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月の降る夜、あなたとふたり  作者: 小坂あと


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第8話










 白石さんが優しい。


 夏休みを経てから、急にデートの提案をしてきた相手に対して「かわいい服も持ってない」と言い訳混じりの断りを入れた私に、彼女は「じゃあ服を買いに行こう」と外へ連れ出してくれた。

 だから今日は休日に、白石さんと大型ショッピングモールへとやってきた。

 私とは違って年頃の女の子らしく、スカートを履いてきた白石さんはうっすらとお化粧もしていて、学校で見かけるよりも可愛らしい見た目をしていた。

 そんなにも眩しいと、隣に立つ自信を根こそぎ失ってしまう。……元より無いというのに。


「さ、間宮。どれがいい?」


 これまで縁のなかった服たちを前にたじろいだ私に、可憐な笑顔を向けられる。


「わ……わからない」


 どうしてそこまでしてくれるのか。

 何を選んだらいいのか。

 彼女の本心はなんなのか。


 何か企みがある?なんて思ってしまうのは、失礼だろうか。薄々気付いてたけど、そうでもなければ私なんかに優しくする意味がない。

 服ひとつ選ぶだけで卑屈になって縮こまる私の体を後ろから包み込むようにして体の前面に服を当てた白石さんは、まるで優しさの塊みたいな笑みを浮かべた。


「こういうのもいいね」

「そ、そうかな……」

「間宮はかわいいから。きっとなんでも似合うよ」

「う……うそだ」


 さらりと言われた信じられない褒め言葉を否定しても、白石さんの顔には笑みが張り付いたまま。


「かわいいよ」


 信じてもいいのか分からない言葉に流されて、その日は結局着たこともないような服を一着買ってもらった。

 別の日にはアクセサリーを、そのまた別の日には形に残るものではないもののお洒落なカフェに連れられた。彼女の選んだ服を着て。

 あまりに慣れない経験の連続で戸惑う私に、白石さんは終始笑顔を崩さず積極的に手を引いて接してくれた。

 

 まだ暑さと青さを残した秋の空に、彼女の姿はよく映えた。


 瞳に映るだけできらめいて、チカチカしてしまいそうなほどの相手を前に、私はただただ怯え竦むばかりだった。

 失った時の反動ばかりを考えては、増えていく物達を抱き締めて眠る日々を何日も、何日も繰り返した。


「……明日は、水族館に行こっか」

「……うん」


 ベッドの上。

 服を着たままで、体を重ねることもせず、互いにお揃いで買った指輪を絡め合いながら話す時間は私にとって幸せの塊のようなものだった。

 彼女が優しくなったのは、いつからだろう。

 季節はもう秋を飛び越えて冬に近付く。時間はあっという間で、つい先日まで暑かった気がするのに今ではもう肌寒くなってきていた。

 バイト代のほとんどは、スマホの通信料金と白石さんとのデート代に溶けた。

 そのくらいには休日に出かけることが多くて、人生でこんなにも遊び尽くしたことはない。


 最近、あの痛い行為をしていない。


 前までは体目当てなのかなって思ってたけど、今ではその認識も変わり始めていた。

 だって会っても、友達みたいな距離感で話してくれるか、恋人みたいな距離感で手を繋いでくれるか。下心を良い意味であまり感じないから。

 白石さんは、もしかしたら本当に私のことを好きでいてくれてるのかな?とか。

 自殺から助けてくれた同情でここまでできるのかな?とか。

 期待と疑念が私という小さな体の中に留まって、ぐずぐずと混ざり合う。


「……し、したい、な」

「?……なにを」

「えっち……」


 不安になってお願いしたら、耳元で鼻から吐息が抜けるのを感じた。


「かわいい……間宮」


 感情のこもった声で鼓膜を撫でられると、それだけで大きな満足感が押し寄せてくる。

 胸元をまさぐられて、恥じらいと欲張りが入り乱れる中で、腰を浮かせて相手の首に手を回した。

 互いの呼吸が、冷たい空気に溶ける。

 久しぶりの行為は、腰が砕けるくらいには気持ちが良くて、いつの間に自分はここまで快感を得るようになったんだろうと頭の隅でぼんやり考えた。

 それもすぐ、彼女からのキスによって思考を遮断させる。


 私が呑気に愛を育んでいる間に、母の怒りは静かに密かに溜まっていたというのに。


 想像を遥かに超えてまずい状況だと知ったのは冬休みに入る頃、すっかり吐く息も白くなった時期だった。

 いつも通り白石さんの家を出て、疲れた体を自宅まで運んだら、


「ただいま……」

「遅い!どこ行ってたんだ!」


 入ってそうそう、居間の方から灰皿を思いきり投げられた。

 私の体にぶつかることなく、代わりに玄関の扉に硬い音を立てて当たった灰皿は、タバコの残骸を撒き散らしながら床に落ちる。

 突然のことに驚いて動けずにいると、鬼のような形相で目をつり上げた母がズカズカと目の前まで歩いてきた。


「てめぇ、バイト代も渡さないで何やってたんだ!」


 胸ぐらを掴まれたと思ったら、次の瞬間にはバチンと視界が弾けて、痛みは後からじんじんとした熱さと共に広がった。

 荒れた母を見るのは久しぶりで、そういえばこの人はお金が絡むとこうなるんだってことを、叩かれてからやっと思い出した。


「金、出せ。持ってんだろ」

「あ……」


 どうしよう。

 白石さんとの遊びで使ったばかりの財布には、母を満足させられるほどの現金が入ってない。

 お金を持ってないと知られたらどうなるんだろう、今にも逃げ出したい私の思いとは裏腹に、母は勝手に鞄を漁り財布を取り出した。そこにはいくらも入っていないというのに。

 相手の顔が怒りで染まっていく様を見て、反して私の顔は青ざめていってたと思う。鏡を見なくても、全身から血の気が引いていく感じから分かった。


「お前…!」


 その日、私は体にいくつもの痣を作ることになる。


 慣れているはずの痛みが前よりも痛く感じたのは、私が一度“平和”と“安寧”を知ってしまったからだ。

 より苦しみを大きくした原因でもあり、一瞬でも幸福も与えてくれた存在でもある白石さんに対して、私が抱いたことは“もう遊べなくなったら嫌だな”というどこか呑気な悩みだった。


 彼女から離れるのだけは、もう到底無理そうだと気が付いた時、私はまたひとつ大きな絶望を抱えた。


 

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