第4話
白石さんは多分……性欲が、強いんだと思う。
会うたびに必ずそういうことをするし、一度始まったら最低でも一時間はかけて私の体を撫でて回る。
むしろ、体を重ねない限り会ってくれる気配がないことから、薄々「体目的だったのかな……?」ってことに気付き始めていた。
だってこれって……恋人っていうよりも、セフ――
「間宮」
優しい声が、意識を現実へと呼び覚ます。
「どうしたの?」
心配の二文字を貼り付けて、私の顔色を窺ってくる彼女は誰がどう見ても、純情そうな女子高校生だ。
少し前、白石さんに首を絞められた。
理由は分からない。そういう趣味を持ってたのかもしれないし、私の何かが気に食わなくて殺したいくらいの憎しみを持ったのかもしれない。
恐怖を感じなかったと言えば嘘ではないけど、それよりも突然のことに驚きすぎて思考が混乱したまま、私は彼女を許してしまった。
後々考えると、怖いことをされたという自覚がある。
それでも離れられないのは、彼女の与えてくれる体温と優しさは本物で、失ったらもう二度と誰も私の相手をしてくれないんじゃないかっていう孤独が背後に立っているからだ。
「間宮さん」
「あ……は、はい」
「先生が、今日提出のノート早く出せって」
学校で私が話しかけられるのはこの程度の用事だけで、それもクラスメイトはいつも嫌々仕方なく、といった顔をする。
「ご、ごめんなさい。今出すね」
「……はぁ。だる」
無遠慮に投げられるため息と呆れに焦りつつ、ノートを取り出す。
謝りながら渡したら、クラスメイトの女の子は舌打ちをひとつ残して先生の元へと向かっていった。
「まじあいつ、とろすぎ」
吐き捨てるように、遠巻きに言われた言葉が胸を刺す。
惨めな思いが全身を黒く埋め尽くして、その場から立ち去りそうになったのを、涙がこみ上げてくるのを、ひたすらに耐えた。そんなことをしたら、もっと居場所を無くすから。
可哀想な奴が可哀想にしてるのを見て同情してくれるのは、恵まれた容姿や愛嬌を持った場合のみだ。
私の場合はどちらもないから、少しでも被害者ぶろうものなら周りからは面倒くさがられ、余計に遠ざけられる。これまで生きてきた経験から学んだ。
だから、いつ頃からか私は辛くても泣けなくなった。
流すのはいつも故意に作った傷跡から溢れ落ちる血液だけで、灰色に見える世界の中、鮮烈な赤が視界に映ると安心する。
切ってすぐは何もないところから、皮膚が開きじんわりと赤く細い線が広がって、小さな血の溜まりが膨れ上がっていくうちに耐え切れず肌の上を垂れる。
血の気が引くのと同時に、スーッと頭からも熱が引いていくのを感じられて、何よりもストレス発散になった。
とはいえ、切った時のことは自分でもあまり覚えていない。その時はものすごく気持ちいい気がして頭もふわふわするのに、終わって残るのは嫌な痛みと孤独感と虚しさだけだ。
出来たばかりの傷口を、親指の腹でなぞる。
『……また、切っちゃったの?』
白石さんならきっと、呆れもせず聞いてくれて、リップでも塗ってあるのか赤ピンクで綺麗な唇でためらうことなく口付けてくれる。
まるで宝物を扱うかのような仕草が、心を抉る。
そんなにも大切にされるような存在じゃない。嬉しい。汚いから舐めないでほしい。もっとしてほしい。
心の中で混じり合わない気持ちがせめぎ合っては、目頭と喉の奥が熱くなる。
分かってる。どうせ、私のことなんか本気で好きじゃない。穴があればそれでいいとか、思ってるのかもしれない。……女の子なのに、不思議だ。
だけど、それでもいい。
なんでもいいから、繋がりを持っていたい。もうひとりになるのは嫌だ。さびしい。怖い。
「おいで、間宮」
「……うん」
正直な話、白石さんに体を触られても気持ちよくはない。
くすぐったいとか、触られてるなって分かるくらいの感覚で、明確な快感を覚えたことは何度もある経験の中で一度もなかった。
むしろ白石さんは時々だけど雑になることがあって、そういう時はどちらかというと痛い。
ただ、表に出したら嫌われると思うから、彼女が満足できるまでなるべく声も感情も出さずに耐える。
この痛みさえも愛せたら、白石さんにも本当の意味で愛されるかもしれない。
「好きだよ、間宮」
痛い。
本当は思ってないくせに、とか雑念が混じるのがまた辛くて、余計なことを言わないように必死で声を押し殺した。
前回、首を絞められた時。あの時は、私が面倒くさいことを言ったからだ。だからきっと、白石さんは怒った。
本当に好き?なんて質問は、しちゃいけない。たとえ口だけでも言ってくれてることに、感謝しないと。私みたいなやつを相手にしてくれてるだけでありがたいって、そう思わないと。
「じゃ、またね」
「う、うん」
やっぱり今日も、終わったらすぐ帰らされる。
だけど別れ際、いつも頭を撫でてくれるから、私にはそれだけでよかった。
「ただいま……」
「あんた、こんな時間まで何してた?」
嬉しい気持ちを抱えて帰ったのに、その日は母が家にいる日だった。
「あ……あ、と、友達の家に」
「友達?あんたみたいなブスに友達なんてできたの?」
「あ、う……うん。高校で、仲良く…」
「まぁなんでもいいけど、あんまり帰り遅くなるんじゃないよ。拉致られてもお母さん知らないからね」
「あ、うん。ご、ごめんなさい」
「ったく……高校なんか行かないで中卒で働いてほしかったのに」
母は夜の仕事をしている女の人で、口癖のように私のことを“ブス”と呼ぶ。
私は父親似みたいで、顔が気に食わないらしい。どうせ産むなら、もっとイケメンの子が良かったと心底後悔した声でよく言っている。
父親は多分、詳しくは聞いてないけど……何人か関係を持っていたうちの誰かで、お客さんだといつだか酔った母が話してくれた。誰か分からないから、結婚もできなかったんだとか。
「高い金払って通わせてんだから、絶対に卒業して養ってよね」
「あ……う、うん。もちろん」
母は基本的に家にいなくて、育てられた記憶もあんまりないけど、親子というのはそういうものだと言う。
家族とか、親からの愛とか、よく分からないから分からないままにしている。考えたら、傷つきそうな気がして。
母が家にいる時は同じ空間にいると怒られるから、長風呂をして時間を潰すか、トイレにこもる。
寝る時だけ寝室から薄い毛布を一枚だけ貰って、リビングのふたりがけソファで横になる。
『明日も家に来て』
眠る前、スマホを確認したら白石さんからの通知が入っていた。
母のおさがりである古いスマホを使って、白石さんとは連絡を取っている。どうしてもとお願いしたら、外でも使えるよう契約もしてくれた。
『わかった』
『おやすみ。また明日ね』
明日も……するのかな。
白石さんとのキスは好きだけど、それ以上先は苦手だ。
「嫌だな……」
体温は欲しいけど、あの痛みには慣れそうもない。
それでも私は、受け入れるしかないのだ。
彼女に拾われたあの瞬間から、私の全ては彼女のものになったのだから。




