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snow cloud ~6月に雪が降ったら~

作者: 志村菫

はじめまして。

初投稿です。

最後まで読んでいただけたら、嬉しく思います。

よろしくお願いいたします。


「森川留美さん! 僕と結婚して下さい!」

「お断りします」


 毎年、留美のアパートの前で翔太が跪き、  薔薇の花束を差し出し、プロポーズをし始めて早いものでもう3年。

 留美の誕生日の日、このやり取りはもうすっかりお約束、行事、ギャグの様になっていた。

 翔太は必ず断られた後、大声で笑い、「また来年!」と言うのもお約束だったし、留美が「はいはい」とあしらうのも、いつもの事だった。でも今年は違っていた。留美は笑っている翔太に向かい、真剣な顔をして伝えた。


「ごめん。もうこういうの……今年でやめてくれない?」

「てことは、受けてくれるの?」


 やはり笑って返す翔太だったが、留美の真顔は本気のようだ。


「誰とも一緒になる気はないの……前にも言ったよね? 私、一生結婚はしないって」


翔太はいつもと違う留美の様子に戸惑っていた。すぐに調子のいい言葉で笑わせようと思ったが、翔太は落ち着きなく辺りを見回した。


「あっ! す、好きな人できた? なら仕方ないよ。俺は身を引くし、留美が幸せになれるなら……」


 翔太の声は震えて涙声になっている。留美は慌てて首を横に振り、はっきりと答えた。


「私が今日で三十五って事は、当然、翔太ももう三十五って事だよね? だからね、他にいい人探して! 分かった?」

「分かんねぇ」


 中学の頃からの恋心はそう簡単には引けない。

 ここで「好きな人が出来た」と、嘘を言えばいいのだが、真直ぐな翔太にそんな嘘は付きたくはなかった。そこで留美はある条件を思い付いた。


「じゃあ、次の誕生日に雪が降ったらね」

「は? 雪?」

「そう。雪が降ったら、将太のプロポーズ、受ける。でも雪が降らなかったら、もう翔太とは会わない。ずっと……だからもう来ないで……」


 留美の誕生日は6月16日だ。

 雨が降る事はあっても雪など降る筈がないが、ポカンとした翔太の顔は、普段締め慣れていないネクタイをグイッと緩めた後、すぐに笑顔に変わった。


「よし! 奇跡起こす!」

「はあ? 奇跡?」


 今度は留美がポカンとした。

 いくら翔太がポジティブでも、それは無理だと言う事なのだ。それに気付いて欲しかったのだが……。



「はっ! くっだらない!」


 そんな二人の一部始終を、宇宙から見ていた天使がいた。

 黒いタキシード姿で、見た感じは三歳児。背中の羽根をパタパタさせながら天使は笑っていた。


「もう諦めて他の人と結婚すればいいんだよ。女の人なんて、たくさんいるじゃないか! 人間はどうしてあんなに面倒なんだろ」


 この天使は、人間をどこか小馬鹿にしていた。

 その時、宇宙のどこからか天使を叱る声がした。


「おい! また何かブツブツ言っているな! ちゃんと仕事はしているのか!」

「はい。ここから人間をみていました」


 天使の仕事は、ここから地球のあらゆる生き物を観察することだった。

 特にその中で人間を理解しようと毎日眺めているが、天使はなぜか人間が好きではなかった。だが、人間を理解するという仕事を成し遂げられたなら、なりたい物になれるのだ。

 天使の中には、人間になる者、犬やイルカなど動物になる者や桜の木になる者もいた。みんな地球の中の様々な生き物になる。

 でもこの天使は、何もなりたいものなどなかった。ただこの宇宙を彷徨っていたかった。そして「この人、なんのために生きてるんだろ」と留美を見つめていた。


 留美のアパートは築四十年以上の二階建ての古い木造だった。

 近所の工場で黙々と働き、時には残業をして、休日は在宅でテープ起こしの仕事などをしている。以前は事務仕事や販売業など人と接する仕事をしていたが、出来るなら黙々と働ける仕事がいいと、今の職場に変わった。なるべく仕事だけして一緒に働いている人とも距離を保っていた。食事も必要最低限の物を食べ、洋服もここ数年は買っていない。髪も一つに束ね、化粧もしていなかった。当然、どこか遊びに行く事もない。翔太が誘っても、それに応じた事はない。留美は頑なにそんな暮らしを守っていた。


