2.
〈注意事項〉
※15歳以上推奨作品です。暴力表現、流血表現、荒い言葉遣い等を含みます。
※敬語表現に間違いがあるかもしれません。あまり気にしないでいただけると幸いです。
※今回から文量少なめでお送りいたします。
「———————い!おい、しっかりしろ!」
必死なその声を聞いて、アリスはハッとした。
聞き間違えるはずがない。これは父の———————ルイスの声だ。だが、こんな焦った声は聞いたことがない。よほど、切羽詰まっているのか……。
そう思って声がする方へ顔を向けて、アリスは驚いた。
確かに、そこにルイスがいた。それに、そのルイスが必死になって声をかけている見覚えのある小さな女の子も。
それを見て、アリスは思い出した。
ヘレナとカイルが、自分たちの本当の親だと言われたことを。
だが、アリスは実際に動いているヘレナとカイルのことは見たことがない。代わりに、姿は知っている。だって、幼い頃のアルバムに二人が映っていたから。レオとアリス、二人をそれぞれ抱いて笑っている夫婦がいた。ルイスは、その夫婦を自分の双子の妹夫婦だと言った。お前たちの叔母さんと叔父さんだ、と。
写真の中の叔母は、それはもう、目が覚めるように美しい人だった。波打つ長い金髪に、空のような青い瞳。ふっくらとした唇は弧を描いている。
叔父は、なんだか可愛らしい雰囲気の人だった。艶々した黒髪に、生き生きとしたグレーの瞳。叔母より少し背が高いその人は、子どものように無邪気な笑顔を見せていた。
今、ルイスと女の子———————幼い頃の自分を見おろしているのは、その叔母だった。
そう、こんなことあり得ない。幼いとはいえ、自分を客観的に見ている、なんて。だから、分かった。
これは、夢だ。
「ヘレナ!お前、自分が何をしたのか分かっているのか!?」
夢の中のルイスは、血だらけで、ぐったりとしているアリスを抱き上げ、ヘレナを睨みつけた。
「この子はお前の娘だぞ!お前……!命に代えてでも守りたいんだって言ってただろ!」
「だからじゃない」
ヘレナは————————写真の中では優しく微笑んでいた実母は、冷たく微笑んだ。
「私の子ども何だから、どうしようと親である私の勝手でしょ?ほら、退いて。まだ、魔力を分けてもらっている途中なのよ……」
「ふざけるな!」
アリスを抱いたルイスは、杖が無いのにサッと立ちあがった。どうやら、この時はまだ足を自由に動かせたようだ。
「アリスはお前のために生まれてきたわけじゃない!お前の魔力貯蔵庫じゃないんだよ!お前が退け!この子を治療してもらう!ここで死なせるわけにはいかない!」
「あんたがふざけないでくれる?」ヘレナは苛立ったように言った。「この子は私の娘なの。親には自分の子をどうこうする権利があるでしょ?親でもないあんたが、何を知ったような口を利いているの?」
「いいや、親になる!契約なんて関係なしにだ!レオもアリスも、うちの子として育てる!これ以上、目の前でこの子たちが傷つく様を見たくない!」
再度「退け!」と叫んだルイスは、ヘレナに向けて魔法陣の浮かんだ左手のひらを向けた。そこから出てきた見えない衝撃はヘレナを襲い、五メートルほど彼女を吹き飛ばした。
美しいステンドグラスに勢いよく体を打ち付けられたヘレナが顔をあげた時、ルイスはアリスを抱いて部屋の扉を開けたところだった。
ルイスを追いかけながら、アリスは周りを見回した。さっきまでいたのは、城の大広間のような場所だった。床も壁も天井も、何もかもが金で出来ていて、ステンドグラスは星座をかたどっていた。だが、今走っているこの場所は、まるでプラネタリウムのようだ。壁には星々が浮かんで輝いていて、床がまだ金でなければ、自分は本当に星空を走っているのだと勘違いしてしまっていただろう。
「————————しっかりしろ、アリス!」
急に名前を呼ばれてアリスはハッとしたが、話しかけられているのは幼い方のアリスだった。血だらけの自分は意識がないらしかった。呼びかけにも応じず、大怪我をしているのに泣き叫んでいない。何より、時折見える顔色が本当に悪かった。このままでは生死に関わるのは、素人目でも分かった。
