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托卵   作者: 桐谷 光
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エリカのかあちゃん

 それは一瞬の出来事だったと思う。わたしたちは部屋にいた。ツバサの部屋ではない。

 その部屋にも大きな球体が浮いている。水槽のような大きな水の球体。そこから、弾き飛ばされた。床にわたしとマコトは勢いよく倒れた。立ち上がって、周りを見渡す。球体はツバサの部屋より少し小さいような気がする。部屋も少し小さい。床はベージュのカーペット。嗅いだことのある、においがする。

 窓を見た。オレンジにリアルチューリップのガラが付いたカーテン。このカーテンは見たことがある。大学生のとき、入ったことがある部屋。その時はタンスがあって、机があって、ベッドもあった。でも、今は家具がない。

 エリカの部屋だ。元部屋、って言った方がいいかも。

 あのときと変わらないものはカーテンのガラ。壁もドアもあのときのまま。

 自分の姿を見た。水が体中をまとわりついていたのに濡れていない。

 呆然としているマコトの手を引いた。不安そうな顔を見て、大丈夫って耳元でささやいた。

 部屋のドアを開ける。二人で階段を下りた。マコトが不安にならないように手をしっかりつないだ。

 きっと、この部屋のどこかにツバサは住んでいるんだ。結婚の準備をしているんだ。

 なんとなくそう思った。

 この間、部屋に入っていいか聞いたとき、汚いからダメだって言われたけど、違ったのだ。この球体があったから見せられなかった。球体はドアみたいなもので、違う世界にも、誰かの部屋にも行ける代物なのだろう。あのとき通された和室が今はエリカの部屋なのだ。

 宇宙につながっていなくて良かった。いや、この先はつながっているかも。

 階段の先に廊下がある。廊下の奥にリビング。そこをぬけていく。人の気配がした。

「だれなの」

 おばさんの声。わたしたちは不法侵入をしている。

「ミサキです。わたしの彼氏も一緒に来ちゃいました。あの部屋」

「はあ?」

 いつもより甲高いおばさんの声。リビングを覗く。おばさんと目が合った。にらみつけられている。こわっ。それに気づかないふりをして軽く会釈する。

「エリカの部屋、使わせてもらいました。通り道に。便利ですよね、へへへ」

 もうこれはわたしとおばさんの戦いなのだ。マコトに口を挟むなと目で合図した。きっと、マコトには伝わらないだろうけど。人見知りの彼がおばさんと話せるわけはない。

「わたし、彼氏がいるんですよ。だから、エリカに子宮はかせません。今までありがとうございました。さようなら。エリカにも伝えておいてください」

 聞こえるように大声で言った。

「そう、残念ね」

 おばさんの声だ。怨念のような空気が伝わってくる。怒っている。

「靴、履いてないんでしょう。サンダル、貸そうか」

「大丈夫です」

「遠慮しなくていいのよ」と、おばさん。

 貸したくないくせに。本当にあの部屋から出てきたのか確かめたいのか。

「おじゃましました」

 マコトの手を力いっぱい握りしめた。

 マコトが顔を上げる。目が合った。

「大丈夫」

 声に出さすに口を動かす。

 おばさんが怖かった。でも、もう二度と会いたくないから、大声でもう一度出した。

「今までお世話になりました」


 わたしたちは普通に玄関から外に出た。二人とも靴を履いていなかった。

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