2 記憶。
『あの、シャルロット様、メナート様は』
『何か、彼にご用でしょうか』
『いえ』
『では失礼致します』
私は、本来ならアニエス様の侍女なのですけれど、今はクラルティさんの侍女。
アーチュウお兄様へ懸想、勘違いをしてしまった者の世話もまた、私への罰だとも思います。
私もまた、勘違いをしていた者、なのですから。
《女性ばかりが不安でらっしゃるのか、私にご不満が有るのか、ハッキリ仰って頂いて構いませんので。どうぞ仰って下さい》
庶民に頭を下げるなど有ってはならない、そう教えられておりました。
ですが、それはあくまでも平時のみ。
困れば素直に頭を下げるべき。
そして、コチラがもてなす側なら、同じ庶民同士なら当たり前の事。
ですけれど、嫌ですわ。
出来るなら関わりたく無いですわ、この方とは、特に。
『いえ、急に居なくなられたので、何か有ったのかと』
《例え何かが有ったとしても、コチラ側がアナタに教える理由は何かしら?》
無いのですよ、例え何が有ったっとしても。
知る立場にすら無いのですから。
『いえ、すみません』
《未だにお立場についてしっかり分かって頂けてらっしゃらない様ですので、コチラをお読み下さい》
幾つかの例で分かって下さる方も居りますし、私の様に様々な例を吸収しなければならない方も居らっしゃる事は存じてはいるのですけれど。
私の場合、周りにココまでの方はいらっしゃいませんでした。
私はなんて物分かりが悪いのだろう、そう思っていた所でこの方に出会い、幾ばくか安心したと同時に落胆いたしました。
私は、庶民と同等。
貴族令嬢として育てられたのにも関わらず、私は。
ですけれど、そこに希望も有りました。
アニエス様です。
最初、成り上がり男爵位の令嬢だとは思わず、普通のご令嬢なのかと。
それ程に洗練されてらっしゃいましたし、少しして直ぐに成り上がりなのだとも理解しました。
お優しい。
私の状態を理解し、許して下さった。
高位で有れば有る程、利を追求し非情になる、ならざるを得ない。
なのにお優しい、商人の家でらっしゃるのに。
だからこそ、だそうで。
私、貴族令嬢でも上位の者としか接して来なかったものですから、商人の方が余程非情なのではと。
ですけれど、だからこそなのだと伯母様に教えて頂きました。
情を理解してこそ、売れる品物を選ぶ事が出来る。
それは値切りについても、値段を設定する事も。
そうした事こそ、貴族が行う事。
税の管理を生き死にだけで決めてはならない、常に民の余白を保ちつつ、仕事以外の喜びについても配慮すべき。
私も数字だけなら扱えるのですが、結局はどう扱うか。
単に計算するだけ、なら庶民にも出来る事。
知っているだけでは無く、いかに理解しているか。
貴族なら、その数字をいかに運用するかの手腕が問われる事になる。
知恵も知識も何もかも、問題はどう利用するか。
私も、夫となる方の補佐だけ。
何処かでそう甘えていたのです、私は、そう甘い考えを。
無意識に、無自覚のウチに。
この方にも、可及的速やかにご自覚頂けると助かるのですが。
もう少し掛かりそうですわね。
『あ、シリル様、どうも』
『楽にしてくれて構わないよメナート、病み上がりなんだから、君が覚えている限りのいつも通りで構わないよ』
『はい』
覚えている限りでは、僕はシリル様とアーチュウを通して知り合った程度。
けれど、この口ぶりからして。
いや、止めておこう、不敬だと言われればそれまでなのだし。
『ふふふ、コレが嘘ならとも思うよ、以前の君は君で便利だったからね』
『以前、と言われるのは少し不思議な違和感が湧くんですよね。私にしてみれば先の事、ですから』
『あぁ、そうだね。それで改めて聞かせてくれるかな、目覚めた時の事、今の事を』
『そうですね、知ってるシリル様よりも優しい、優しく育ったなと思いますが。何か有ったんでしょうか』
『あまり、僕は変わったつもりは無いんだけど』
『ちゃんと柔らかく、優しく笑えていますよ、前は目が笑って無さ過ぎて怖いとしか思わなかったので』
『ぁあ、ふふふ、君に言われたからだよ。好きな相手に怖がられたいなら、そのままが1番ですよ、ってね』
僕は王太子殿下に進言出来る程にはなっている。
けれど、そもそも彼は王太子では無かった筈。
王太子の婚約者の侍女候補が、今は近衛の女騎士シャルロット嬢、その彼女から相当に嫌われていたらしいけれど。
私は、どんな大人になってしまっていたのだろうか。