ルイスはアリスの傷口を抑えようとしているのだろうか、黒い布でアリスの顔を覆って真っ青な顔で走っていた。
「大丈夫、すぐに医者の所に連れて行ってやるから……!だから死ぬなよ……!あともう少しだけ頑張ってくれ……!」
「パパ……」
アリスの声は、ルイスに聞こえていないらしかった。
ルイスは金とルビーで出来た豪勢な大きな扉の前までやってきたが、この扉が不思議だった。広い広間に、扉だけがあるのだ。扉の向こう側にも、こちら側にも、部屋は存在していなかった。だが、ルイスは迷うことなくアリスの血でぬれた手で扉をドンドン叩きながら「早く開け!」と叫んだ。
やっと開いた扉の向こう側は、真っ白な空間だった。どこに繋がっているのかなんて分からない。だが、きっと遠くに繋がっているのだろうとアリスは漠然と思った。
「待て!」
その扉に飛び込もうとしたルイスたちの背中に飛んできた低い声。それに飛び上がって振り向いたアリスは、思わず息をのんだ。
ヘレナだ。ただし、黒いオーラをまとったヘレナだ。彼女の白い肌には小さな手の痣がいくつも浮かび上がっていて、まるで生きているかのように動き回っている。
普通ではない。
逃げないといけない。
本能がそう叫んでいるのだが、体は動かなかった。
「チッ」
短く舌打ちを漏らしたルイスは再び彼女に背を向け、扉に飛び込もうとしたが、無理だった。
ルイスの右足に、ヘレナが伸ばした手から伸びてきたあの手が絡みついたからだ。アリスだけが扉の向こう側に投げ出され、ルイスは捕まっているので扉を通れないでいる。
「逃がすものか……」
それは、確かにヘレナから発せられた言葉だった。だが、声はヘレナではない。完全に男の声だった。
「まずはお前からだ、ルイス・ランフォード……」
手がルイスの足に突き刺さり、ルイスの声にならない叫び声が広間にこだました。ルイスの白いスラックスが、血で赤黒く染まっていく。
「パパ!」
アリスは思わずルイスに手を伸ばしたが、その手はルイスの体をすり抜けてしまった。夢とはいえ、何にも触れないなんて初めてだ。アリスはまじまじと自分の手を見つめた。
このままでは、夢の中でルイスがヘレナに殺されてしまう。
「や、やめ……!」
「————————“ルイス・ランフォードが命じる”」
息を弾ませるルイスは、脂汗を浮かべながら自身の足に刺さった黒い影を握っていた。今まで見たことがないほどに鋭い目で、ヘレナを睨みながら。
「“お前は、この城から俺の許可なしに出ることは許されない。ユリアの子孫の名のもとに、お前をこの城に封印する”」
その瞬間、ヘレナの足元に黒い魔法陣が浮かび上がった。それは浮かび上がって、驚いているヘレナの体を下から上へとすり抜けていった。
たった、それだけだった。
ヘレナの頭を抜けたところで、その魔法陣は空気に溶けるようにして消えてしまった。
それを見たルイスは自身の足に刺さっていた手を一気に引き抜き、扉の向こう側へダイブするようにして消えていった。
「待て!」
ヘレナはすぐにルイスの後を追おうと扉に向かったが、できなかった。
扉まであと少しのところでヘレナの体は消え、十メートルほど離れた場所へ戻されてしまう。何度かそれをして、ヘレナの口からおどろおどろしい叫び声が放たれた。ルイスへの、恨みが籠った叫び声が。
その叫び声が響いている中、扉はゆっくりと閉じられていった。
扉が完全に閉じられた瞬間、アリスはまた別の場所に立っていた。どうやら、会議室のようだ。さっきまでいた場所とは違い、こちらは真っ白だ。床も壁も天井も、全てが大理石で出来ていて、金細工の蔦が大きな柱に巻き付いている。
そんな会議室に、傷だらけのルイスは立っていた。松葉杖を突き、暗い顔で席についている四十名ほどの偉そうな人たちと向かい合っていた。
「ルイス・ランフォード」
一番奥の席についている人が口を開いた。光の加減で、奥へ行けば行くほど顔が見えない。だから、アリスにはその人の顔が分からなかったが、声は若い男のものだ。
