150.
〈注意事項〉
※15歳以上推奨作品です。
※敬語表現に間違いがあるかもしれません。あまり気にしないでいただけると幸いです。
〈あらすじ〉
ユリアを自分の中から追い出す代わりに、魂の一部である『欲望』を失ったアリスは、感情すら無くしてしまっていた。そんなアリスは別世界に戻り、ダリアに面倒を見てもらうことになったのだが……。
あっという間に時は過ぎ、気が付けばまた初夏がやってきた。
そう。アリスが感情を無くしてから、まもなく一年が経とうとしていた。
その間、ルイス、ラファエル、レオの三人が、暇を見つけてはアリスに会いに来ていた。時々、アンも。家族は決まって、パウラたちからの手紙や贈り物を持ってきた。それから、手を変え、品を変え、アリスが感情を取り戻しそうなことは片っ端から試した。だが、容体はあまり良くなかった。
アリスは雨の日も風の日も、毎日庭に出ては、花に囲まれながらボーッとする毎日を過ごしていた。涙を流したのは、別世界に戻ってきた初日だけだった。
この日も、これまでと同じ日になるはずだった。
髪が邪魔にならないように、ダリアにヘアバンドで髪をとめてもらったアリスは、ワンピースの上に付けたエプロンに、摘んだ花たちを広げていじっていた。花びらをちぎってみたり、花たちをバサッと上に投げてみたり。だから、せっかく綺麗に整えてもらった髪は、花びらだらけになっていた。
温かい日差しを受け、花弁が透けて見える。こういう時の感情を、一体、何というのだったか。今のアリスには、分からない。
それすらも気にせず花をいじっていたアリスの髪に、優しく触れた人がいた。
「花の精霊でも、ここまで花びらまみれじゃないですよ」
その声に顔をあげたアリスの瞳に、黒髪の青年が映った。
「お久しぶりです。体調はいかがですか?」
「……」
皓然だ。
「髪……。ダリア先生に、巻いてもらったんですか?」
アリスはそれに首を横に振って答えた。
今のアリスは、ゆるく髪がうねっていた。丁度、母親のヘレナのように。どうやら、この一年の間に髪質が少し変わったらしい。
「じゃあ、クセっ毛になったんですね。ルイス先生と同じですね。似合ってますよ」
「……」
アリスは何も言わなかったが、皓然から目を離すことは無かった。
「——ああ、ここにいたのか」
そこに、ルイスがやってきた。
本当はレオと一緒に来るつもりだったのだが、レオはメアリーの仕事に急遽ついて行かなければならなくなったので、代わりに皓然がルイスの補助で一緒に別世界に来たのだ。
ルイスは変わらないままだったが、皓然は随分と背が伸びて、顔つきも少し変わって男性らしくなった。だが、優しい笑顔は一年前と同じ。
「お前、そんな花だらけになって……。まるで子供だな」
そんなことを言いながらも、ルイスは魔術を使ってアリスの髪についていた花を取ってくれた。
差し出された皓然の手を取って立ち上がったアリスは、やはり、ジッとこの青年を見つめた。
会ったのは、あの日以来だ。
あれから、彼を思い出さない日は無かった。理由は分からない。分からないけれど、彼を思い出すたび、胸がキュッと苦しくなって……。
「丁度良かった。アリス、一緒にお茶にしないか?」
ルイスの言葉にうなずいたアリスは、皓然に手を引かれてリビングに向かった。
四人は席に着き、しばらくは世間話をしていた。どうやら、アリスの知らない間にエスコや、他の魔術師たちもこの屋敷に来ていたようだ。
「……」
「エスコに、『何かを考えこんでいるようで、反応が無かった』って言われた」
ルイスは前かがみになり、アリスの顔を覗き込んだ。
それから、何度かアリスの精神世界にお邪魔した、ということも。そして、アリスはやはり、感情が欠落したままだった、という報告を受けていた。
「いつも、何を考えているんだ?」
アリスは何も言わない代わりに、視線を皓然に向けて答えた。
「え、ぼくのこと?」
アリスが頷いた瞬間、皓然の頬に一瞬だけ朱色が混ざった。
「おや、良い兆候ではないですか」
優雅にカップを傾けて、ダリアはアリスに薄く微笑んで見せた。アリスは表情が消えたが、こちらは逆に表情が出てくるようになったのだから、不思議だ。
「そう。何でも良いから、考えなさい。疑問だって、立派な感情の一つです」
