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サウザンドリーブズのメンバーになる

 フィアンセの母方の祖父は、愉快な人だったようで、痴呆が始まってから、

「役所から手紙が来とりゃせんか? そろそろ城をお返ししますゆうて」

 と、しばしば言うようになったらしい。松江城近くの裕福な家の出ではあったが、城持ちの家系というわけではなく、手紙は来なかった。婚約のときにはご存命だったが、残念ながら、お会いすることは叶わなかった。

 城が返される日を待つわけにもいかないので、婚約を機に新居を探し始めた。新居探しは、ときに甘く、ときに酸っぱかった。


 最初、小岩の建売住宅を見学した。

「ロフトがある!ステキ!」

「そこで寝起きしたら、俺、OやE(トレンディー俳優)みたいじゃね?」

 そこでの生活を妄想する。すごく楽しい。

「ウッドデッキもございます」

 不動産屋さんもグイグイ乗ってくる。

「わぁ、テーブルおいてワインとか飲みたい!」

「この物件、5000万円でございます」

「…。」

「…。」

 先生のギャグが滑った後の生徒達のように沈黙するしかなかった。


 マンションにしたら、手が届くのではないか。今度は小岩のマンションを見学した。

「ここなら駅からアーケード街を通るだけだから、傘を差さなくてもいいね」

「AやN(行きつけの飲み屋)にも行けるぞ」

「こっちが子供部屋で、こっちが私達の部屋かな?」

 まだ見ぬ子供の存在まで妄想して楽しむ。

「この物件、5000万円でございます」

「…。」

「…。」

 初恋の人をサプライズでスタジオに登場させたら人違いだったときのような気まずい空気が流れた。


 小岩も東京の縁にあるが、小岩を通る路線とは異なるいくつかの路線上で、東京の縁の物件を見た。やがて、越境した。神奈川に行って安くなるようには思われなかったので、千葉や茨城へ行った。そして、少しずつ、縁から離れていった。

 最終的に、東京から千葉へ延びる路線の終着駅であるK駅付近に住むことに決めた。小さい頃、線路の終わりを初めて見たとき、まだ楽しい旅の途中なのに、なぜか少し寂しさを感じた。それを思い出した。

 なお、新居探しは何よりも楽しいデートコースだった。知らない街を散策する。ときには運転手付きの車(不動産屋所属)に乗る。憧れの屋根裏部屋や天窓がある家を見て妄想を楽しむ。見学が終わると、その街で明るいうちから飲む。だから沢山の物件を見た。不動産屋さん達、ごめんなさい。


 K駅付近での新居探しも難航した。金額的に手が届きそうな物件もあったが、他の条件で決め手に欠けた。結局、とりあえずK駅付近のアパートに引っ越して、気長に探すことにした。このとき住民票を千葉県に移した。


 「東京」という語は、地方の人々に憧憬の念を抱かせる。オシャレさや高級さを感じさせ、また、夢や希望の存在を匂わせる。これは個人の感想や憶測ではない。例えば、よく指摘されているように、そうでなければ、千葉にあるテーマパークに「東京○○ランド」とか「東京○○村」とか命名しない。漫画のタイトルだってそうだ。「鳥取ラブストーリー」と聞いて、誰がオシャレな恋の物語を想像するというのか。村人の噂のネタにされないように苦心して密かに付き合う若者の姿しか思い浮かばない。トレンディードラマになることもない。

 そして、長野の飯田あたりで生まれ育った田舎者には「都民」であることは誇りである。もし、彼らが里帰りしているときに同級生にバッタリ会って、今どこに住んでいるのかと聞かれたら、胸を張って答えるだろう。

「東京だ()

 と。

 だから、都落ちすることには、さらには「神奈川県民」あたりではなく「千葉県民」になることには、抵抗があった。

 いや、腐ってはいけない。「千の葉(せんのは)」と言い換えればどうだ。まるで、平安貴族が枕詞として用い、想いを馳せた地のようではないか。「鳥を取る」とか「長い野」では、そうはいかない。英語にすれば「サウザンドリーブズ」。そんな感じの名のアイドルグループが人々を熱狂させたではないか。そうだ。「千葉県民」になるのではない。「サウザンドリーブズのメンバー」になるのだ。

 このようなことを書いていると、千葉ラブの方々に、千葉をディスっていると、お叱りをうけそうだ。しかし、もう15年以上も住んでいるので、自虐を書いていると捉えて頂ければ幸いである。


 メンバー入りした後、テレビで天気予報を見ているとき、しばしば、フィアンセが、

「かわいー!」

 と小さな歓声をあげるようになった。しかし、可愛いお天気キャスターが映っているわけではなく、地図しか映っていない。どういうことか。説明しよう。

 「チーバくん」という県公認のゆるキャラが存在する。チーバくんのフォルムは、千葉県の形を模している。千葉県に住んでいると、チーバくんを目にする機会が多くなる。テレビやポスターでも見かけるし、自治体の住民支援カードにも描かれている。お店でもグッズが溢れている。そして、いつしか、地図を見たとき、千葉県がチーバくんにしか見えなくなってくるのである。

 このような現象は、個人的な経験ではなく、心理学にちゃんとした専門用語があるに違いない。少なくないメンバーが、自分たちが住んでいる場所や旅行先を子供に聞かれたときに、チーバくんのお腹のあたりとか、目のあたりとか、そんな説明をしたことがあるはずだ。

 もし、天気予報でチーバくんが見えたら、君もサウザンドリーブズのメンバーだ。


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