知る限りでは、話した事は無い、関わった事すら無いと言うのに。
『将来の私は、そんなにダメな男になっているのでしょうか』
『定義によるね。先ずは君が何処の時点での君なのか、教えてくれるかな』
『正確な日付等は思い出せないんですが……』
学園の寮で眠り、目覚めたら体が成長していた。
明確に覚えているのは、学園内の女、上級生のマリーとの約束。
少し浮かれてすらいた。
童貞を捧げれば庇護を得られる、卒業後の仕事の後ろ盾になってくれる、と。
『残念だけれど彼女は既に病死しているよ、鼻が腐り落ちる病気で、ね』
『シリル様、それは冗談にしても』
『君との事を僕がバラして犯罪奴隷となった、権威を餌にした釣りは禁止だからね、だからこそ君に声を掛けた。大人の目をかいくぐって交渉した手腕を買ってね』
図書室の本に栞を仕込み、更に伝言を残す本を指定する。
その伝言もパッと見は単なる詩に見える様に偽装してたい事も。
『全て、バレていたんですね』
『いや、白状させたんだよ、君と彼女にね。最初はなんて性欲が強い男なんだと思ったけど、アーチュウと離れたかったんだよね』
恐ろしい、気持ち悪い。
思っていた事、考えていた事も何もかもが全て見透かされた様で。
本当に。
『本当に、ずっと眠っていたワケでは無いんですね』
『そうだよ、君は生きてた、僕の側近としてね』
『それで、どうしてシャルロット嬢に』
『君がしてきた事を知っているから、そしてアーチュウは知らない、コレは僕なりの配慮の結果なんだけど。まぁ、その事で君は歪みを強めた、けれどもアーチュウの優しさを理解し離れる事を止めた。そして何故、僕がこうした事を話すのか、それが君の為になると思っているから』
『私の為、ですか』
『君は良く尽くしてくれたし、何より友人だったからね、かなり早いけれど引退して貰おうかと思って』
『厄介払いですか』
『もー、違うよ、流石に君を野放しにはしないよ、狙われる可能性だって有るんだから。そこを気にしないで、君がどうしたいか。前の君とは違う道を選んでも構わないし、また僕の側近になっても構わない。因みに言うと以前も同じ様に選ばせて、君は側近を選んだんだよ』
『それ、選んだと言うんでしょうか』
『まぁ、その時も同じ様な事を言ってたけれど、選んだのは君だよ。しかも当時は罰則が無かったからね』
『今は有るんですね』
『勿論、学園に関わった者は絶対に知っているから、知らないなんて通用しない。君のお陰だよ』
あぁ、そう知らない筈なのに、懐かしい気がする。
この屈託の無い、無垢にも思える恐ろしい微笑み。
『前の、先の記憶の影響なんでしょうか、アナタは恐ろしい人ですね』
『良く言われるよ、けれど優しいは優しいよ?情を理解しないと統治なんて失敗するに決まってるんだから』
『そして例えどんな賢王が統治したとしても、民が愚かでは結局は国が滅ぶ』
『僕としては別に思い出して欲しいとは思っていないよ、もしかすれば、忘れたいからこそなのかも知れない。それがどんなに愚かな選択に思えても、幸福かどうかを決めるのは本人、他人からはどんなに幸福に思えても本人が不幸だと思えば不幸。他人に幸か不幸かを決める権利は無い、それは王にも神にも変えられない事、好きに生きて良いんだよメナート』
『目覚める前の私なら、疑っていた筈なんですが』
『今の君には信じられないだろうけれど、僕を信じてくれていたからね』
『コレから先、信じられないままかも知れませんよ』
『なら、誰を信じられる?アーチュウは君の仕事内容を知らない、問い詰めても何も出ないよ』
きっと、ベルナルド家の当主も言わない筈。
『なら、シャルロット嬢に』
『嫌悪していた君に言うかな、シャルロットだって優しいんだよ、あまり罪悪感を抱かせる様なら接触はさせない。さ、どうする?』
『アナタに聞くしか無い、と』
『あ、ミラでも良いけど僕が一緒だよ、万が一にも君と2人だけには絶対にさせられない』
『その、そこです、何がどうなってそうなったのか』
『あぁ、良い顔をするねメナート、大きくなってからのその表情は久し振りに見るね』
『不敬を承知で申し上げますが、本当に性格が悪いですよね』
『うん、良く言われる。ふふふ、面白い子を紹介してあげるよ、アーチュウの婚約者』
『アーチュウに、婚約者が』
『ふふふふふ、コレは良いね、君が記憶を失うのが1番面白いかも知れないね』
本当に、この人は性格が悪いと思う。




