5 困惑。
『メナート、敢えて何も知らないお前に聞きたい。私に問題が有ったとするなら、何処だったんだろうか』
嫌悪されていた筈の人に相談されるとは思わず、少し戸惑ってしまったけど。
『シャルロット嬢に問題は無いと思いますけど』
『鍛え抜かれた男の様な腹筋が、ダメだったらしい』
『あの、鍛えられた者の体を見た事が無いので、そこまで気にする事なのかどうか分からないんですが』
『そうか、なら少し待っていてくれないか』
『はい』
シャルロット嬢が少し席を外し、私はどんな屈強な男性がココへ連れて来られるのか、などと考えていました。
差し当たってはアーチュウか、他の近衛か、と。
『コレがダメらしい』
まさか、当人の、当人が体を見せるとは思わず。
『あの、そう不用意に見せるのは』
『異性に見せる事は滅多にしない、お前には相手が居ないだろう、それだけだ』
釘を刺された事は分かってはいたんですが、彫像の様に滑らかな溝をなぞりたい、と。
『どちらかと言えば、忌避や嫌悪より、綺麗だとか憧れの様なものを感じますが』
『同性は、そう言ってくれるんだが』
『私は男ですけど、本当に綺麗だと思いますよ』
『ただ、好みによっては意見が分かれるもの、だろう』
『かも知れませんが、前の私は何か言いましたか?』
『いや、そもそも見せた事は無いが、言いそうだと思ってな』
『嫌味な男ですね』
『だが正しい事が殆どだったな、そう大して会話らしい会話は無かったが、シリル様やベルナルド様との会話を耳にしていた』
『私は、何故アナタに嫌われていたんですかね?』
『元は誤解からだ、気にするな。すまなかったな、今日の事は忘れてくれ』
そして私は私自身の事を訪ねに行く、と言うおかしな事をする為、シリル様を訪ねたんです。
『成程ね、けれど先ずは僕の質問に答えて貰うよメナート、どうして気になるんだろうか?』
『シリル様が誤解を放置していたのかどうか、ですかね』
『そこは痛い所だね、まさか誤解したままだとは本気で思っていなかったんだよ』
『なら私の日頃の行いも嫌悪の対象だった、と言う事ですよね』
『そうだね、シャルロット嬢にとっては』
『もし、アニエス嬢が知ったなら』
『多少の説明を必要とするし、それでどう思うかは、分からないね』
『アナタでも分かりませんか』
『先読みにしても全ては不可能だよ、神様じゃないんだから。僕は寧ろ結果を適切に処理しているだけ、既に限られた選択肢の中で、最も可能性が高いであろう道筋の行く末を補佐しているだけ。人の感情は読めないよ、そう仕向けない限りはね』
『シャルロット嬢が腹筋を見せた事が、納得がいかないのですが』
『僕にもアーチュウにも相手が居る、仮に同席させても良いけど、そこで男の純粋な意見を聞けるとは思わなかったんだろうね』
『婚約者を愛していたんですかね』
『どうだろうね、ただ傷付いているのは確かだと思うよ。時に人は傷付くと突拍子も無い選択肢が浮かんだり、それを選んだり、追い詰められると極論から片付け様としたりもする。平時では無い者の言動は、忘れてあげた方がお互いの為だよ』
『シリル様は見た事は』
『有るよ、大怪我をした時にね。肋骨が折れて、紫に変色した腹筋だったけれど、アレはアレで絵になると思うよ』
『ですよね、アレの何がダメなのか。本当に劣等感の塊だったんですね』
『性別に関係無く得手不得手が有る、そこを理解しきれないまま、本来なら男として勝てる筈の部分に固執し続けてしまった。その結果が廃嫡と歯の無い女との結婚、貴族の中で生き学園にも行っていなかった貴族に、庶民の暮らしが本当に出来ると思う?』
『そこは、私は半ば庶民の様な生活でしたので』
『想像で構わないよ』
『全く庶民と関わった事が無いなら、難しいかと。生活様式は勿論、礼儀作法も違いますから』