 一方、翔太は6月にどうやって雪を降らせるか、ずっと考えていた。


「冬に雪が降ったら、なるべくそれを冷凍庫に保管しておくから、それを上から降らしてくれ」

「それ、ズルじゃないっすか」


 働いている建築現場の昼休み、後輩は呆れながらスマホの画面を翔太に見せた。


「やっぱ最後は貴金属でしょ? このでっかいダイヤとか?」

「うーん、そういうの興味ないんじゃないかな……」

「ならそろそろ諦めましょうよ! 俺の彼女の可愛い友達、今度紹介しますよ」


 そんな言葉は耳に入らなかった。

 それより翔太は、留美の事を好きになった中学の頃を思い出していた。真面目で学級委員をしている留美と、いつも友達とふざけてばかりいる翔太の席は隣り同士だった。勉強が得意ではない翔太にとって、よく勉強を教えてくれる留美と話すのは、ちょっとドキドキする瞬間だった。

 それから、卒業後に工業高校へ進学した翔太と進学校へ進んだ留美は、全く会う事はなかった。だが数年の時が流れ、翔太は留美と再会する。

 大手食品メーカーで、バリバリ働いていると噂で聞いていたが、コンビニで公共料金を支払おうとしていた留美の横顔はとてもやつれていた。


「森川、久しぶり! 俺の事、覚えてる?」


 翔太は留美に会えたのが嬉しくて、すぐに声を掛けた。

 一瞬、首を傾げたが、元気な声と表情で留美も翔太だと気づき、思わず微笑んだ。


「ああ、翔太? 久しぶりだね……」


 その瞬間に翔太の恋心は蘇り、誕生日にプロポーズを始めたのだった。



「でも6月に雪は降らないから、もうあの2人は会わなくなっちゃうんだろうな」


 天使はそう呟きながら、留美の暮らしを宇宙から見ていた。それは相変わらずの生活で見ていて退屈だったが……。

 その時、天使は気がついた。今まで見てきた人間たちは幸せになろうと生きていたが、留美はそれを許さず生きているように感じる。天使はそれがなぜだか知りたくなり、留美をずっと見続けた。


 ある日、留美の生活に変化が起きた。留美の姿はあるお寺にあった。


 お経を読んでもらったあと、寺の年老いた住職に、留美は今まで心の中に閉じ込めていた苦しみを打ち明けていた。


 数年前、勤めていた会社の上司との間に子供が出来た。それは道ならぬ恋だった為、上司と別れ、当然仕事も辞めて一人で子供を産んだ。

 それからは実家とも縁が切られ、留美にとってわが子だけが家族だった。生活は楽ではなかったが、保育園に迎えに行くと嬉しそうに走って来る姿が愛おしくてたまらなかった。ところが……。


「ある夜、職場の友人から誘われて、少しだけ子どもが寝てから居酒屋に出掛けたんです。顔を出して、すぐに帰るつもりだったのに……気が付いたら酔って寝てしまって……すぐに帰ったんです……でも、あの子凄い熱で……すぐに救急車を呼んで……でも……」


 とても辛そうな留美に、住職はただ頷いて話を聞いていた。


「母親なのに……子供の体調に気が付かなくて……私……行くべきではなかったんです。きっと心のどこかで、息抜きがしたいとか……そんな気持ちがあったのかもしれません……」


 今日は子供の命日だった。

 住職は優しく留美に語り掛けた。


「もう十分あなたは苦しみましたよ。これからはだれか支えになってくれる人を探しなさい。もちろん、あなたも誰かの支えになるのですよ。そして幸せになりなさい。それは罪ではないのですよ」


 だが留美は急に自分を恥じた。

 何で話してしまったんだろう……誰かにそんな言葉を掛けてもらう事を自分は望み、期待していたのではないか……と。

 36歳の誕生日には、翔太はプロポーズをしてくれる。そう、それが最後のプロポーズになるのだ。留美は気が付いてしまった。今まで自分にとって、それが唯一幸せな瞬間だった事に。いつの間にか芽生えていた翔太への気持ちを、留美は消すことが出来ず自分を責めた。


 天使はいつからここにいるのか記憶がない。気が付いたら宇宙から様々な生き物を眺めていた。その中で翔太がフラれる姿を見て面白がって笑っていたが、段々笑えなくなっていた。

 そして、お寺での留美の姿は天使をイラつかせた。


「何だよ……あのプロポーズ男のこと好きなくせに……」


 そう呟きながら……。

 人間ってズルイ筈なのに。人間って勝手な筈なのに。この人もそうすればいいのに……罪ってなんだろう……幸せになろうとしないのも、罪みたいなものじゃないか……心の中でそう感じていた。


「そう思うか?」


 宇宙のどこからか声がした。


「だってあの人、何のために生きてるんですか? 反省したり、罪を償う為に生きてるんでしょ? それでいいとは思えない……」


 不思議な気持ちだった。天使は留美が苦しむ姿を見ればみるほど、自分自身も苦しく感じてしまう。これが人間を理解するという事なんだろうか。


「おい、お前は何になりたい?」

「僕は何にもなりたくはないです。まだここにいてあの人を見ていたい……ずっと……」

「そうか」


 天使は、留美がこれからどうなるのか見守りたいと思っていた。でも6月に雪は降らないし、二人はもう会わなくなる。悲しいが、そう約束したのだ。



 時が流れ、もう少しで留美の36歳の誕生日がやってくる。

 翔太は様々なことを考えていた。この時期、雪が降っている国に留美を連れて行こうか……とか、雪を見ることが出来る科学館へ連れて行こうか……とか? でも、留美は職場と家以外、出かけたりしない。

