129.
〈注意事項〉
※15歳以上推奨作品です。流血表現、荒い言葉遣い等を含みます。
※敬語表現に間違いがあるかもしれません。あまり気にしないでいただけると幸いです。
「ほら、あれが流星群だよ」
細い指は、黒い夜空に線を引く光を示し、一瞬で消えていった線をそっとなぞった。マイナス十度という環境の中にいるのに手袋はしていないから、指先は真っ赤になって小さく震えていた。
「やっぱり、ぼくの計算は間違ってなかった。姉さんたちがね、天文学の本をくれたんだ。それに、母さんが文字を教えてくれるし、父さんは計算を教えてくれる。ね、学校に行けなくたって、お勉強はできるんだよ」
鳥籠に笑顔を見せたのは、幼い人間の子供だ。うねうねとカーブした黒髪をハーフアップにして、鈴の髪飾りでとめている。瞳も夜空のように真っ黒だったが、その瞳には星が宿っていなかった。小さな口はかじかんだ指先に息を吹きかけるが、小さな鼻も、子ども特有のぷっくりと膨らんだ頬も、真っ赤に染まっていた。
それほど寒いのに、その子が身に着けているのは薄っぺらい小人の衣服。ただし、飾りだの刺繡だのは山ほどついていて、透けるほど薄い布を何枚も重ねて花びらのようなスカートをはいている。そんな、可愛らしい子供だった。
そんな小さな子どもと鳥がいるのは、雪に覆われた大きな山の頂上付近。雲へは遠いが、晴れていればこの国を見渡すことは出来る。
「鳥さんは、寒くないの? ……えへへ、そっかぁ。鳥さんは凄いんだね。ぼくは、寒くて寒くて、仕方ないや。……うん、そうだよ。だから、冬は嫌い。夏がいいな。夏なら、このナーノスでもまだ暖かいから雪がないし……、ここに連れてこられないで済むから」
子供は鳥かごに近づくと、柵の隙間に手を差し込んで、中にいた三本足の烏をやさしくなでた。ゆっくり、ゆっくり。まるで、一回一回、なでるのを心に刻みつけるように。
「鳥さん、すごい鳥さんなんでしょ? 神様の家来なんでしょ? それなら、ぼくのこと助け出してくれる?」
ジャラ、と音が鳴った。子供が動いたせいで、細い足首に繋がれた鎖がこすれたのだ。おまけに、限界まで引っ張ったせいで足首には血が滲み、それのせいで鎖はさび付いてしまっていた。
「ぼく、ここが嫌い。……痛いし、臭いし、怖いもん。体触られるの、気持ち悪いもん。悲しくなってね、涙がボロボロ出てくるの。泣いちゃいけないのに。鳥さん、助けてくれる? ぼくのこと、連れ出してくれる?」
子供をジッと見つめる烏の瞳は、透き通っていた。透明なキャンバスは、涙を流しながら微笑む少年と、一瞬で消えゆく星々を描き出していたが、一度だけ。一瞬だけ、強く光り輝いた。
「おーい! 詩織! 詩織、出てこい!」
「あ……」
野太い声が、大きな山の中へ通じる階段の奥から聞こえてきた。それなのに、子どもは烏をジッと見つめ、呆然としていた。
「お名前、分かった……」
「詩織!」
「ぼくが、君をそこから出せばいいんだね」
「詩織! 早く返事をしろ!」
「……うん、いいんだ。ぼく、やるよ。やろうよ、鳥さん」
子供は黒い瞳に不思議な光を宿し、同じ瞳の色をした鳥かごの烏に笑いかけた。
「行こう、クロエ」
「詩織!」
階段から顔を出した赤ら顔の男は、そこを見て叫び声をあげた。手に持っていた酒瓶を投げ出し、千鳥足で金色の鳥かごに駆け寄った。
鳥かごの中は空っぽだ。それなのに、鍵はかかったままで、どこにも壊された形跡がない。
壊されていたのは、むしろ子供を繋いでいた鎖の方だ。鋼鉄で作った特注の太い鎖は、綺麗に断ち切られていたのだ。断面はツルツルしていて、一瞬で切り落とされたことを物語っている。
「詩織! 詩織、どこだ! 出てこい! 殺すぞ! お前の両親もだ! 家族全員、殺してやるからな!」
雪の降り積もっていく雪山に、男の野太い怒鳴り声が響き渡っていた。
そんななか、子供は烏を抱きかかえてゆっくりと、少しずつ雪山の斜面を下っていた。
「声が聞こえる……。でも、風が強くて言ってることは聞こえないや。クロエ、寒くない?」
その日は、国中が猛吹雪にさらされていた。家々は雪にどんどん埋もれていき、雪はありとあらゆるものにぶつかっていく。
この子供にだってそうだ。薄着だとか、子供だとか、そんなこと関係なしに容赦なく雪は襲い掛かり、体温を奪っていく。
「これから、どこに行く? ——ぼく? ぼくね、ずっと行きたい場所があるの。アエラス王国っていう、人間の国だよ。ぼく、元々そこに住んでたんだって。姉さんたちもいるの。——クロエも一緒に来てくれるの? じゃあ、一緒に行こう。お家に帰って、父さんと母さんにアエラスに行くって、お話して……」
