オッサン臭のフィアンセ
出会い系サイトの女性登録者一覧は、非モテ男達を励ましたに違いなかった。八百万の神々の中には拾う神もいるかもしれない、と。
一覧における各登録者の欄には1文程度のアピールが掲載されていた。「コスメ集めが好きです」とか、「ドライブに連れてってくれる彼氏を募集してます」とか、そんなのだ。ある日、そのうちの1つが目を引いた。
「飲み友達からお願いします」
飲み友達? なんかオッサン臭い…。
人は、臭いと分かっている自らの靴下の臭いを嗅がずにはいられない。そんな気分だったと思う。その登録者の欄をクリックして詳細を見た。
「若い頃は男性の好みを色々と言いましたが、最近、臭くないこと以外に条件がないことに気が付きました」
間口が広い。オッサン臭、つよっ! そして、自身のオッサン臭については棚上げである。清々しい。続いて書かれていた他の事項については忘れた。
上記のことは2007年のことである。当時、女性登録者には男性登録者から多くのメールが届いたという。極端な例では、女性が新規登録を行うと、その日に100通くらいのメールが届いたそうだ。一方、そのような状況は男性登録者には生じなかった。よく野生動物についてのドキュメンタリー番組で1匹のメスに群がる多数のオスを見ることがある。そのようなオスの悲哀は人間でも同じであるようだ。
上記のようであったから、女性登録者が受信メールの全てに返信することはもちろん、受信メールの全てに目を通すことは実質的に不可能であった。彼女らは、受信メールの一覧から得られる情報(サイトのシステムによるものなので、登録者一覧と類似したレイアウトであったように思う)に基づいて取捨選択し、メール本文を少し読んで取捨選択し、メール本文を全部読んで取捨選択した。男性登録者からすると、返事をもらえるのは、5通に1通とか、10通に1通とか、そんなものだった。
従って、いかにして返事をもらうか、メールのタイトル及びメール本文(特に冒頭)の研究がなされていた。出会い系サイトを主戦場とするナンパ師のホームページは、「師」というだけあって、上司の説教とは比較にならないレベルで教訓に満ちていた。そして、師の研究成果を参考に、1通のメールを送信するにも膨大な時間をかけて創意工夫を行っていた。
しかし、オッサン臭の神については、短時間で作成したメールを気軽に送った。笑わせてくれて、ありがとう、と。お笑い芸人さんに拍手を送る気持ちと同じだ。
ナゼカ ヘンジガ キタ。
ナゼカ アウコトニ ナッタ。
何回かメールをやりとりしたはずだが、その内容は忘れた。ただ、こちらは帰宅してからの受信及び送信だったが、芸人さんは、勤務時間中に会社のPCで送受信していたことを記憶している。
初めて会う前、本人写真がメールで送られてきた。送らなくてよいと伝えていたのだが。会う当日に美容院に行って、美容師に撮ってもらったとのことだった。
写真の中の彼女は、真っ直ぐ、こちらを見ていた。化粧が濃くなく(スッピンだった)、好感が持てた。パッチリとした目と目の間隔は若干広く、愛嬌があった。髪を切ってもらったからだろうか、下唇を上に持ち上げた少し自慢気な表情も可愛らしかった。正直、好みだった。
そして、池袋の駅前で会った。
アゴが、割と大きく、割としゃくれていた。別に自慢気な表情をしていたわけではなかった。後にアルバムを見せてもらったが、真正面を見ている写真ばかりだった。威嚇のためにエリを広げたエリマキトカゲは、横顔を敵に見せることはないだろう。This is it!