 翔太は仕方なく、いつもの様に薔薇の花束を手に留美のアパートへ向かった。


 留美は今日で最後になるであろう翔太とのやり取りを、最高に笑って終わらせられる様にと思っていた。


 宇宙から天使は、心配そうにその姿を見ている。

 そして……。



「森川留美さん! 僕と結婚して下さい」


 翔太は跪いて薔薇の花束を差し出し、いつもの様にプロポーズした。


「お断りします」


 いつもの様に断った後、留美は精一杯の笑顔で立ち去ろうとした。


「待ってくれ!」


 翔太は立ち上がり、ジャケットの内ポケットから小さな箱を出して、その箱を留美の目の前でパカッと開いて見せた。

 それは真珠の指輪だった。


「よく考えたらさぁ、プロポーズをする時、やっぱ指輪がないとさ……あっ……ちゃんと調べたんだ……た、誕生石は真珠なんだって! これさぁ、雪に見えないかな? ハハハッ! 無理か……でも、来年は降るかもしれないし……ほら、俺らが子供の頃に比べると天気って……」


 翔太はそのまま別れるのが辛くて喋り続けた。


「ありがとう、翔太! でも約束は約束だから! 今年でもう……」


 翔太は自分の気持ちを抑える事が出来ず、留美の腕を掴み、引き止めた。


「最初から断られること前提でやってんだよ。だから、もう会わないなんて言わないで欲しい」

「何言ってんのよ」

「きっと来年も……」

「もう止めてよ! 翔太は私の事、何も知らないでしょ? 不倫してたの! その人の子供妊娠して親に勘当されたの! そ、それで……子供を……」


 咄嗟に出る罪の言葉は止まらないが、翔太はそれを遮った。


「全部知ってる!」

「えっ……」


 どこで噂が流れたのかは知らないが、中学時代の友達とたまに会うと、留美の悪い噂を耳にした。でもそれが嘘だろうが本当だろうが、翔太には興味がなかった。



「俺は……どんな森川でも……好きなんだよ……」

「翔太……」


 その時、中学時代の思い出が蘇った。

 卒業間近の放課後の教室で、留美は翔太に告白っぽい事をされたのだ。付き合ってほしいとかじゃなくて……。


「もし、年をとって……そう、30過ぎてまだ独身だったら結婚してくれよ!」


「えっ? やだ、お断りします。だって私、多分結婚してるよ。子供もいるかも……」


「だ、だよな……ま、冗談冗談!」


 と翔太は笑って教室を出て行ったのだった。


 留美はゆっくりと振り返るが、視線を下に向けたまま、翔太の顔を見る事ができなかった。


「せ、せっかくだから、指輪、もらってくれよ」

「もらえないよ!」


 翔太はちょっと強引に留美の薬指に指輪をはめた。

 留美の痩せた細い指には大きかったので、指輪はクルッと指で反転した。


「うわっ! やっぱ大きかったか……ちゃんと次に会う日までサイズ直して来るから……」

「ありがとう翔太……でも、もういいから……」


 留美が指輪を外そうとした時、真珠の指輪に何か白い物が落ちた。

 ゆっくりと、ヒラヒラと、留美と翔太の頬にも、肩にも…。

 驚いた二人は、顔を見合わせた。


「雪? まさか……嘘だろ」


 その時、翔太は後輩に冗談で言ったズルの雪を思い出し、辺りを見渡したが人影は見えなかった。


 そして留美が雪の行方を辿るように空を仰ぐと、ずっとずっと上に大きな雪雲がひとつ見えた。どうやらそこから雪が降っているようだった。

 その雪は、ふたりの周りにだけ降っていたので、留美と翔太はただ暫く雪を眺めていた。

 雪はヒラヒラと羽根の様に舞い、ふたりを包み込むように降っている。翔太は留美の周りの雪が花嫁のベールの様に見え、感動して泣きだした。


「キレイだ……」


 そんな翔太を見て、留美の頬にも一筋、涙が流れた。

 雪は優しく、留美の頬を伝う涙と共に溶けて消えた。

 そしてその雪は、留美の身体の中に吸い込まれるように降り続いた。



 留美のアパートの殺風景な部屋に、3歳で亡くなった子供の写真がある。七五三の時に着たタキシード姿の写真である。それはとても天使に似ていた。


 そして宇宙にはもう天使の姿はなかった。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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