『そうだね、庶民に礼儀作法が無いワケでは無い、庶民なりの決まりが有る。国民として本来は知っているべき事を覚えさせつつ、自分も庶民の礼儀作法を学ばねばならない、意外と両立させるのは大変な筈だよ』
『では、どうなる、と』
『さぁ、どちらにしても問題は無い筈、それより君の事だよ。あまりシャルロットに関わると嫌な記憶を取り戻してしまうかも知れないんだ、関わらない様に言おうか?』
そう提案され、私は何処か寂しさを感じた。
過去から今までを知る者を失う事への寂しさ、関われない事への寂しさが胸をザワつかせる。
ただ、それが良い事なのか悪い事なのか。
いや、そもそも誰にとっての嫌な記憶なのか。
私が嫌がる事なら、もっと厳重に管理をする筈。
なら、誰が嫌がる記憶、なのか。
『誰にとって、嫌な記憶なのでしょうか』
『良い質問だね、けれど深く考えると思い出してしまうかも知れないから、先ずは結論からにしよう。シャルロットと関わりたいかどうか、君は関わるべきなのかどうかより、そもそも君はコレからどうしたいのか』
『正直、圧倒的な出来事の連続に、考えも何も追い付かないのですが』
『あぁ、そうだよね、今の君は慣れて無い。暫くアーチュウの所に行っても良いし、バスチアンと居ても良い、思うままに過ごしてくれて構わないよ』
そう言われても、既にあの抜け出したい環境とは全く別の状態になり、私には特に目的が無い。
私は既に自由で、アーチュウには婚約者が居る。
なのに、何故、私は彼らから離れなかったんだろうか。
以前の私は、何を目的として生きていたのか。
『私は、何を目指していたのでしょうか』
困惑した様な、実に怪訝な顔でメナートは絞り出す様に呟いた。
だから僕は躊躇った、もしココで全て言ってしまったらどうなるのか、と。
《迷われたのですね》
『一瞬だけ、ね。それで得られる僕の幸福感は微々たるものだし、彼の幸福を削ぐ事になるから、濁しておいたよ』
《でも浮かない顔ですわよ》
『だって、僅かしか勝ち筋が見えないんだから、不安で仕方無いんだよ』
《それは期待を排除した上での勝ち筋、なのでしょうか》
『ミラには見えない?』
《ですわね、あのシャルロットが彼に靡くとは到底思えませんもの》
『それこそ期待を含んでの事じゃない?シャルロットには清廉潔白であって欲しい、女騎士だからこそ相応しく思える相手と並び立って欲しい、見合う相手と結ばれて欲しい。その期待は全く無いと言い切れる?』
ミラには既にメナートの事を教えてしまったからね、彼を忌避する気持ちは分かるよ、女性なら身の危険を感じても致し方無い。
時に妊娠は命を危うくする事なのだし。
《私は、出来ればベルナルドの様な》
『その考えも分かるよ、真面目で清廉潔白な人物ならシャルロットは傷付かないだろう、だからこそ親は真面目で清廉潔白な者をと婚約者を宛がう。けれど前評判の元婚約者は残念な事になってしまった、結局は根本に何が有るか、どう育つか。少なくともメナートは常に真剣だった、本当に恋をしていたし、一途だった。ただそれが酷く浅い部分に浸って終わっていただけ、本当なら口説かれた程度で体を許す者の方が、ね』
《ですけれど》
『そう、そこだよ、僕も危惧している事は同じ。シャルロットに浅く浸りたいだけだったなら、僕も引き離すつもりだった、けれど違うらしい』
《らしい、とは》
『メナートはいつから、シャルロットに惹かれ初めていたのか』
少なくとも当時の僕は、単にメナートはシャルロットに全く気が無いだけだと思っていた。
けれど逆に考えると、寧ろ彼はシャルロットを懐柔したかった筈。
もっと積極的に誤解を解こうとしても良かった筈が、彼は敢えて問題を放置し続け、避けていたのだとしたら。
それこそ無意識に、無自覚に、シャルロットを避けていた理由は何なのか。