「何が起こったのかは聞いた。アリス・ランフォードを守り、ヘレナ・ランフォードを封印してくれたことに感謝する」
「……光栄です、陛下」
頭を下げたルイスだったが、すぐにまた顔をあげた。
「しかし、全てが解決したわけではござません。そのために—————————」
「陛下の予言通り、あの娘はこの王宮で育てよう」
一番手前、ルイスの近くに座っていた初老の男が笑顔を浮かべて言った。
「あれは素晴らしい原石だ。そのままにしておくなぞ勿体ない!一日も早くこの世界に光を取り戻すため、我々上級魔術師たちであの娘を育てると約束しよう。きっと、ユリア様のような偉大な魔術師になれるぞ!」
その言葉に、多くの賛同の声が上がった。
「そうよ、これで安心だわ」
「私たちに任せて、あなたはリハビリに専念されてはどう?」
「そうだとも。養子として引き取るなんて、名目上のことだろう?君たちにはラファエルがいるんだから。あの子もきっと、優秀な魔術師になるとも。ああ、断言する!」
「安心なさって。私、子育てには自信があるんですのよ」
「必ずや、偉大な魔術師に育て上げて見せましょう!」
それらの言葉を遮るように、「いや」とルイスは声を絞り出した。
「レオとアリスは、我々の子どもとして、責任を持って私どもで育てます。カイルから遺言を預かっておりまして。それに従い、レオとアリスは別世界で育てます」
その言葉に、あんなにざわざわしていた会議室は一瞬で静まり返った。だが、ルイスはそれに物ともせず「陛下」と、一番奥の人物をまっすぐに見つめた。
「私と、妻のアンに辞令を交付していただきたいのです。守り人としての任を、授けていただきたい……」
「ふざけないでちょうだい!」
奥の方で、女性が叫んでいるのが聞こえる。どうやら、立ち上がったらしく、椅子が派手に倒れる音が会議室に響き渡った。
「あの娘を魔術師にしない選択肢など、あるわけがないでしょう!あ、あ、ありえないわ!状況を分かっていないとしか思えない!いいこと、ルイス・ランフォード!二度と!そんな戯言を言わないで!お前がしようとしていることは、この世界を破滅へと導くことなんだからね!」
「私は弁護士です!」ルイスも声を上げた。「依頼人の不利益にならないように動くのが、私の使命。依頼人であるカイル・ブラック上級魔術師の意思なのですよ、これが!彼は自分の娘が妻を殺すことを望んじゃいない!」
「こ、殺すだなんて、そんな!」女は鼻を鳴らした。「ただ、あのヘレナをどうにかしたいってだけじゃない!そんな物騒なこと、言ってないわよ!」
「同じことでしょう!今のヘレナは化け物だ!最近湧いてきている魔物たちのように、妹のことも消してしまいたいんだろ!アイツは……、アイツらは、アンタたちの命令に従って、この国の人たちを守るために未知の敵に立ち向かったんだぞ!それなのに、手が付けられなくなったから殺すだって?ふざけるな!いいか、俺たちはアンタたちの使い勝手の良い駒じゃない、人間なんだよ!アリスもだ。あの子は母親を殺すための道具なんかじゃない!」
「な、なんてものぐさ……!」
会議室の大半が立ちあがり、静電気をバチバチと言わせる中、指を鳴らす音が響いた。
妙に澄んだ音だった。そのせいか、部屋のどこからも静電気の音が聞こえなくなった。
「みなさん、落ち着いてください」
一番奥に座っている男の声だ。
「我々は、喧嘩をするために集まったわけではないんですから。ここで我々が争ったところで、状況が好転するわけでもなし。むしろ、この状況下で敵に攻め込まれる方が私は困るのですが……、皆さんは違いますか?」
その言葉に、一人、また一人と、口をつぐんで大人しく椅子に座り始めた。
ルイスも、興奮している自分を落ち着かせるように、長く息を吐きだした。
「ルイス・ランフォード魔術師。あなたは、カイルの遺言を……、彼の意思を、尊重したいのですね?」
「はい」
「では……」
「ええ」
ルイスは、真っ直ぐに男を————————この国の国王を見つめた。
「遺言通り、あの二人は我々の子供として育てます。別世界で」
お読みいただきありがとうございました!