「そんなに皓然が気になるのだったら、一緒に庭でも散歩して来たらどうだ? 皓然さえよければ、だが」
ルイスまでそういうから、皓然は「お言葉に甘えて」と視線を下に落とした。なぜだろう、アリスの顔が見られない。
お茶を終えたアリスは、皓然と一緒にいつもの場所、裏庭の小さな花畑までやってきた。そこにはまだ、鋏と駕籠が置かれたままだ。
アリスはいつもの定位置に腰を下ろした。毎日座っているものだから、この場所だけ花が咲いておらず、少しだけ茶色の土が見えていた。
その隣に腰を下ろした皓然は、何を話そうかと近くで咲いていた花に触れた。
すると、その手に一回り小さなアリスの手が触れてきたから、弾かれたように顔をあげた。アリスがこうして、自分からアクションを起こすことは、あれ以来無かったから。ルイスやレオたちからも、そう報告を受けている。
「ど、どうしました?」
思わず声が裏返ったのは、それのせいだろう。
アリスは黙って皓然の手を取ると、その手のひらをジッと見つめた。
「——約束」
アリスは、ゆっくりと顔をあげて皓然を見つめ、自分の右手を胸に添えた。
「ここ、ぎゅってなる」
「……約束のことを考えると、そこがぎゅってなるんですか? それで、ずっと考えてたんですか?」
アリスは、それに小さくうなずいた。
それを受けて、皓然の頭にダリアの言葉が浮かんだ。「疑問だって、立派な感情の一つです」と、ダリアは言った。
それなら、アリスは回復に向かっている、と考えて良いのではないだろうか。
「——約束のことは、急ぎませんから」
微笑んで、皓然はアリスの手を握った。
「君の体調が最優先です。いいんです、年を取ってからでも。ぼくは、いつまでも君を待っていますから」
すると、添えられていただけだったアリスの手が、胸元の服をぎゅっと握った。
「ぎゅって、なりました?」
うなずき、アリスは顔をふい、とそむけてしまった。
皓然はそれを受けて、しばらく考え込んでから視線を空に向けた。
「振られたって、いいんです。そりゃあ、ぼくだってショックは受けますよ。でも、返事をもらえたってことは、君が感情を取り戻したってことでしょう? 今は、そっちの方が優先ですから。……ぼくは、幸せそうにしている君を見ているのが、好きなんです。なので、振られたら、その結果を甘んじて受け入れます。それは、紛れもなくアリスだけの意志でしょうから」
「……」
パッと皓然から手を離したアリスは、すくっと立ち上がった。
「アリス?」
相変わらず地面に座っている皓然の頬に、白い手が触れた。
初夏のさわやかな風が吹く中、皓然は大きく目を見開いて、アリスを見つめていた。こんなに近くでアリスの顔を見たのは、初めてだ。
正直、自分たちの歯がぶつかる小さな「カチッ」という音など、どうでも良かった。
そんなことよりも、アリスが急にこんな大胆な行動をとって来たことの方が、よっぽど大変なことだった。
そっと顔が離れ、閉じられていたアリスの瞳がゆっくりと開かれていく様子が、まるでスローモーションのように見えて。まだアリスの熱が残る唇に触れながら、皓然は「なんて綺麗なんだろう」と、その様子を見ていた。
だが、その前に。
「な、んで……。アリス?」
だが、アリス自身もよくわかっていないようで、いつもより目を大きく見開いて、皓然を見つめていた。
薄いピンク色の唇に触れて、黙って皓然を見つめている。
その皓然は、次第に状況を飲み込み始めて、顔をどんどん赤くしていった。それはもう、茹でタコのように真っ赤に。
「の、ノーカン!」
勢いよく立ち上がった皓然は、大きな声をあげた。
「い、いいですか、アリス! 好きでもない人に、こんなことをしてはいけません! そういうことは、好きな人のために取っておくべきものです!」
言葉ではそう言うが、皓然にとって、まさに天にでも昇るような心地だったことだけは、確かだ。
——願いが叶うのであれば、もう一度……。
皓然の視線はついついアリスの唇に吸い寄せられてしまうから、両手で頬を挟み込むようにして、勢いよく叩いた。
今は、すべきではない。
「——これも、回復と思っていい……、のかなぁ?」
前髪で真っ赤な顔を隠しながら、皓然は小さく呟いた。
お読みいただきありがとうございました!




