151.
〈注意事項〉
暴力表現、流血表現、荒い言葉遣い等を含みます。
※敬語表現に間違いがあるかもしれません。あまり気にしないでいただけると幸いです。
〈あらすじ〉
アリスが『欲望』を失ってから一年。容体は変わらず、アリスは別世界でダリアと一緒に暮らしていた。そんなアリスを尋ねに来たのは……。
その日の夕方。
アリスはダリアと並んで玄関口に立ち、魔術界へ帰るルイスと皓然を見送っていた。
「引き続き、良い子でな」
ルイスに頭を撫でられるアリスは、小さくうなずいた。
だが、視線は皓然へ向けられていた。
「——手紙、書きますね」
精一杯の照れ隠しのつもりで、皓然はアリスに笑顔を見せた。
「次も来られるとは限らないので。また、どなたかに託す形になっちゃうかとは思うんですけど」
「ええ、書いてあげてください」
アリスの肩を抱き、ダリアは大きくうなずいた。
「この子、何気に手紙を楽しみにしているのですよ。手紙を読み始めると、しばらくは動かなくなりますからね。ちゃんと、今までにもらった手紙も大切に保管していますよ」
「そうなんですか。パウラたちに伝えますね。体調も良さそうですし」
そうは言うが、皓然はアリスに視線を向けることは無かった。ただ、ふとした瞬間に、バチッと目が合ってしまうのだが、その瞬間に皓然はアリスから目を背けてしまっていた。
理由など、昼間の一件以外にない。
ルイスと皓然を見送ったアリスは、ダリアの手によって身を清められ、食事を出してもらい、歯を磨かれ——。つまり、いつも通り世話を焼いてもらって、ベッドに入った。
睡眠欲などない。
無いのだが、体は自然と休息をとってくれる。だから、この日もアリスはいつの間にやら夢の世界へと旅立っていた。
ところで、夢を見たのは久しぶりだ。それこそ、一年ぶりくらい。
ハッとすると、真っ暗な空間にアリスは倒れていた。明かりは、目の前を浮いている小さな白い光だけ。しかし、光は弱いし、一部が欠けてしまっている。
アリスは、これを一年前にも見た。何なら、自分で壊した。
光を手に乗せたアリスは、周りを見回した。だが、何もない。一年前、幼い自分が泣いていた明るい光ですら。
「——真っ暗だね」
その声に、アリスは顔をあげた。
何もない、恐らくは空だろうが、それを見上げているのは美しい金髪碧眼の女性だった。
しかし、ユリアではない。ユリアは、アリスが追いだしてしまったから。
ヘレナだ。
ヘレナは、アリスに笑いかけると、娘の前にしゃがみこんでその手を握った。
「アリーの強い意志、ママには伝わったよ」
「……」
「あの日から、ずっと見守ってきた。『意志』と『欲望』だけになってからも、ずっと。ねえ、アリー。私の『欲望』をあげるから、受け取って」
そう言って、ヘレナも自分の手の中に白い光を取り出した。しかし、その半分以上は黒く染まってしまっている。
「私の命は、もう長くない。黒魔術で無理やり魂を繋げている状態だもの。だからね、全てがなくなってしまう前に、あなたに——。きっと、これが最後。最後くらい、母親らしいことをさせてよ」
微笑んだヘレナは、まだ黒に侵されていない部分を、アリスに触れさせた。
その瞬間、アリスの目が大きく見開かれた。体はビクンと大きく跳ね上がる。
「——あ」
「受け入れても大丈夫。最初は私の影響が出るかもしれないけれど、だんだんとアリーの物になっていくから。魂が削られたら、その分は魂で補わないと。……あなたは、みんなに愛されているのね。必要とされている。だから、ここで、こんな風に時間を使っていてはダメよ」
ヘレナの魂の一部が割れ、アリスの魂にくっついた瞬間。魂が本来の形を取り戻した瞬間、アリスの目から大粒の涙が溢れ出た。
「——ヘレナおばさんは、どうなるの?」
「私はもう、死んでいるも同然だから」
ヘレナは、優しくアリスの頬を伝う涙をぬぐった。
「いいこと、アリス。油断をしてはダメ。それに、遠慮もいらないわ。全力で、私を殺しなさい。そうでなくちゃ、本当の意味で私も死ねないから。あの人は、どんどん力を付けて来てる。今のあなたたちじゃ敵わない、もっと強くなってから来なさい」
「でも……!」
「それからね、エリスとイリスのこともお願い。あなたたちの妹なの。可愛がってあげて。レオのことも。あの子、寂しがり屋だから……。じゃあね。——どうか、幸せになってちょうだいね」
そう言うが早いか、ヘレナは光の粒となって消えて行って……。
「ママ!」
アリスが大きな声をあげて起き上がった時には、汗をびっしょりかいて、窓から差し込む朝の陽ざしを浴びていた。
肩で息をしながら、アリスは自分の手のひらを見つめた。
「私……」
随分と長い間、眠っていたようだ。あれから一体、どれほどの時が立ったのだろう。欲望のない自分は、時間にすら疎かったから……。しかし、何が起こっていたのかは、何となくだが、覚えている。まるで、遠くから傍観していたような感覚だったけれど……。
その瞬間、アリスの腹が空腹を知らせた。
そっと腹に手を当て、アリスは呆然と腹をさすった。空腹を感じたのは、一体いつぶりだろうか。
ベッドから抜け出し、窓の前に立ったアリスの肩に、フィンレーが飛び乗ってきた。
アリスはフィンレーを優しくなでてやってから、視線を窓の外へと戻した。
