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月の降る夜、あなたとふたり  作者: 小坂あと


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第20話







 屋上に着くと、彼女はもうフェンスの向こう側にいた。


「し、白石さん…?」


 フェンス越しに覗き込んでも振り返ってすらくれない後ろ姿に、漠然とした不安感を抱いて私もおそるおそるフェンスを乗り越えた。

 少し下を覗けば見える遠くの地面に恐怖しながら、それでも一歩、また一歩と確実にコンクリートの地面を踏みしめて白石さんに近づいていく。


「待ってた、間宮」


 手が届きそうな位置に着いた途端、白石さんは踊るように、ひらりとスカートを浮かせてくるりと振り返ってみせた。


「あ、危ないよ」


 落ちてしまわないか心配で声をかけたら、彼女は薄く微笑んで手を伸ばす。


 まるで、初めて出会ったあの時みたいに。


 今でも鮮明に思い出せる。


 人生に絶望しきっていたあの日、私は彼女の――白石さんの笑顔と、包み込んでくれた手のひらに救われたんだ。


 なんで彼女が今になって死のうとしてるのかは、分からない。恵まれてるように見えた白石さんも、自殺を望むほど辛い何かがあったのかもしれない。


 思い当たる死の予感は、何度かあった。


 それなら、今度は私が救う番だ。


 思い立って、口を開いた。


「白石さん、私と――」

「間宮」


 生きてよ。


 言いかけた声は、今ではもう聞き慣れた優しい声色によって遮られた。


「私と死んでよ」


 え?


 呆気にとられる暇もなく、腕を引かれた。


 世界がぐるりと回って、体がふわりと浮いた。


 月が、落ちた。


 そう錯覚してしまうくらいには急降下していく満点の空を目に、恐怖で埋め尽くされた私の意識はそこでブツリと勢い良く千切れた。






















 次に目が覚めた時、私はベッドの上だった。


 もう二度と訪れないと思っていた光は、ひどく眩しく瞼の隙間から入って、私の意識をぼんやりと覚醒させた。

 ここはどこだろう……?疑問に思ってるうちに周囲がバタバタと騒がしくなり始め、気が付けば看護師や医者だろう大人達がベッドの周辺を取り囲んでいた。

 

 その中に、母親の姿もあった。


 母親は珍しく涙を流していて、娘のために泣ける人だなんて思ってなかったから、心は感動と……どこまでも複雑だった。

 きっと地面に打ち付けられたんだろう四肢は折れ曲がり、精神もボロボロ。こうなってやっと、親からの愛情を感じられるなんて。


「私に金も残さないで自殺しやがって……この親不孝が!」


 満身創痍の中、ようやく与えられた気がした愛情はたった一言で崩れ去った。


「なんのために高い金払って高校行かせたと思ってんだ!」

「お、お母さん、落ち着いてください!」


 看護師に止められているのにも関わらず、涙ながらに私を責め立てては暴れ回る母は、医師の判断で一度退出させられた。

 そのあとすぐ後からやってきた警察を名乗るに対しても、混乱した頭では受け答えもできず、首ひとつ動かすだけでも痛む体に吐き気を催す。 

 落ち着く暇もなく色んな事を聞かれたけど、内容のほとんどは頭に入っていなくて、空返事をするのもやっとな私の状況に大人達は目を合わせて困り果てていた。

 何がなんだかよく分からない。痛みだけが鮮烈に脳に届いては、苦痛を与え続ける。


 めんどくさい。何もかも。


「本当に、ごめんなさい」


 今度は母に連れられた白石さんの両親が病室に入ってきて、深々と頭を下げた。そこには、白石さんのお兄さんである颯人さんもいた。


「謝って許されることじゃない!ふざけんな!お前の娘のせいでこっちは…」


 母はずっと、何かを怒鳴りつけていた。

 耳を塞ぎたくなるほどの怒声にうんざりして、窓の方を向く。今は夜なのか、少し欠けた満月に近い月がぼんやりと浮かんでいた。

 

 月を眺めていて、ふと。


「彩花ちゃんは…?」


 最愛の人を思い浮かべて名前を出すと、途端にその場の空気が固まったのが分かった。


 嫌な予感が、胸の内を蠢く。


「……死んだよ」


 吐き捨てるように、母が言った。


「死……え?」

「あのクソ女、あんたを道連れにしようとしたんだ。お前らのせいだ!どういう教育して…」

「あ、あ、彩花ちゃん……は?」


 怒りがおさまらない様子の母の言葉を遮ってもう一度聞けば、


「だから、死んだんだよ!」


 強い口調と共に、辛い現実を突きつけられた。


「本当に……ごめんなさい」


 掠れた声が耳に届いて、白石さんの母親は声を押し殺しながら涙を流した。


「彩花ちゃんが、死んだ…?」


 目の前が、暗く染まっていく感覚がした。


 心臓が浮つく。呼吸も止まる。涙は、もはや流れてさえくれない。


「うそ、だ」


 全身を覆い尽くした絶望に、頭を抱えた。


「うそだ……うそだ、うそだ」


 人は受け入れ難い状況に直面した時、発狂してしまうことを知った。

 自分の喉からは悲鳴に近い声が漏れ続け、処理が追いつかない脳が一気に押し寄せたストレスを解消させるためか、ここにきてやっとボロボロと涙を流させた。


 助けられなかった。


 私は……私だけ、生き残ってしまった。


 目に焼き付いて、記憶にこびりついている白石さんの笑顔が今もなお鮮明に思い出せるのに、もう目の前で見ることができない。会えない、話せない、触れない。

 失った実感はない。それなのに、涙はとめどなく溢れては頬を伝って、顎から落ちる。

 

 過呼吸に陥って、ジタバタもがき苦しみ悶える私の背中を、優しく撫で続けてくれたのは――颯人さんだった。

 

 泣き疲れて、気絶するように寝落ちた私は翌日、面会に来てくれた颯人さんにお願いして、特別に屋上まで連れて行ってもらった。

 空は青く澄みきって、肌寒い風が肌の上を撫でる。

 嫌になるくらい眩しい太陽に目を細めれば、天国にいるかもしれない彼女の面影が浮いて見えた。

 触りたくて上へ、上へと手を伸ばすうちに、前のめりになった体が車椅子から落ちた。


「彩花……ちゃん」


 こんな事なら、死ねばよかった。


「彩花ちゃん……彩花ちゃん!」


 私ひとり生き残るくらいなら、あなたと一緒に死にたかった。


「彩花ちゃ…」

「危ないよ、間宮ちゃん」


 引きずってまで空に白石さんを追い求める私の体を支え持った颯人さんが、震えた声を絞り出す。

 泣いてるみたいなその声を聞いて、私の目からも大粒の涙が溢れ出して、視界はじわじわぼやけていった。


 死にたい。


「彩花ちゃん…」


 彼女がいなくなった今、どう生きたらいいのか分からなくなってしまった。

 二度も生かされた。生きていたって、仕方がないのに。

 絶望の淵に立たたされた私を、救ってくれる人はもういない。

 大声で泣きじゃくる私に、颯人さんは自分の着ていたコートを掛けてくれた。


 白石さんの香りがした。


 彼女はもう、いないというのに。





 

 

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