「まるで彫像の様に美しいと思うのですが、アーチュウ様ともなると見慣れた男らしさに映ってしまうのでしょうか?」
《今は、気まずさしか無いんだが》
「あ、私がご提案させて頂いたんです、すみません。率直なご意見を仰って頂けるかと思ったのですが、やはり気まずさが圧勝してしまいますでしょうか」
《俺は騎士として、同業だからこそ無理だとしか思えない、すまない》
「あぁ、同業、成程」
『女騎士になる者も、そして仕える者も騎士とは婚姻関係を結べない契約になっておりますので、その事も含まれるかと』
《あぁ、そう見るべきでは無い、そう互いに一律で教え込まれている事だ。僅かな関わりしか無いとしても間違いが起こらないとも限らない、互いの名誉と尊厳の為に厳守されている規則で契約だ》
「すみません、人選を間違えてしまいました」
『いえ、ただ女騎士だからこそ、女としての拒絶では無いですので。ありがとうございました、アニエス様』
「いえ、問題は解決してはいません、私はシャルロット様に自身の素晴らしさを認めて頂きたいんです。望むだけでは得られない、容易く得る事の叶わない素晴らしいお体を持っていらっしゃるんです。是非、魅力的だと仰って頂けそうな男性はいらっしゃいます?立ち合い致しますよ?」
『それは、既に確認をしたので』
「ですが芳しくない反応でらっしゃった、と」
『いえ、いえ、少し思惑とは違ったと言いますか。不快では無いのですが、その』
「褒め言葉や反応が微妙でらっしゃったのか、どちらか分からない反応やお言葉だったんですかね?」
私は、メナートが困るとは思っていなかった。
私が知らないだけで、最初から貞操観念と言う単語が染み込まない質なのか、と。
けれど違っていた。
躊躇い、困惑し。
しかも、綺麗だ、と。
思えばメナートから評価をされた事は無かった、関わっていないからこそ、私が避けていたからこそ。
けれど、ある時を境に。
ルージュ嬢との件から、急に関わりを持とうとし始め。
そこで何が変わったのか。
いや、寧ろ気付いた様子だった。
だとすれば、何に気付き私に関わろうとしたのか。
私に関わる意味は。
《シャルロット騎士爵》
『すみません、適当に穏便に返されるかと思っていたのですが、思いのほか褒められ、困惑しているのです』
「褒められて困惑、ですか。となると貶されたかったのでしょうか?」
『いえ、寧ろ無難な回答を、上手く濁されるだろうと思っていましたので』
「それは、他の誰かが同じ言葉を仰ったら、どう思われますか?」
その言葉に元婚約者を思い出し、ゾッとしてしまった。
彼の顔を思い出しただけ、で。
だと言うのに、あのメナートに言われても不快では無かった。
確かに困惑はした、けれど嫌悪は無かった。
『不快に感じる者も居ますが』
彼は私の知るメナートとは違う、まだ問題を起こす前のメナート。
しかも問題と言えど半分はコチラの思い違い、そして事の発端は自由を求めての事。
歪さの起こした歪な解決方法。
彼が悪いワケでは無い、彼を歪ませたのは周囲、彼はただ歪んだ形に添い成長しただけ。
そして誰も、不当には傷付いてはいない。
単に短絡的な行動の結果が自身に返っているに過ぎない、容易く落ちる砦は容易く見捨てられる。
私は、やはり堅牢過ぎたのだろうか。
「でしたら、不快では無い方と、もう少しお話頂くのが1番かと。すみません、お力になれず」
『いえ、心配して頂いて、私は心配される事は不名誉だと思っておりました。ですが今回、私にはそれだけの味方が居るのだと思える様になったのです、ありがとうございますアニエス様』
「いえ、何事も無知でお力になれる事は殆ど無いとは思いますが、どうかいつでもご相談下さい」
『はい、ありがとうございます』
私には味方が居る。
男が居なくとも、私は死にはしない。




