【エピローグ】白石颯人の独白
彼女は、“壊れて”しまった。
壊したのは俺の妹で、彼女の恋人でもあった彩花だ。
「彩花ちゃん」
実の娘に対して、まるで恋慕にも近い眼差しを向ける俺の妻は誰がどう見ても“異常”で、目に見えて精神が崩壊している状態である。
こうなる前に阻止できなかったのは自分にも責任があって、深く思い負い目のせいで彼女に強く出られないことも相まって、状況は暗転していくばかりだった。
『パパ、どうして“間宮ちゃん”はお母さんって呼ぶと怒るの?』
『そう……だね。どうしてだろうね』
娘の“彩花”が幼い頃は、まだ良い。
しかしそれも、歳を重ねていくにつれ綻びが現れ、小学生に上がる頃にはきっと、娘は徐々に疑問をいだき始める。
そのたびに俺は答えに詰まり、満足させられるような返事もできず誤魔化しては、頭を抱える日々を送る。
間宮ちゃんは、娘に妹の姿を重ねている。
理解しがたい企みに気が付いたのは、娘が生まれるほんの直前で、妹の名前にしたいと言われた時には絶句した。
さすがにやめよう、俺がそう言うと彼女は錯乱して「それなら今すぐにでも堕ろす」と自分のお腹を何度も加減なく殴りだしたのだ。
とにかく落ち着けようと了承してからはもう遅く、彼女の意思を止められることは出来なくなった。
彩花が産まれてからは、地獄の日々が続いている。
崩壊に一歩一歩近付いていく日常の隙間をついて、俺は毎日とあるノートを開く。
“間宮育成日記”
妹の彩花が、死ぬ前に残したノートだ。
見つけたのはあいつが自殺を図る当日、実家に帰った時に持って行っていた旅行鞄の中に気が付いたら入っていた。
これの他に、百万近い大金とふたりの思い出の写真が入った封筒もあった。
嫌な予感がした時にはもう遅くて、間宮ちゃんに「今どこにいる?」と電話で聞いたら「学校です」と返ってきたから、終電のことも考えず電車を乗り継ぎ急いで向かった。
着いた先に待ち構えていたのは、飛び散った血の海の中で横たわる、ふたりの姿だった。
そこからはバタバタしていて、よく覚えていない。
ただひとつ、脳にこびりついて離れないのは、
「……くそ。俺は、なんて人間なんだ」
今思い出しても、自分のおぞましさにゾッとする。
人が死ぬ様を見て、興奮するなんて。
「ごめん、間宮ちゃん……こんなやつで…」
思えば、片鱗はあった。
初めて彼女と出会った日、クローゼットの中で可哀想に凍えて震える全裸の姿を前にして、自分の意思とは反して下半身が勝手に反応を見せた。
色んな事に戸惑いながら助けている最中も、ずっと脳内では「犯したい」や「汚したい」なんて邪な声ばかりが響いていた。
自分でも気持ちが悪いほどの、一目惚れだった。
どうして、こんな気持ちになるのかは分からない。
だけど不幸そうで、惨めそうで、悲惨そうな間宮ちゃんを見てると、どうしようもない加虐心と興奮が湧き上がってくるのだ。
軽蔑し、苦悩し、葛藤しても、強烈なこの思いが消えてくれることはなかった。
だからせめてもの罪滅ぼしに、俺の命全てを彼女に捧げようと思った。結局は都合のいい、彼女から離れたくないだけの言い訳かもしれないけど。
「今なら、お前の気持ちも分かるよ」
そんな俺に、妹の彩花は様々な“証拠”をわざと残した。
今手にしている“間宮育成日記”が、そのひとつだ。
内容は、“殺すための育成に何が必要か”や“死んだ後の処理をどうするか”など……ただの快楽殺人鬼が自己満足のために書いたような日記で、ほとんどが計画を練る思考回路を書き連ねたものであった。
それと、日々移ろい変わりゆく心情はそれだけ間宮ちゃんへの深い執着を表していて、読んでいて気分が悪いはずなのに不思議と最後まで読み進めてしまった。
そして最後のページには、
『私が死んだら、続きはこれを読んでいるあなたに託す』
死後を想定して書かれた、俺宛てのメッセージだった。
その一言を見て、俺は確信した。
彩花は、俺の本性を見抜いていたんだ
「……結局は、兄妹だよな」
白い紙にペン先を走らせる。書く内容は、地獄に落ちているであろう憎たらしくも愛しい妹への手紙と、最近の自分の心境だ。
あいつの思惑通り、まんまと乗せられてしまった俺はこうして、日々“間宮育成日記”の中身を更新している。
破滅に向かう、今は仮初めの幸せに満ちた現実を書き綴っていると、彩花の気持ちが分かる気がしてくるんだ。
「間宮ちゃんは、可愛いよな」
いずれ本当の意味で壊れてしまうだろう彼女は、魅力に満ち溢れている。
飼われたばかりで人間に怯えるハムスター、あるいは轢き殺された瞬間の猫みたいな雰囲気をまとった間宮ちゃんに、俺は狂おしく愛慕してかき乱されるばかりだ。
だから、お前の気持ちはよく分かるよ。
“守りたい”と“殺したい”の狭間で悶え苦しむしかないんだ。
だけどお前と違って、俺は“良心的”だから。
この罪を、一生背負っていく他ないんだ。
墓場まで持っていくよ。
「地獄で会おうな」
パタリ、と。
閉じたノートを、引き出しの奥にしまいこむ。鍵もしっかりかけた。
代わりに取り出した物を持ったタイミングで、部屋の扉が開いた。咄嗟に、背後へ手を回して隠す。
「颯人さん、話ってなに?」
「ああ、間宮ちゃん。相談があってね」
「うん」
「二人目を、作る気はない?……あ、ほら、彩花も兄弟がいなくて寂しがって…」
「何言ってるの、颯人さん」
くしゃりと笑った彼女は――間宮ちゃんは、
「彩花ちゃんは、この世にひとりしかいないよ?」
壊れている。
壊してしまった。彩花が。
「……ああ。そうだったね」
きっと俺も、どこかで壊れてしまったんだ。
「愛してるよ。間宮ちゃん」
だから壊れた君が、心から愛おしく思えるんだ。
たとえ、返事が無くとも。




