第13話
間宮がいるから、早く帰らないといけないのに。
「せっかくだから、今日はすき焼きにしようと思って。彩花、好きなお肉選んでいいわよ」
「……どれでもいい」
「そんなこと言わないの。お兄ちゃんが久しぶりに帰ってくるんだから」
やたら上機嫌な母に付き合わされて、もうかれこれ数時間も買い物をしている。
進学と同時にひとり暮らしを始めた兄が帰ってくることがよほど嬉しいみたいで、あれやこれや、これも必要だと際限なく膨らませては色んなところへ連れ出す母にうんざりしながら、スマホを開いた。
間宮の位置を示すピンは変わらず自分の家にあって、ひとまず移動してないことにはホッと胸を撫で下ろす。……まぁ、あんな格好じゃ逃げようにも逃げられないだろうけど。
「……お兄ちゃんは、いつ来んの」
「うーん。夜にはって言ってたけど、詳しい時間は聞いてないわね」
「ふぅん。そっか」
もうすぐ新年だから、一年に一回くらいは顔を出そうとか思ったんだろう。兄は、そういう人だ。
家族思いで、頭も良い。平凡な私と違って、それなりに運動もできて……恵まれた人間だと思う。腹が立つほどに。
だから兄のことは好きじゃない。どちらかといえば嫌いの類で、本音を言えば会いたくもない。
顔を合わすのさえ最悪なのに、その日はもっと最悪なことが起きた。
「……彩花、来てくれ。話がある」
家に着いて早々、珍しく挨拶もそこそこに真剣な顔で呼び出された私は、しぶしぶついて行った。
兄が私を連れて向かったのは私の部屋で、そこにはまだ間宮がいるから少しヒヤヒヤしながらも、表情に出すことはしない。
「話って、なに?」
「……そこにいた女の子は、なんだ?」
入ってすぐ、兄はクローゼットの中を指差しながら言ってきた。
まさか……バレた?
さすがに焦る気持ちで言葉を失った私に、彼は痛むこめかみを押さえ、深いため息をついた。その間に私は、クローゼットの扉を開ける。
そこに、間宮の姿はなかった。
「彼女から、少し事情は聞いた。……付き合ってるんだってな」
「間宮は、どこ?」
帰ってくる少し前まで、確かにGPSはここに間宮がいると指していたはずなのに。
怒り狂いたい気持ちを押さえ込んで聞けば、わざわざ懇切丁寧なことに、ついさっき家まで送り届けたという。余計なことしやがって。
兄は痛ましい光景を見たかのような、今にも泣きそうな顔をしていて、私にはどうしてそんな表情になるのか分からなくて首をひねった。
「付き合ってるんだとしても、あれはやりすぎじゃないか?……彼女、震えてて可哀想だった」
「そういうプレイだよ。お兄ちゃんに関係ある?」
「関係ないけど……あんなの、いじめじゃないか」
「だから、そういうプレイだって」
淡々と事実を伝えても、彼の悲痛な表情は変わらなかった。まるで間宮に同情してるみたいだ。
「あんな暗くて狭いところで何時間も……可哀想だと思わないのか?彩花は」
「……間宮が浮気したから。お仕置きしただけ」
「気持ちは分かるけど……やりすぎだよ。それに浮気なんて、そんなことするような子には見えなかった」
「お兄ちゃんに、間宮の何が分かるの?」
「逆にお前は、人の気持ちが分からないのか?あんなことされた、あの子の気持ちにもなってみろよ」
「だから、あれはそういうプレイの…」
「だとしても、だ。あんなにも泣いて、怯えて……恋人にそんな思いさせちゃだめだろ」
相変わらず噛み合わない会話と、正論ぶった綺麗事にうんざりする。
間宮のことも勝手に帰らせるし……邪魔でしかない。
殺しちゃいたいくらいだけど、体格のいい兄を殺せるほど女の私は強くない。無駄に図体もでかいから、死体の処理も大変そうだ。
それに、初めて殺すなら間宮が良い。
一時の感情で人生最大の楽しみを捨てるほど、そこまで愚かじゃない。
「……分かった。もうしない。間宮にも謝っとく」
仕方なく折れてやれば、兄は安堵して体の力を抜いていた。
「というか、いつの間に恋人ができたんだ?お兄ちゃんにも紹介してくれればよかったのに」
「……お兄ちゃんに間宮を取られたら嫌だもん」
「そんなことしないよ。母さん達には、もう言ってるのか?」
「言うわけないじゃん」
気持ちを切り替えて話しだした相手に合わせて返事をして、ふたりで部屋を出る。
兄は幼い頃から両親が褒める通りの“よくできた子”で、私が女と付き合ってる事実を知っても偏見なんか微塵も感じさせない対応を取った。
そういう“良い人ぶってる”ところも、大嫌いだ。
あたかも自分は正しいという顔をして、良識を持った人間の面を厚く保っておいて……結局は兄妹。同じ穴の狢だというのに。
「このお肉、彩花が選んでくれたのよ」
「そうなんだ、嬉しいな……いつもよりおいしく感じるよ。ありがとう、彩花」
「はいはい、どういたしまして」
「またこの子は……素直じゃないんだから」
家族で過ごす団欒も、全員が本心から楽しんでるみたいなにこやかな笑顔で、私だけ違う。
兄も母も父も、みんな同じだと思いたいのに、私との間にはなぜか大きな差があるように感じてしまう。
いわゆる“普通”を持ち合わせた家族と過ごせば過ごすほど、なんで平和ボケして笑っていられるんだろう?と疑問に思う。
だって、楽しいことなんて何もない。
可愛らしい動物がひしゃげて曲がり、血の飛び散った光景を見てるわけでもないのに笑えるなんて、どうかしてる。
私は常に、“死”と隣り合わせだ。
身近に感じていないと退屈で、息が詰まって、それこそ死にそうになる。
「彼女とか、作らないの?颯人は」
「うーん……欲しいとは思ってるんだけどね。結婚とか考えると、俺はまだまだ未熟者だから」
「結婚ねぇ……そういうの、ちゃんと考えてるんだ?」
「当たり前だよ。結婚もしないのに付き合うなんて半端なこと、相手にも失礼だからさ」
こういうところ。
遠回しに嫌味を言ってるんじゃないかっていうふうにも聞こえて、さらに気分は悪くなる。
結婚どころか、将来のことさえ考えず間宮と付き合ってる私に、兄の真っ直ぐな言葉はよく刺さった。
「いつか、孫の顔を見られるのが楽しみ」
「気が早いよ、母さん。……まだ相手もいないっていうのに」
どんどん置いてけぼりにされる会話に飽き飽きして、食事も程々に立ち上がった。
「彩花?もう食べないのか」
「うん。ごちそうさま」
私がいなくなっても、母は構わず兄との話に熱心になって、会話を続ける。それなら、この場にいない方がマシだ。
心に溜めたモヤモヤを発散させるため、外に出た。
どんな時でも月は変わらず、煌々と夜の街を照らしている。……今日は、満月に届かない微妙な丸をしていた。
間宮は今頃、何をしてるんだろう。
すぐに戻ると言って、戻れなかった私に幻滅してないといいけど。
スマホを開く。
彼女は自分の家にいるらしい。位置情報がそれを教えてくれている。
お詫びに、会いに行こう。
そう思い立って、気まぐれで間宮の家へ向かうため足取り軽く歩き出した。