その日一番の強風が吹いてきて、風は軽々と子供と烏をすくい上げた。数メートルほど吹き飛ばしてから、荒々しく雪に二人を落とすと、笑っているかのような音を立ててどこかへ行ってしまう。
それがどうにも恐ろしくて、早くこの場から去ろう、と。そう思って、子供が立ちあがったときだった。
「あっ」
長いスカートの裾を踏んでしまって、バランスを崩したのだ。
そのまま一人と一羽は、雪をまといながらゴロゴロと山の斜面をくだり、何かに勢いよくぶつかって、やっと止まることができた。
「いてて……。あれ?」
顔をあげると、見たことのない景色が広がっていた。まるで、木の中にいるようだ。天井に張った水たまりからは何も落ちてこない。おかしいのが、夜のはずなのに明るいことだ。
それに、暖かい。
「雪がない……。ここ、どこ?」
子供が周りを見回していると、烏がその小さな手から抜け出して壁に落ちていた影を示した。この空間には木が生えていないのに、おかしなことにその影には枝があり、葉っぱが生い茂っている。
「なに? ここに触るの?」
影に触れた手はずぶずぶと影の中に入ってく。驚いて手をひっこめてしまったが、その隙に烏が影に飛び込んでいったから、子供は大きく深呼吸してから目を固くつむって影に飛び込んだ。
「——まさか、本当に来るとはな」
「まだそんなこと言ってるのか? ゼノの『未来図』だぞ?」
「あんな胡散臭いことばかり言っている方が悪い」
目を開けた子供の前でそんなことを言っているのは、金髪で、スーツ姿の杖を突いている男と、茶色の髪を持つ優しそうな男。こちらは白いスーツに似た服を着ている。
だが、それらよりも人間の大人が目の前にいることの方が、よほど怖かった。子供は確かに人間だが、姉たち以外の人間をこうして目にするのは、初めてだ。
「お前」金髪の男は子供を見おろした。「名前は? 出身国は?」
「す、鈴木詩織……。ナーノスに住んでます……」
「ナーノス? ここはアエラスだぞ、どうやって来た」
「え、アエラス?」
道理で……。晴れ渡った青い空から暖かい日差しが降り注いているわけだ。それにしてもおかしいのが、この気配。
「お山みたい……」
「お山? まあ、いい。俺はルイス・ランフォード。こっちはエスコ・ピレネンだ」
「姉さんたちが言ってた……、王宮魔術師の?」
「姉さん? 姉さんの名前は?」
子供が姉の名前を言うと、ルイスは目を細めた。
「あの家は確かに三人姉弟だ。だが、末は男だと聞いている」
「ぼく、男の子です! こ、こんな格好してるし、女みたいって、言われるけど……、あっ」
「なんだ?」
「母さんが、『人間に会ったら言いなさい』って言ってた、お名前があります。ぼくの、本当のお名前なんだって」
「言ってみろ」
「黄皓然、です」
すると、上級魔術師二人は顔を見合わせてから、ルイスは大きなため息をつき、エスコは楽しそうに笑った。
「本物か。ゼノのヤツ……。コイツを付き人にしないといけないなんて」
「あ、あの……?」
「君の姉さんたちに会わせてあげる」エスコはしゃがんで笑顔を見せた。「だから、私たちと一緒においで、皓然。ところで、あの烏は君の使い魔?」
エスコが指さした先にいたのは……。
「クロエ!」
「使い魔だってさ、ルイシート」
大きなため息をついたルイスは二人に背を向けると、ひょこひょこ歩き始めた。
「ゼノの所に行くぞ。エスコ、そいつは抱っこしてやれ。足、怪我してるから」
「了解」
エスコに抱っこされ、皓然は混乱している頭で色々と考えて、やっとあることに気が付いた。
自分は、勝手に国から出てきてしまったのだ、ということ。そして、それは国に残してきた両親の死を確定させる、ということに。
「——おじさん」
「私の事かい? まだおじさんって年じゃないけど、何だい?」
「ぼくは、魔術師になれますか?」
「魔術師になりたいのかい?」
「うん。そうじゃないと、ぼくが生きている意味がないから」
「……何があったのかは知らないけど、なれるよ。ルイスおじさんが、君のことを魔術師にしてくれる。きっとだ。とても強い魔術師にね」
——魔術師になろう。強くて、誰にも負けない魔術師に。
次は、本当に大事なものを盗られてしまわないように。盗られないくらい、強い魔術師に。
そしたら、アイツを——。
お読みいただきありがとうございました!