「——よし」
大きく深呼吸をして、アリスは移動してクローゼットの前に立った。
「——アリス。そろそろ起きる時間で……」
「おはようございます、ダリア先生」
ノックしてから部屋に入ってきたダリアに、アリスは笑顔で挨拶をした。
それすら、この一年ありえなかったことだ。だから、ダリアはしばらくの間、呆然とそこに立ってアリスを見つめていた。すでに身支度を整えたアリスを。
「先生、朝ご飯にしませんか? 私、もうお腹ペコペコ!」
「え、あ、そう、ですね……」
フィンレーと一緒に下へ降りて行ったアリスを、やはりダリアは驚きのまなざしで見つめていた。
ダリアがこの驚きを飲み込めたのは、アリスから事情を聴きながら朝食の半分を食べ終えた頃だった。
「——ヘレナが?」
「はい。しばらくは、ママの『欲望』の影響が出てしまうかもしれないけれど、しばらくすれば、それも無くなるだろうって」
アリスは朝食の手を止め、カレンダーを見つめた。やはり、知らないうちに一年が経過していた。もうじき、アゴーナスが開催されるはずだ。
「——先生。私、今年のアゴーナスに出られますか?」
「まだ難しいでしょうね。リハビリから始めなければ。何より、進級試験の方が先でしょう。あなたの調子が良ければ、今日からでも勉強を始めたいところです」
「体調はすこぶる良好です。勉強を教えてください、お願いします」
「では、今日の午後から始めましょうか。その前に、あなたのご家族に連絡をしましょうね」
「はい」
朝食を終えたアリスは、差し出されたダリアのスマホを前に緊張していた。家族と電話をするのに、こんなに緊張したことがこれまでにあっただろうか。
『お疲れ様です。ランフォードです』
スマホから聞こえてきた父の声に、アリスは思わず音を立てて唾を飲み込んだ。
『もしもし? ダリア先生?』
「お、お父さん?」
『——その声、アリスか?』
ルイスの驚いた声を聴いて、アリスの喉は一瞬にして乾ききった。それでも、「うん」と小さく答えた。
「えっと、治ったから、その報告で……。あ、完全にはまだ治ってないんだけど……」
『アン! アリスが治った!』
電話の向こう側でバタバタと音がしたかと思ったら、今度は『アリー!?』と焦った様子のアンの声が聞こえてきた。
「お母さん……」
『治ったの!?』
「あの、完全にはまだ治っていなくって……。えっと、とりあえず、落ち着いて?」
両親の熱量に圧倒されながらも、何とか説明を終えたアリスだったが、やはり両親が落ち着くことは無かった。それどころか、「これから、そっちに行くから!」とまで言い出す始末だ。
「え、だって仕事は……」
『お前の方が大事に決まってるだろ!』
「——その言葉だけで、十分だよ」
思わず、アリスの視界が歪んだ。
本当に、自分は恵まれている。
見かねたダリアがアリスと電話を代わり、ルイスたちと話をしてくれた。
「——ええ。あなた方が急に仕事を放り出すのは、褒められることではありませんよ。今日の午後は空いていますか? アリスと、午後にそちらへ向かいますから」
その言葉に、アリスは弾かれたように顔をあげた。
「アリス。それでも良いですか?」
「は、はい」
「大丈夫だそうです。そうですね……。お昼過ぎ頃には着くようにします。……ええ、必ず。お約束しますよ」
電話を切ったダリアは、「そういうことですので」とアリスを見つめた。
「お勉強は、また明日です。それから、魔術師の制服は着て行かないように。あなたはまだ、療養中ですから」
「分かりました」
分かったとは言っても、アリスは緊張していた。家族と、一体どんな顔で合えばよいのか、分からなくて。
「——家族なのに、変なの」
心を落ち着けようと、アリスは裏庭で花の剪定をしていた。毎日の日課だったから、これをしなければ何だか変な感じがするのだ。
「もしかして、これが副作用なのかなぁ」
アリスのそんな呟きに、フィンレーは小さく首を傾げた。「そうなのかなぁ?」とでも言うように。
「だって、テストの結果が悪い時でも、こんなに緊張したことないよ。学校中の窓ガラスを吹き飛ばした時だって、こんなに緊張しなかった。……怒られるかもっていう、緊張はあったけど。というか、怒られたんだけど」
いや、そもそも緊張の種類が違う気がする。今感じている緊張は、もっと、こう……。まるで初めての場所に行くかのような。初めて、魔術界へ行った日のような。あの時の緊張に似ている。
初めていく場所でも、初めて会う人たちでもないのに。
そんなアリスの頬を、暖かい風がなでて行った。顔にかかった髪を耳にかけながら、アリスは空を見上げた。
緊張の正体は分からないけれど、これだけは言える。
「『欲』があるって、良いね。フィンレー」
あまり良い印象を持ったことのない言葉だった。けれど、実際に失ってみて初めて、とても大事なものだったのだと分かった。
「アリス」
近くの窓が開て、中からダリアが顔をのぞかせた。
「お昼にしますよ。それから、泥だらけです。着替えて、身なりをきちんと整えなさい」
「はい」
摘んだ花たちを手に、アリスはダリアに笑顔で返事をした。
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