当時、小岩のアパートに住んでいた。彼女は、両者の職場に対して小岩とは反対方向の練馬のアパートに住んでいた。やがて、小岩のアパートにちょくちょく泊りに来るようになった。大抵、
「金曜から泊まったら、月曜に同じ服を着ていても職場の人に気付かれないんじゃないかな」
と週末に来た。かわいい口調で言ったところで、着替えもせずに4日間過ごすなど、女子のすることではない。
近所の総合スーパーで腰ほどの高さの安いプラスチック製のタンスを買ってあげた。少しずつ、彼女の着替えや他の持ち物が増えていった。いつの間にか、彼女はお姉さんと一緒に暮らしているアパートに帰らなくなった。
小岩のアパートは古い木造建築だった。キッチンのステンレスは光沢を失っていた。トイレや風呂場は昔ながらのタイル張りであり、タイルの間の白い部分は黄色若しくは茶色に汚れていた。風呂場の壁のヒビにはキノコが生えていた。お隣さんは、ゴミが好きな人のようであり、入口からゴミが溢れていた。しかし、彼女は特に気にしていないように見えた。不平ひとつ言わずに我慢してくれているであろうことが嬉しかった。
彼女と練馬のアパートに行くことがあった。その理由は忘れた。お姉さんが留守のときだった。小岩のアパートとは異なり、鉄筋コンクリートの立派な建物だった。ドアを開けると、ぬいぐるみ等が死屍累々と床に打ち捨てられているのが目に入った。室内に入ると、ずぼらな独身男性の部屋の臭いがした。キッチンの灰色のホコリはツリーの雪のよう。いつ封を開けたのか不明な菓子やパック飲料も存在感を主張していた。いわゆる汚部屋だった。
小岩で我慢していたわけではなかったようだ。真実はときに非情である。
彼女の両親に挨拶しに行った。夕方に鳥取に着き、すぐに、お父さんと飲み始めた。お母さんが次々と料理を出してくださった。スーパーの鮮魚売場で働いたことがあるというお父さんも、飲んでいる最中に自ら魚をさばいて刺身を出してくださった。一段落して、お父さん・お母さんに、お嬢さんをお嫁さんにくださいというと、お父さんが笑顔で、しかし少し視線を落として、はい、とおっしゃられた。
後で冷静に考えたら、挨拶に行ってすぐに飲み始めるというのは、特異だったかもしれない。電池を買いにコンビニに行って、うっかりビールだけ買って帰ってきてしまった経験があるが、結婚をご承諾頂くことを忘れて帰ってきてしまうというようなことにならなくてよかった。なお、あくまで本末転倒のたとえとして、実際の経験の中で笑えそうなものを引用しただけであって、女性との結婚を電池の購入と一緒にするなというような御意見は勘弁願いたい。
鳥取に行くまで、彼女から子供の頃の話を聞いても、本の登場人物の話を聞いているようであり、あまり現実の話として感じていなかった。しかし、彼女が生まれ育った集落や家を見たり、お父さん・お母さんと話したりして、笑顔で元気に、ときにいじらしく育った過去の彼女が現実のものとして感じられ、彼女が更に愛おしくなった。彼女が昔も今もご家族からの愛情を注がれる存在であることも実感した。今以上に大切にしなければと思った。
今、これを読んでいる誰かさんはつぶやくことだろう。
(その気持ちは、どこに旅立ってしまったの?)
ときを置かずに、長野の実家に彼女を連れて行った。特段、書くこともない。あえて書くなら、後に写真を見ていて、実家に着く前の彼女は目が笑っていないことに気が付いた。彼女なりに緊張していたのだろう。ポーズをとって口元に笑みを浮かべていても目が笑っていない表情は、どこかで見た気がした。あっ、ホラーサスペンスで殺人者の役の人がやる表情だ!
結納を行った。場所は、京都・嵐山の老舗ホテル内にある庵である。庵は、由緒ある古いものであり、茅葺屋根を有し、座敷からは志津川を見下ろすことができた。そういうと風流かつ格式が高い感じだが、両家合わせて6人の宿泊代及び食事代を含めて10万円ポッキリの「結納パック」を利用した。そういうと安っぽい感じだが、「ワンストップサービス」といったらどうだろう。ものぐさカップルが合理的なカップルに見えてくるではないか。
戦中・戦後生まれの田舎の人間にとって、「嫁(あるいは婿養子)をもらう」ことは、単に日本語の表現としてそうというだけでなく、本当に「もらう」という意味が強いように思う。それは、その人達が結婚した頃、舅及び姑がいる家に嫁(あるいは婿養子)が住み始めることが普通だったことも影響しているのではないか。
だからだろうか、結婚したところで鳥取のお父さん・お母さんの生活が急に変わるわけでもないのに、親父が、
「嫁にもらうで、寂しくなりますなぁ」
と問いかけた。これに対して、鳥取のお母さんが、
「それは、もう、高校を卒業して、東京に送り出したときに、〇〇〇」
と答えた。実をいうと、上記の答えの「〇〇〇」を正確に思い出せない。送り出したときに十分に寂しがったし、覚悟もできた、というような内容だったと思う。
お母さんの答えを聞いていた誰かさんは思ったことだろう。
(送り出された方は、東京生活に夢ふくらませてルンルン気分でしたけど、何か?)
2008年当時でも既に、結納を行わないカップルが多かったように思う。合理的カップルも儀式に拘ったわけではない。鳥取と長野という離れた土地に住む両親同士を顔合わせさせる意味が強かった。両親達もそれは理解していたと思う。結納金も、若い人たちが将来のために使う方がよい、と返された。というか、倍返しされた。念のため、贈与税は不要な額だったと断っておく。
ともあれ、彼女は、実質的にも形式的にも、両家の両親が認めるフィアンセとなった。
*出会い系サイト(あるいはマッチングアプリ)のご利用に際しては、悪質な登録者にご注意ください。