでなく、心も鍛えなさい」という言葉が頭に浮かぶ。あの光が何であれ、それは自分の内にあるもの。怖れる必要はない。


 外からは、まだ試験が続いている音がかすかに聞こえてきた。槍のぶつかる音、木剣の打ち合う乾いた衝撃音、詠唱のリズム、魔法の爆ぜる音。遠くで響くその一つひとつが、この国で「英雄」を目指す者たちの決意の証のように感じられた。マリアの耳には、それがまるでひとつの大きな音楽のように聞こえる。勇気と不安が混じり合った、不思議な旋律だった。


 窓の外を見やると、訓練場の端で鳥が羽ばたき、空に舞い上がっていくのが見えた。小さな影が高く、さらに高く、夕暮れの空に吸い込まれていく。マリアはその姿に自分を重ねた。まだ地上を歩く自分、そしていずれ羽ばたきたいと願う自分。羽ばたくためには、恐れずに風を掴まなければならない。


 もう一度、マリアは両手を見た。細い指先が小刻みに震えている。それが緊張なのか、喜びなのか、自分でもわからない。ただひとつ、心の奥で小さな炎が静かに燃え続けているのを感じた。その炎は、あの日玉座の前で誓った時よりも、はるかに確かな形を持っていた。


 エリーはそんなマリアを見つめて、ふっと息を吐いた。


「……やっぱり、すごい人だなあ。私、最初はただ興味本位で声をかけただけだったんです。でも、今は違う。マリアさんが王を目指す理由、少しわかった気がします」


 マリアは顔を上げ、エリーを見た。二人の視線が静かに交わる。エリーの瞳の奥に映る自分の姿が、少しだけ大きく見えた気がした。


「ありがとう」


 マリアは短くそう言った。それ以上の言葉は見つからなかったが、その一言にはさまざまな思いが込められていた。


 控室の空気は、さっきよりも静かに、しかしどこか張り詰めている。誰もが試験の結果を待ちながら、自分の未来を思い描いているのだろう。英雄団に入ることは名誉であると同時に、重い責任を背負うことでもある。子供であろうと大人であろうと、それは変わらない。


 マリアは胸の奥で小さく呟いた。


(大丈夫、私は負けない。たとえ何があっても、私は……)


 窓の外の光が、ゆっくりと薄れていく。夕暮れの静寂の中で、マリアは両手を膝の上で強く握りしめ、静かに目を閉じた。その姿は、まだ幼い少女でありながら、どこか決意を秘めた英雄のようにも見えた。

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