ツバサじゃなくても、いいんじゃない
最近、ほんとうにツバサが好きなのか自問自答している。
ツバサがこっちを振り向かないなら、別の男に変えた方がいいのかもしれない。今は若い。でも、年は取る。確実に。あっという間だ、きっと。いつまで、待てる。このまま突き進んだら、三十になる。結婚だってしたいし、子どもも産みたい。産むなら、早い方がいいに決まっている。子どもが好きだから、体力があるうちに最低三人くらいは産みたい。産んだ後、肝っ玉かあさんみたいになるのが、夢。
「え、狙ってないの」
エリカの顔がさっきと違う。
「だって、脈ないなら違う選択にした方がいいでしょう。わたし、子どもほしいし。子どもはいない、仕事も事務。だったらなんで幼児教諭と保育士の資格取ったって話でしょ。せめて大学で学んだ知識を自分の子どもにいかせたらって思うよね。それなら、児童学科出てよかった的な気持ちで自分を納得させれるし」
「子どもの仕事はしないって決めたのは自分でしょう」
「そうだよ。保育園の給料じゃ奨学金なんて返せない。実家暮らしのエリカとは違う。自分で生きていかなければならない。給料の少ない仕事の選択肢なんてないんだよ。でも、小さい時に大好きな先生を見て、こんな風になりたいって思った。保母さんになるのがずっと夢だった。せめて、人生の一部分だけでも子どもと生きていきたい。このままじゃ、結婚もできず、子どもも育てられないお茶くみ人生だよ、わたしは」
父と死別したわたしは、母親を頼ることもできない。母は、父が亡くなった後、中途採用でスーパーの社員になった。薄給で生きるのがやっと。全国に転勤して、新店のサポートをしている。
「本気でそう思っているの」
「思っている」
エリカのため息が聞こえた。
「それ、アタシをハメようとしているウソ?」
まあ、そう思われても仕方ないか。あんなにツバサを好きだって公言しているし。二人で一人の男を奪い合っている仲で、こんなこと言うなんて普通じゃありえない。
「そんなわけない」
「ふーん」
エリカはわたしの顔をじろじろ見てくる。
「で。どうするの。子どもを産むために、好きでもない男とセックスして、子どもをもうけようと思うんだ。好きでもない男と結婚して、そいつのために飯作って。子どもを育てて、同じ空間で生活するわけね。なるほど」
考えてなかった。
「そんなこと、アンタできるの」
しばらく沈黙が流れた。
「できない」
そうか。具体的に考えるとそうなるのか。
「でしょうね」
エリカにはかなわない。でも。
「じゃあ、聞くけど。エリカはこのまま一生ツバサを追いかけていくわけだ。結婚するか分からないまま、よその子供を育てていくんだ」
「よその子どもって。幼稚教諭は、育てるとかそんなんじゃなくて、重要な人間の元を作るプロだよ。何も知識のない母親とは、そもそもココロザシが違うわけ。モンスターペアレントや、納得できない時もあるけど、そんなマイナス面を考えてもチャラになるくらい、やりがいのある仕事なんだよ。今しかない重要な時期に心や体の発達を促してこの社会に貢献させる、いわば人間の基礎作りだよ。人間の基礎の基礎を作っているわけ。そんな中途半端な表現はしないでくれる」
「ごめん」
エリカはビールを飲んだ。
わたしも話過ぎて喉カラカラ。缶酎ハイを一気に飲み干した。
「わたしはエリカみたいにまじめじゃないし。せんせいとして働かなくてよかったかも」
そんなこと、考えられるだろうか。ただ適当に日誌を書いて、子どもと遊んで、毎日へとへとになって一日が終わる。正常な人間のもとを作って、社会に貢献させるなんて一度も思ったことはない。
教育実習でも、怖い先生のイエスマンになり、空気をよむことしかしなかった。流しのたまったコップを洗って実習のポイントを稼ごうとしたり、理不尽な要求に応じて実習に関係ない草刈りなどの雑用も笑顔でこなした。あのときしか、子どもとの触れ合いはなかったのに。
エリカは再びビールを飲んだ。わたしも缶に口をつけたが空に気付いた。缶をつぶす。
「そんなことないよ。理想と現実は違うし。曲がったこと、かなりある。子どもの世話より親の世話をしてるんじゃないかってときもある。理不尽な要求もあるし」
「そうか」
しばらくの沈黙。
こんな話、しにきたわけじゃない。エリカって、カタいんだよね。世の中のすべての保母がこんなこと考えて仕事しているのかな。目の前のことをこなすことで精いっぱい。子どもって、急に突発なことをし出すエイリアンみたいなところもあるし、怪獣だったりする。同じ人類には見えないんだよね。そんな子ども相手に初心がぶれないエリカはすごいと思う。
「また、飲み会しない?」
「また?」
「ツバサにライン送っとく。激しく抱きついたら気分かわるかもよ」
思わず笑ったけど、なにそれ。ツバサを譲るってこと?
エリカは壁にかかった時計に視線を移した。
「はい。一時間とっくに過ぎました。わたし明日、エプロンシアター当番でこれから準備と練習するんだよ。はい、帰って」
エリカがふすまを開けると、目の前におじさんがいた。バツが悪そうな顔をしている。
「はい、じゃま」
エリカはおじさんを乱暴に押しのけると、わたしの背中を両手で押した。
「はーい。さようなら。おやすみ」
ずっと廊下で背中を押され、玄関まで到着するのはすぐだった。
エリカは玄関のサンダルを履いて、玄関の扉を開けた。
「はいはい。帰って」
わたしは缶を持ったまま、履いてきた靴を履く。
「はい、またね」
エリカはそう言うと家から追い出しドアを閉めた。カチッと音がする。鍵を閉められた。
わたしはコンビニへと歩いていった。ポケットを探ると小銭がある。
缶ビールでも買って家に帰ろう。