第15話
冬休みの間、兄は家に居座るつもりらしい。
視界の端に映るだけで目障りだからさっさと消えてほしいんだけど、どうやら“親孝行のため”とやらでそうもいかないようだ。
両親に尽くす彼は健気なことで、バイト代を切り詰めて貯めたはした金で買ったとかいうプレゼントを使って親を喜ばせていた。
どれだけの徳を積めば気が済むのか。一周回って誰よりも欲深で煩悩だらけなのは兄な気がしてきた。
「彩花、今日は颯人が焼肉連れて行ってくれるって」
「……私はいいや。お菓子食べすぎてお腹いっぱいになっちゃった」
あからさまに嫌な態度を取ると、それはそれで面倒だから適当なことを言って、家族水入らずな食卓から抜け出す。
居心地の悪い家の中、私が思い浮かべるのは間宮という避難所で、その日も彼女の家に行こうと荷物をまとめた。
「こんな夜に……どこに行くんだ?彩花」
「……間宮のとこ」
わざわざ私を心配して部屋にまで来た兄には冷たい態度を返して、“間宮”の名前を聞いた彼は複雑な感情をそのまま顔に浮かべていた。
「あの子と、仲が良さそうで何よりだよ」
「嫌味?」
「いや……あれから、あんなこともうしてないよな?」
「してない。……あの時はほんと、私がどうかしてた」
感情的になって、焦って、その結果がこれだ。
知られたくなかった相手にバレた痛手を今でも後悔している。もう少しうまくやっていれば、こうやってしつこく話しかけられることもなかった。
それに……間宮に体を許したあの日から、私の中で些細な変化が起きた。
情が湧いた、とでも言うんだろうか。前ほどぞんざいな扱いができなくなって、彼女の持つ痛みに敏感になってしまったのだ。
嫌な変化だ。吐き気を催すほどに。
「行ってくる。今日は帰らないって、お母さんに伝えておいて」
「わかった。……間宮ちゃんに、迷惑かけないようにな」
兄はやけに、間宮のことを気にする。
悲惨な現場を目の当たりにしたせいか、それとも。
「狙わないでね」
一応、念押しのため伝えれば、分かりやすく眉尻が下がって困った笑顔を返された。
「……そんなつもり、ないよ」
まだ何か言いたげな兄を置いて部屋を出る。
「はぁ……早く死んでくれないかな」
鬱陶しい。それに尽きる。
イライラを抱えて間宮の家に行けば、バイト終わりだという彼女はまだご飯も食べていないというから気晴らしに外食へ誘った。
痩せた体に栄養を取り入れてもらおうと選んだのは焼肉屋で、高い肉を前に間宮は終始たじろいでいた。
「こ、こんなに高いのに……いいの?」
「お金ならあるから」
あなたの体を使って稼いだ金だ、とはさすがの私も口にできなかった。
相変わらず“仕事”の方は好調で、残高は増え続けていく一方。これなら、向こう何年働かなくても良いくらいには、私の手元には大金がある。
……いっそ、このまま旅行にでも出かけちゃおうかな。
お互い家に居ても窮屈な上に、間宮はお金のなる木だ。彼女がいれば、全国各地どこに居たって生きていける。
あの腹が立つほどの善人である兄と一生顔を合わせなくて済むのなら、ふたりで逃げ出すのもありかもしれない。高校を卒業しなくとも、金はあるのだから。
それで、この先も間宮と生きて――
違う。
自分の思考に驚いて、言葉を失う。
私、今……何を考えた?
「白石さん…?」
心配そうな表情をする間宮と、焼けて焦げていく肉を視界に捉えつつ、私の意識はそこにはなかった。
間宮と、生きる。この先もずっと。
いつの間に、そんな思考になったんだろう。
当たり前みたいにそばにいて、いすぎてついに頭がおかしくなったのかもしれない。
私の目的は、間宮を殺すことだ。
なのに、なんで間宮の死後を想像できないんだろう。
間宮がいなくなった後、私はどうやって生きていけばいいの?なんて。
なんで今さらになって、ふたりで過ごす未来に思い馳せたんだろう。
「は……っはは」
殺すだったはずの未来を、どう頑張っても想像できなくて、口からは勝手に笑いが溢れた。
自分がどうして笑ってるのかも分からないまま、こんがらがってイラつく頭を引っ張るようにして髪を掴んだ。
目の前で戸惑う少女は心の底から私を心配しているようで、それが嬉しいのに苦しい。いつから私は、間宮の顔を見るとこんなにも胸を締め付けられるようになったのかな。
いなくなったら悲しい、寂しい、嫌だと。
いったいどこで、扱い方を間違えた?
みーちゃんと同じように、誰かに世話を任せて放置していればよかったのに。
「彩花ちゃん……?」
名前を呼ばせるくらいには親しくなった、近づきすぎてしまった相手を追い払うために伸ばされた手を叩いた。
驚きから手を引っ込めた間宮は、怯える中でも私の身を案じて瞳を揺らしていて、ズキリと心臓の辺りに鈍い痛みが走る。
みーちゃんも、同じだった。
私が兄と比べられたり、親に怒られて落ち込んでいる時に、そばへやってきては慰めるようにすり寄ったり、ザラザラな舌で舐めてくれた。
小さな命が唯一の救いで、希望だった。
だけどいなくなってしまった。呆気なく、跡形もなく。簡単に私の前から姿を消してしまった。
間宮も、そうなるはずだった。
殺したくない、殺したい。死んでほしい、生きてほしい。
私の前から、いなくならないで。
芽生えた愛着が心を蝕む感覚に、“これだ”と確信した。
ようやく、ようやくここまでこれた。
「ねぇ、間宮」
怖くて、声が震える。
「私……間宮と出会えて幸せ」
恐ろしいくらい、全てが整った。
歓喜に満ち溢れた私は、今にも叫び出したくなるほどの激情を押さえ込んで、必死な思いで彼女に伝えた。
「愛してる」




