プロローグ
中学三年生の思い浮かべた、一人の少女が王になるまでの物語です。
──我々の国には王がいない。
「英雄」と呼ばれる者だけが王になる資格を持つと言われ、年々「勇者」と呼ばれる者や「大賢者」と讃えられる者が現れては消えたが、誰ひとりとして王となる者はいなかった。
「私が必ず、この国の王に……」
玉座の前にひとり、年端もいかぬ少女が膝をつき、忠誠を誓うようにして祈っていた。
「私が英雄となり、この国を勝利に導いてみせます」
まだ十にも満たない年齢。英雄と呼ぶにはあまりにも幼く、か細い身体。だが、国民がたったひとりの人間を「英雄」と認めなければ玉座に座ることは許されず、王となる者は国民をまとめ、勝利へと導かねばならない。
少女はゆっくりと立ち上がり、胸に手を当てて一礼すると玉座を後にした。
城門を出た瞬間、張りつめていた緊張がほどけ、大きなため息がこぼれる。
「はぁ……わたし、本当に王になれるのかな」
愚痴のような独り言。けれども少女は、英雄になるための鍛錬を一日たりとも欠かさなかった。
彼女の目標はふたつ。ひとつは王になること。そしてもうひとつは、そのための登竜門──「英雄団」に入ること。王に選ばれるためには、まず英雄団の候補にならなければならない。
「おや、エリーゼさんとこの娘じゃないか。こんな城の前で何をしてたんだ?」
声をかけてきたのは、家の宝石店の常連客だった。母の話ではヘカナという名の男だ。
「少し、お祈りをしてまして」
「ああ、確か王になりたいんだっけか。がんばれよ」
それだけ言い残し、男はそそくさと去っていった。マリアは軽く会釈し、夕暮れの街を家へと急いだ。
「母さん、ただいまー」
「あら、今日は早いわね。お祈りはしてきたの?」
母の問いかけに少女──マリアはこくりと頷いた。
「王になるなら鍛錬だけじゃなく、知識もしっかり身につけなさいよ」
母はマリアの夢を笑わず、むしろ背中を押してくれる数少ない味方だった。街でうっかり口にすれば「お前みたいなやつは器じゃない」と罵られることもある。
過去に読んだ本には、王を目指して暗殺された者の話もあった。野心を抱く者ほど孤独だ。
それでも物心ついた頃から王を望み、ひたすら知識と鍛錬を積んできた。英雄と呼ばれるために、そして玉座に座るために。
マリアは拳を胸の前で固く握りしめる。母はそんな娘を見て、ふっと優しく微笑んだ。
風呂に入り、夕食を済ませると、マリアは寝床に身を投げた。
その夜、不思議な夢を見た。目の前には、どこかで見たような人々が立っている。必死に思い出そうとして、はっと気づく──彼らは歴代の王たちだった。
なぜ夢に現れたのかはわからない。再び目を閉じると、深い眠りが訪れた。
──翌朝。ぐっすり眠っていると、体を揺らされて目が覚めた。大きなあくびをひとつ。母親が枕元に立っている。
「あなたに用がある子が外で待ってるわよ」
マリアは一瞬、頭の中がこんがらがった。友達どころか、人と深く関わることがほとんどなかったからだ。急いで着替え、玄関へ向かう。
扉の向こうに見えた影は、自分と同じくらいの年頃に見えた。
「はーい。どちら様ですか?」
ガチャリ、と扉を開ける。そこにいたのは、目を輝かせた少女だった。彼女はマリアの手をいきなりつかみ、早口で名乗る。
「私はエリーっていいます! あなたはマリアさんですよね!? よく城の前でお見かけします!」
本当に知らない相手で一瞬身構えたが、マリアはとりあえず部屋に入れることにした。
「でも、ただ見ていただけなのにどうして?」
マリアが尋ねると、エリーは頬を赤らめて言った。
「私もお祈りをしようと思っていたら、たまたまあなたを見かけて……ここまで王になろうと熱心な人、初めて見たんです」
言葉は拙いが、言いたいことは伝わってきた。つまり彼女は、城の前に立ち続けるマリアに興味を持ち、今日訪ねてきたのだ。
「それにしても、大きなお家ですね!」
「親の努力のおかげだよ」
エリーは不思議そうに、そして真剣な目で問いかけてきた。
「あなたは本当に、自分が王になれると思いますか?」
「うん、なれると思う」
マリアはきっぱりと言い切った。
「誰にだって平等に権利はある。これは神様が唯一、私にくれた生きがいだから」
「ふーん、そうなんですね……」
エリーはどこか納得のいかない顔をした。無理もない。まだ十にも満たない少女が、国の頂点を目指すと言っているのだから。
「あっ」
エリーは急に立ち上がった。マリアの顔をまじまじと見たあと、慌てて鞄に荷物を詰める。
「またいつか!」
それだけ言い残して、家を飛び出していった。
とても不思議な女の子だった。突如訪ねてきて、すぐ帰ってしまう。疑問は残るが、マリアの日常は変わらない。
王になるために鍛錬を積み、知識を植えつけ、国民を導ける人間になる──それが、彼女の決意だった。